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01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#5

■怒り

災害ボランティアセンターはどの自治体でも災害があった場合、災害にあった自治体の社会福祉協議会が立ち上げることになっている。

震災直後の陸前高田市災害ボランティアセンターは社会福祉協議会本部が被災していたため、地元の自動車学校の離れにある食堂を貸していただき運営していた。

駐車場もほとんど無かったため、ボランティアの受け入れも一日数十人程度だった。また、災害ボランティアセンターの運営に人手が足りず県内の大学にお願いをし、学生にボランティアスタッフとして協力してもらっていた。

このような状況で、スタッフとして必要なことは「土地勘」と「度胸」だと思っていた。

「土地勘」は、道路が瓦礫で封鎖されていたり依頼のある場所にたどり着けなかったり、もしまた津波がきたり地震が起きた場合にどこへ避難すればよいのか説明するのに必要で、普段、高齢者の見守りで市内を回っている社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを運営するというのは上手い仕組みだと思った。

「度胸」は、全てのボランティアが「良い人」ではないということ。つまり、被災した方を傷つけるボランティアもいるため、そのボランティアから怒りを受けたとしても制止したり、最悪、刺される覚悟を持って対応する「度胸」が必要だった。

しかし、陸前高田市災害ボランティアセンターでは、私の知る限りボランティアを追い返したり、出禁にしたことは無い。

例えばこんなことがあった。瓦礫の撤去の依頼があったため、複数人のボランティアにお願いしたところ、その中の1名が怒りだした。

私が理由を尋ねると怒っていたその方は「なんで手作業で瓦礫撤去しなきゃいけないんだ。重機でやればいいだろ」と言った。私は、「仰る通り重機で瓦礫を撤去すれば早いです。ただ、皆さんが瓦礫と思っているものは被災された方々にとっては家族や友人との思い出かもしれません。それを重機でもののように扱われ処分されるより、人の手だからこそ大事に運べて、必要なものや大切なものを見つけられる。瓦礫の撤去は心の整理なんです。」と伝えた。すると「人の思い出なんかより松の方が大切だろ」と言われた。

いまだかつて経験したことのない怒りが込み上げた。追い出してやろうとも思った。しかし冷静に考えた。

怒りは覚えたが、これは「私」が覚えた怒りである。もしかするとこの方は高田松原を元に戻したいという熱意によって先ほどのような発言をしたのではないか。

災害ボランティアセンターは、ボランティアが一番初めに訪れる「窓口」だ。その窓口で、人が繋がれば色んなことが出来る。些細な願いでも叶えることが出来ると言っている人間が、その可能性を個人の怒りで無くしてしまっていいのか。もしかすると、他の市民とは仲良くなれるかもしれない。

しかし、先ほどのような物言いは市民を傷つけるし、瓦礫の撤去は心の整理ということや、こちらの考え方も理解してもらう必要がある。その方との議論は4時間に及んだが、最終的にこちらの考え方も理解してくれた。

そして結果、その方は誰よりも私を信じて何があっても味方してくれる存在となった。

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