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生きづらさを輝きに!NO.23 義母の介護をしながら、娘の子育てをしながら、身が入っていないなぁと、ここ最近…

毎年、桜の花が咲き始め満開の頃、寒い冬から、徐々に暖かくなって、色々な人が、少しづつ少しづつ、外に出てくる。

それは普通のことだろうけど、毎年この時期は、桜は見たいけど、何か自分の中では少し苦手なような気がしている。

今年に入り早々、娘は部活を辞めることをもう、心に決めていたのかもしれない。
娘本人以外のみんながみんな、部活で入っていた、バドミントンを続けた方が良いと思っていた。
それも今になって思うと、本当のところはわからないけど。

バドミントン部へ最後の挨拶に行き、それから数日間が過ぎていった。

私は母親で、結局は、親のエゴだったんだろうと今になり、バドミントン部から離れてみて思った。

それからも、何か喪失感みたいなものがあり、やる気がおこらなかった。
娘は大方、昼間も自分の部屋で過ごしている。
リビングに降りてくるのは、ご飯、お風呂、それくらいだ。
思春期はこんなものかと思うけど…

しかし、思春期とは都合の良いもので、昨日も、義母を施設まで迎えに行くついでに、ホームセンターや、ドラッグストアで買い物をして施設に行って帰ってこようと思っていた。
しかし、お昼ご飯を食べて早めに買い物に出ようと夫と話していたのだけれど、お昼ご飯の時、娘が自分も行くと言いだした。
準備にも時間がかかる。
こういう感じが思春期というものだ。

娘は、部活をしてないと、土日、春休み、夏休み、冬休み、休みという休みは、ダラダラと自分のペースで過ごしている。
生活リズムは毎回崩れまくりで、それでも、2年ほど前から娘を肯定するために、ぐちぐち言うのをやめていた。

しかし、中1の最後の頃、行きたい高校を調べる時間が授業であったらしく、普通に高校に行くことを夢見ているので、それなら、このまんまではいけないと、少しづつ現実の話をしたり、厳しいことも言ってきたが、これほどうまくいかないものはない。

せっかく積み上げてきたものが簡単に崩れ落ちたかのように、娘も反抗が露わになった。

それから結局は、一度決めたら、誰が何と言おうと変わらない娘と改めて解り、やっぱり変わることなく、バドミントンを辞めた。
もうここまでくると、逆に気持ち良いなって思う。

これから先は、娘が決めた考えを変えようと、私を含め周りは一生懸命になることはないだろう。


自分は自分であるから、他の人の考え方は一切わからないが、みんなある程度の年齢まで生きてくると、立ち止まって自分の人生を考えるものだろうか、あくまで今の私は、過去のことではなく、今この瞬間から、先(未来)のことであるが、考えている。

私の年齢でも、考える人は考えるし、考えない人は考えないのだろうかと思ったりする。

私も、ここ2年ほどで、随分、自分のことを優先できるようになった。

そこまでは良いが、あれだけ、介護ーー!!子育てーー!!と思っていたが、今その気がそんなにない、自分の中で自己嫌悪を感じてみたりしている。
良く、先の見えない介護とも言うが、それも当てはまる。

恐らく、介護ーー!!とか、子育てーー!!とかなってしまうと、自分のやりたいこともできなかったり、頭にも浮かばなかったり、初めから諦めたりしていたのかもしれない、でも、待って!私の人生、そんなにこの先長ーーーくはないと思うし、ある程度自分のやりたいことやらないとなと思えるようになった。

それは、ある人たちに出逢えたからに違いない。

しかし、自分は自分、結局は自分の中から湧き出たエネルギーでしか結局のところ自分は変えれないのだと私はここ最近実感している。

私自身が変わる、変えられるとしたら、自分の中にあるエネルギーだけでは足りない。そんな時、自分にとって、影響力のある人、支えになる人っている。
そんな私にとって数少ない人からの影響は受けさせてもらって、後は自分の力でってことだと思う。

やることが単に増えたのか、娘のことで、やることは減ったり、体育館へ行ったり来たりすることもなくなったけど、やりたいことも次々にやっている。

しかし、自分のやりたいこともやり始め、夫も巻き込んだり…
何だろ、夫に言えばよくやってくれるので、私は何か口先だけだねーなんて、夫に話をした。

笑い話だけど、私は口先女よね、あんまり動いてないのに、口先だけで事が動いていくねって。
良いのか悪いのか、私よりも夫の方が動いているようにも見える。
確かに動いている。

現に、口先だけで、ほとんど荒地だった庭が、畑になったのは、たった2日くらいだった。
何年も何年もやっていなかった事が現実になる時、気づけば、周りがやってくれている。
夢見たいな本当の話である。

まずは口先女でも良いから、やりたいことを発することから始まるのだと実感した。


いくら自分の中でとか、家族の中で、ごちゃごちゃ言っててもなかなか始まらない、叶えられないことも、口先だけで、家庭菜園を始めるきっかけができることもあるって事である。

夫は言う。
言う人もいないと何も始まらんから、それで良いと。

その他、地区のことや、色んなことをやっていると、ますます1日、1週間、1ヶ月、過ぎていくのがとても早く感じる。

介護も子育てもやるべきことはやっている。
しかし、心の部分は身が入っていないような感じになると言うか…

まあ、全部心が入ってないわけでもない、これが普通のことかもしれない。

時々、介護疲れから、介護する側される側共に死を選んだりする人もいる。
介護ーー!!となってしまったり、性格的に周りに言えなかったり、それもわかる気もする。

うちの場合、病院と施設には受診させたり、送ったりするが、自分の姉弟や、周りに相談できる人も少ないが、いてくれるので、介護で今悩んでいるかと言われれば悩んではいない。

自分のやりたいことをやれる環境はありがたいことで、それが叶えられた時、自分が、家族や他の人にやれることは逆に気持ちが分散される。
これは、自分が仕事に出ていた時、心に余裕がなく、娘のことや、他のことに気持ちがいかなかったことに少し似ている。

今までの生きてきた人生の中で、自分の思っていることが叶えられたという経験がさほどない私にとって、何かを始め、動き、もしかして叶えられることがあるとすれば、と考えると、まだまだ勇気のない自分である。
未知の世界で、え?それで良いの?私が?という思いがある。

言うならば、自分が20代前半、パワーがあったように、息子たちがパワーやエネルギーーがあるように、それくらいのパワーやエネルギーがいるような気がする。



なんだかんだ、こんな感じで娘の中学2年生もスタートする。

4月、このスタートを楽しみに、前向きに進んでいきたい。


(今日の相田みつをさんの名言)

『くさびだから 一番大事な ところへうつ くさびだから 見えないようにうつ』



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^




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