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生きづらさと共に!NO.47 昔、大嫌いで出て行った田舎の実家に期待を膨らませた日。

私は、長崎県のど田舎の出身で、今住んでいるところもそんなに変わらないが、嫁いだ町の方が少しはマシである。

15歳の時、中学を卒業と同時に、この家(実家)を出ようと心に決めていた。
先に1人の姉が愛知県に出たので、同じ道を行こうと考えていたのだ。

私は一度こうと決めたら曲げない性格だった。
心に決めてからは、祖父、祖母、父みんなが反対する中、私の考えは変わらないと宣言した。

それは何故か、私が10歳の時の母の死があまりにショックにすぎて立ち直れなかった、母が亡くなってからは、厳しい祖父がいたり、父親も子育てに無関心だったり、家が田舎だったり、ボロかったり、貧乏だったり、子どもの私にはあんまりだった…
母の死を受け容れられずに大人になってしまった。
泣きたい時におもいっきり泣いていなかったからに違いない。

このままでは、私はダメになる、生きていく自信もない、この環境を変えるには、この家を出るしかないと心に強く思い、飛行機で同い年の数人と愛知県に飛んだ。

働きながら、高校を出た。
その後は住み込みアルバイトをしながら、調理師専門学校を卒業する。

飲食関係の仕事を何箇所か経験した後、長崎に帰り結婚して、今がある。

家庭環境が悪い、田舎、貧乏というのが三拍子揃い、出ていったが、帰ってきてしまった。
これも私にとってはとても大きな選択だった。

そんな田舎に、今年いっぱいで仕事を辞めUターンすると決めた、東京で30年も働いてきた弟。

昨日、私は実家にやっと行けた。
やっと行けたっておかしい話だけど、私は実家は大嫌いだったのだけど、母親の命日、お正月、お盆、お彼岸、GWなどにはお墓参りに行き、実家にも寄る。

つい先日の台風で、母親の命日、行けなかった。
お彼岸もあって、お墓参りを兼ね、実家で、デイケア帰りの父を待つ。

夏休みの終わり頃だったか、家の中で転んだ父。
元々数年前からパーキンソン病と診断されていて、手が震えている。
そして、つい最近も、冷蔵庫の前でも転んだらしく、ますます弱ったのだと思っていた。

まあ、確かに弱ったと言えば弱っていたが、私が想像してたよりも、元気そうで、顔色も良く、意外にも話も少し出来ていて、ただ、うちの娘を見て、『〇〇ちゃんは、小学生ね?』と言った。

まあ、6年生くらいだと思ったんだろうから、ギリセーフだけど。

私のきょうだいの1番上の姉が、今のところは、父の面倒の大半をみてくれている。

私は、父がパーキンソン病と診断された頃は病院には連れて行っていたが、その頃はまだ、過去を受け容れられていなかったから、どこかで嫌な気持ちが大いにあった。

今の父は、もう、そんなに声も張れない。
私も、1年半程、定期的なカウンセリングを受けていることで、心の安定を保てていて、もう、自分の過去を含め、あれだけ嫌いだった父や実家のことも受け容れている。

いつも、多くを語らない義兄は、最近うちの実家の畑を姉の長男と一緒に耕し、芋を作っているようで、畑の周りも綺麗にしてくれている。

義兄は多くを語らないからわかりにくいが、姉を色々と支えてくれていて、色んなところでちゃんと、うちの父のことも気にかけてくれているのだと思う。

私の弟が、東京からUターンして、考えていることの一つに、無農薬野菜を作るという考えがあるが、それを聞く前から、畑をヤボにしておくのは勿体無いと、綺麗にしだした。

弟が東京から帰ってこないなら、実家は売りに出す予定であった。
あくまで予定…しかし、売るには勿体ないと、みんなが心のどこかでは思っていた。
いや、家は古い家だから全然良いが、畑は根菜類にもってこいの、赤土だから、他には負けないと思う土である。

ちなみに私の嫁いだ、実家の隣町で作ったさつまいもや、じゃがいもは、味がかなり違う。
実家のが美味しいと、自信がある。
それは、うちの息子たちが幼稚園の頃までは父が作っていたから、そして、自分が子供の頃食べたことがあるから間違いない。

昨日、帰り際、姉と、多くを語らない義兄も、少し離れたところから話をしたが、昔作っていたものの話をした。

さつまいも、じゃがいも、里芋、いちご、小豆、らっきょう、トマト、ピーマン、きゅうり、なすび、恐らく他にもあったんだろうけど、ということは大概のものは作っていたのだ。
椎茸も家の裏で作って?いた。

うちは養鶏場だったから、卵には困らない。
鶏肉にも困らなかったんだろう。
他の肉があるのはかなり後から知った。

よく良く考えたら、こんな生活夢じゃん、51歳の今の私なら、同じものを作っていたら幸せだなぁと思ってしまった。

正直、昨日、義兄とも少ししか話してないが、それまではこれで、畑を?
難しいなぁと少し思っていたが、昨日は、これなら、前みたいに、私たちきょうだいや、周りにいる家族が手伝ったり、協力できたら、〇〇〇農園、なんて夢も夢じゃないなぁと夢が膨らむ。
いや、膨らみすぎかもしれないが。
とりあえず、自分達の食べれる野菜、今できることを。

しかし、私的には、流れ的には完全にそのような流れになりつつある、そう思うのである。
何故ならば、決めているなら、そこに向かって進むだけだから。

あんなに嫌いだった、実家に、私も含め、私の息子や娘もそんなに嫌そうでもなく、いや、実際本当の気持ちは聞いてはいないが、昨日も娘に、じいちゃんに会いにいくか聞いたところ、行くと言った。
今までなら、家でゲームをしている気がする。

お盆、息子2人が帰ってきたのだけど、別々であったが、実家のお墓参りに、自分から行くと言ってくれた。
お盆だから、お墓参りするために帰ってきたんやからと言う息子。
その気持ちが、その成長がとても嬉しく、自分がやってきた子育ても、まんざら悪くもなかったかと思った瞬間だった。

お金も必要だが、心の健康と体の健康、そして人との繋がり、私は幸せな最後を迎えるために、一日一日を大切に幸せに生きていきたいと思うのである。

今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^



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