見出し画像

01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#2

■夢か現実か

我に返った私は家族が心配になった。すぐに車に乗り、自宅へ向かう。

自宅はある程度高台にあったため、子どものころ、近所の人たちは、冗談めかしに「津波が来て我が家が飲まれたら日本は終わりだ」と言っていて、私も、その通りだと思っていた。

目の前の角を曲がって坂道を下れば自宅がある。しかし、津波の第2派、第3派があるかもしれないと思い、高台に車を置き、歩いて自宅へ向かった。

自宅は無事だったが、自宅か2軒ほど下にある家から津波の被害を受けていた。ほんの1時間も立たないうちにこれまで見慣れた光景が無くなっていた。

しかし、その時の私は不思議な感覚だった。

思い出も、まちも、既に失っているのに悲しくない。何より現実感がない。何故、何も感じないのか…周りを見てみて気付いた。

「音」が無い。

人の話し声や、鳥のさえずる声、生活音が一切なく、土煙がモヤモヤと舞っている。こんな光景、今まで見たこともなく、ただ夢の中に居るような感覚に襲われていた。

自宅戻ると両親とペットの犬は不在だった。更に高台に親戚の家があったので、そこに逃げたのかもしれない。そう思い、車で向かうと、近所の人たちも10名程度避難しており、両親もペットも無事だった。ホッとしたが、まだ現実感がない。

石油ストーブ1台で親戚と家族、近所の人たちと暖まることは出来ない。親戚の家はプロパンガスだったため、ガスコンロでお湯は作ろうという話になった。しかし、水道が止まっていたため、風呂の残り湯で湯たんぽを作った。その湯たんぽを布団に入れ、暖を取った。

17時には辺りは暗くなり、街灯や灯りのない世界が訪れた。夕ご飯は、石油ストーブの上に鍋を置き、ご飯を炊いてそれを食べた。18時ころには布団に入ったが寝付くことが出来ず、今の現状が夢なのか現実なのか分からないまま夜が明けていった。

翌日、少し冷静になり、もう一度、元職場に行くことにした。

理由は、家族の無事は確認できたし自宅も無事だったが、元職場の職員は家族の安否も分からない方、自宅が被災した方が居た。だからこそ、自分が手伝いに行って、家族を探したり出来るようにしようと考えたからだった。

職員が家族や、自宅を確認に行き、施設に帰ってくる度、辛そうな、悲しそうな顔を見て、何も言えない自分が居た。3日間ほど施設に泊まり、近隣住民も避難してきたので、受入などを行い、職員の家族の安否確認、避難している場所などが判明し、落ち着きを取り戻し始めたので、家族がいる親戚の家へ帰ることにした。

帰り道、これまで遠くからしか市街地を見ていなかったので、見に行った。

瓦礫になっている家。土砂で道路が見えない。辺りには人の気配もなく、ただ思い出が無くなっていた。

初めてその光景を見た感想は、

「戦争が終わった後、こういった景色が広がっているのかな…」

いまだ現実感は無い。

「これはいつになったら終わるんだろうか…」

何が終わりなのか分からないまま、呆然と無くなった市街地を見ていた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?