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01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#11

■理由

陸前高田市災害ボランティアセンター閉所の理由は、仮設住宅ができ、独居の高齢者などの孤独死を防ぐための見守り支援などに移行するからだった。

当時、ご家族を失った方が、自ら命を絶つことが問題としてメディアで取り上げられ、陸前高田市だけではなく、東北の被災地では、見守りを強化し、そういった方々が出ないよう見守り支援に力を入れ始めていた。

必要なことだと理解していた。しかし、同時に「人の流れを止めないこと」も必要だと思っていた。行政機関が孤独死の防止に努めるのであれば、民間が人の流れを止めないようにしなければならない。そうしなければ、まちが復興した後、観光などで陸前高田市に訪れてもらおうとするとき、また0(ゼロ)からスタートしなければならない。災害ボランティアセンターに訪れた方々が陸前高田市の価値に触れ、ボランティアとは違う関りが生まれれば、それだけでこのまちの財産になると考えていた。誰もしないのであれば、自分がやらなければと思っていた。

私が代表を務めていた子ども支援の任意団体はNPO法人格を取得し活動していた。また、災害ボランティアセンター運営のノウハウ、ボランティアに訪れていた方々との繋がりもあったため、災害ボランティアセンターの事業を譲渡してもらえないかと考えていた。

とはいえ、社会福祉協議会という公的機関が運営している災害ボランティアセンターを事業譲渡してもらう方法が分からなかったので、様々なNPO法人、団体にアドバイスを求めた。しかし帰ってきた答えは「そんなことはできない」「前例がない」「無理」というものだった。

では、なぜ「できない」のか理由を聞くと、「前例もなく行政がそんなこと認める訳がない」とのことだった。それはそうだなと最初は思ったが、「そもそも東日本大震災だって【前例】は無いだろ」「行政が認めないって誰が決めたんだろ」と疑問に思った。

振り返ると私も震災前は「○○だからできない」と勝手に、聞いてもいないのに「そんなもの」と思い込んでいた。

私は市長にアポイントを取り、災害ボランティアがまだ必要なこと、人の流れが止まればもう来なくなってしまうこと、災害ボランティアではない価値をつくり、移行していくことが必要という話をした。

すると市長は確かにそれは必要なことだと理解をしてくれ、社会福祉協議会、市役所と私の3者で話し合いの場が設けられ、民間での災害ボランティアセンター運営の許可を得ることができた。

陸前高田市災害ボランティアセンター閉所の日、市長がボランティアに挨拶に訪れた。市長が「何かしらの形で、皆さんが陸前高田を訪れられるようにします」という話をした時、かつての自分を思った。

それまで私はいろんなことを諦めてきた。できない理由は誰でも見つけることができる。自分が諦めれば良いからだ。楽に生きてきた。

でも、もうできない理由を考えるのをやめよう。できる理由を見つけるのは難しい。自分が考えなければいけない、行動しなければいけないからだ。だからもう誰かのせい、何かのせいにせず、自分が人生を決めるんだ。

これからは、できる理由を考えよう。そう決意していた。



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