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01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#9

■葛藤

災害ボランティアセンターで働きながら、任意団体で子どもの支援をする生活。生まれて初めて必死だった。

このころ、毎日考えていたことがある。

「なぜ生き残った」「なぜ生きている」

震災によって両親、あるいは片親を失ってしまった子どもがいる。まちの未来のことを考えれば、亡くなってしまった子どもの親より、自分が死んだ方が、まちにとっては良かったんじゃないか。

しかし、私は生きてしまった。たまたま生き残ってしまった。生き残ってしまったのなら、亡くなってしまった人たちの代わりに、自分の出来ることをやらなければ。おごっていたんだと思う。誰も代わりにはなれないのに…それでも代わりに何かしたかった。

震災前の私は、大学を合わないと言って辞めた。勤めるようになって、嫌なことがあれば人や環境、世の中のせいにした。なんでそんなことをしていたのか。私が傷つきたくなかったからだ。自分を、プライドを守りたかったのだ。

震災があって誰のせいにも出来なくなった。自分が無力だと知った。ボランティアの方々と出会い、自分が世の中のことを何も知らないことを知り、無能なのだと思い知らされた。だからプライドを捨てた。プライドは何の役にも立たないと思ったからだ。

故郷のためになるなら何でもしてやる。生き残ってしまったんだから…

ある時言われた。「お前はこのまちの癌だ」と…自分がまちにとって、故郷にとって良くない存在になっている可能性もあると思った。

ある時言われた。「お前ばかり、ボランティアに来た企業や大学を囲って私物化している」と…自分が一人で何かを成しえたことは一度もない。沢山の方を笑顔にしていたのは、本当に多くの方の力だったことは分かっていた。私はたまたま生き残ってしまった、ただの被災地の人間というだけだった。

結局私は何もしていない。無力なまま、無能なまま、何も変わっていないことは分かっていた。

それでも、必要とされる限りはやり続けなければいけないと思った。しかし不安だった。正しい道を進んでいるのか。間違っているんじゃないか。何度も何度も「誰か代わってくれ」と願っていた。

誰にも苦しいとは言えなかった。私よりも苦しんでいる人、辛い人、後悔している人たちがいる。なのに自分が弱音を吐く訳にはいかない。そう自分に言い聞かせていた。

目の前に出来ることがあり、人の笑顔が生まれる度、嬉しかった。だがすぐに、自分が何も出来ていない無力感が襲う。歯を食いしばって続ける。悟られないように、気付かれないように、必死に強いふりをする。

まだ大丈夫。まだ大丈夫だと言い聞かせながら前に進む。弱音を吐く訳にはいかない。なぜ生き残った…毎日毎日、無限ループの葛藤だった。

しかし心に一つだけ決めたことがあった。

「まちのためにやっていて、まちのためにならないなら辞めた方がいい。もし自分の存在がまちにとって、住んでいる人たちにとって癌になるのであれば、何もかも辞めて、消えてしまおう。無力な私の代わりなんて幾らでもいるんだから。」と…。





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