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01(ゼロイチ)~東日本大震災を経て~#4

■無力

余震も落ち着き親戚の家から自宅へ帰り、数日後、初めて我が家に配給のおにぎりが届いた。そのおにぎりには手紙が付いていた。

「東日本大震災の映像をTVでみました。頑張っている人に頑張ってとは言えませんが、私たちも出来ることで応援していきます。5年生 ○○」

これまで何をしてきたんだろうか…自分に出来ることをしてきただろうか…何もしていないことに気付かされた。そして、ボランティアに対して怒りを覚えていた私だったが、この手紙のお陰で、良いボランティアも居ることに気付かせてもらえた。そして、こんな子どもに勇気付けられた自分もボランティアでも何でも、何かしなければと思い、災害ボランティアセンターに向かった。

災害ボランティアセンターで何のボランティアがあるのか尋ねると、避難所を回って、困っていることや、支援して欲しい物資のヒアリングをしてきて欲しいと言われた。地元の人間で、同じ震災の経験者だから聞けることもあるはずとの判断だったらしく、私は、指示に従って避難所でヒアリングをしていくことにした。

ある避難所で、小学低学年くらいの少女に言われた。

「ミサンガが作りたい。」

話を聞くと家族がまだ見つかっていないという話を聞いた。用意してあげたいと思った。しかし、用意が出来ないことすぐに理解した。ミサンガの材料を購入する店が無い。お金を使えない。ガソリンも無いから内陸に買いにもいけない。

当時28歳の私は、自分が「大人」になったと思っていた。働いて、お金を貰って、酒も飲めて、タバコも吸えて「大人」になったと思っていた。しかし「大人」になってもミサンガの材料すら用意が出来ない。

無力感を感じていた翌日、給水車が来たので、水を汲みに行った。その時、朝会ったら挨拶する程度の近所の方が隣になったので、何となくミサンガの少女について話をした。

更に翌日、ミサンガの少女の話をした方が、我が家を訪ねて来た。何の用事かと聞くと、ゴミ袋2個分の刺繍糸と毛糸を持って私に「これ、あの子に持って行ってあげて」と手渡してくれた。その方は、私と話をした後、更に近所の人にミサンガの少女の話をしたらしく、その話を聞いた人たちが自宅にある刺繍糸や毛糸をくれたとのことだった。

どんなに権力があっても、お金があっても、1人では何も出来ない。だけど、人通しが繋がれば、少女の小さな願いかもしれないけど叶えることができるんだと学んだ。もしかすると、人を繋いでいければ、終わりの見えない復興も、未来も見えるのかもしれないと感じていた。

災害ボランティアセンターなら、被災した人同士、ボランティアとも繋ぐことが出来る。それさえできれば色んな可能性が見えてくるかもしれない。

後日、災害ボランティアセンターのスタッフに土地勘や風土を理解している人が必要ということもあり、ボランティアスタッフに誘われた。私は二つ返事で了承し、災害ボランティアセンターの運営に関わっていくことになる。


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