「怪談のコレクション」という仕事は”残念ながら”結局はアイデンティティ探しと見つけたり
最近熱中しているのは、私の家系(岡山)に伝わる怪談収集。
丹念に調べると、けっこう出てくる。
自分の家族親戚へのヒアリングだけで、なかなかの怪談が集まってくる。
これが面白い。
けど、この年齢になって思うこと。
怪談とか妖怪とかホラーとか言っているけど、根底にあるのは「自分はどこからきたのか」を知りたい、という感情かも。
家族の物語、地域の物語、日本の歴史なのかも。
つまりけっきょくは怪談集めも「自分探し」ってやつに還元されちゃうだけのものなのかもしれない。なんてこった、「自分探しなんてカッコウ悪い!」と思ってたのに!私の怪談収集もいつのまにか、けっきょくはこのテーマになってきてる。
でも、
まあいいか。このカッコウ悪さを、そろそろあきらめて、受け入れるのも、悪くない。
人の家に伝わる怪談を知りたがるのも、よその土地の学校の怪談を知りたがるのも、外国の怪談を知りたがるのも、
自分の家に伝わる怪談と比較したいから、自分の育った学校にあった怪談と比較したいから、そして日本の怪談と外国の怪談を比較したいから、に他ならないかもしれず。
ただ、この道を、保守主義とか、日本自画自賛とか、安易な伝統礼賛に陥らずに進めるのは、これがもう、とても難しい。
現代科学のテクノロジーのおかげで便利で快適な生活をしているにも関わらず、昔ながらの怪談や妖怪の話にアイデンティティを求めるというなら、「現代」と「伝統」とのバランスはどうとっていくつもりなのか、そこをしっかり考えていかないといけない。
でも怪談の世界でカッコウつけると、たちまちアヤしいオカルト論者に陥ってしまうわけなのだから。カッコウ悪く、「怪談を集めていますが、どうも、ああでもない、こうでもない」と、迷いを曝け出しているほうが、やはり、マシなのかもしれない。そう信じて、迷いながら、コツコツと怪談をコレクションしていくのが、今、できることなのかもしれない。
そう信じて、コレクションを続けると、やはり、家族親戚からも、自分の育った土地からも、続々と怪談が採集できる。これは、やはり、面白い。面白いから、迷いながらも、続けてみよう、そうすれば、何かが、いつか、見えてくるかもしれない。
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