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生きづらさを愛と光へNO.34 次男の入籍前に、宮崎まで、ご挨拶に行った話。(前半)


今次男は、24歳。
今年中には、25歳になるが、宮崎の方と、ご縁があり、結婚する運びとなった。

と言っても、もう、2年くらい?次男は彼女さんと同棲中で、同棲する前も宮崎にご挨拶、いついつ結婚(入籍)させて下さいのご挨拶も行き、その他にも確か、彼女さんと一緒に行き、数回は泊まらせていただいている。  

既にあちらのご家族とは、本当の家族か?と言うくらいに溶け込み、仲良くさせてもらっているようだった。
とても温かく受け容れていただいたようだ。

あまり詳しくは言えないが、一般的な家庭とは違い、うちの家庭とはかなり環境が違う家庭で育った彼女さんである。
(決して悪い意味ではないです)

今回は、入籍前の両家の親の顔合わせだった。

6月8日から10日までの旅行の予定だったが、その数日前に、彼女さんのおばあちゃんが亡くなったと連絡があった。

え?このタイミングで?今回は無かったことに、か最悪Zoomでもしないといけないなと思っていたが、次男から朝電話あった後に、また、数時間して電話があり、せっかく休みを取ってもらってるから、来てもらったらという、あちら側のお心遣いだった。

とは言えなかなか普通ならない話だろうなと思いつつ、色々な面での考え方の違いだろうと思う。
福岡に泊まる日と、宮崎に挨拶に行く日を入れ替えた。

入籍前に挨拶はしておいた方が良いだろうといことで、7月の末に入籍するので、ギリギリのラインだと思う。

それも含めて、今回は予定を少しだけ変更して、話を進めた。

前日まで皆バタバタしていたのは事実であったが、当日JRで博多に向かった。

博多に行く前の日には、あちらのお父さんが好きだというお酒と、お母さんが甘いものが好きと言うことを事前に聞いていたので、カステラセット、もなか、お酒を買いに行った。
もなか以外は重いものだったが、あちらのご両親に、泊まるホテルや、お食事の手配までしてもらっていると言うので、それなりに考えてお土産を吟味した。

しかし、しかし、あちらの、お・も・て・な・しが素晴らしすぎました。

家柄的に慣れてはいらっしゃるのでしょうけど、親子の連携プレイが凄すぎるし、お手伝いさんもいらっしゃいました。

お昼は、宮崎に来たのだからと、道の駅高千穂でチキン南蛮丼を食べていたので、そこそこお腹は満たされていて、時間は経ってはいたけれど、15時に彼女さんのお宅に行く約束で、丁度その時間に着くように行った。
うどんを頼んだ夫に一つ、チキン南蛮をあげてはいたのだけれど、そんなに色々出てくるとは想像してなくて…

挨拶云々終わった後、階段を登った所の和室に通され、両家、向かい合わせで座った。

事前に調べたところ、それが100%正しいとは言わないが、両家ご挨拶の場合、お土産を渡すタイミングは、玄関先ではないとしていた。

なので、お土産を渡すタイミングをずっと見計らっていた母親の私だった。

両家席について、もう、ここだよね?と言うタイミングで、やっとお土産を手渡した。

一応、説明付きで。
あちらのご両親は大変喜んでおられた。

両家ご挨拶でなければ、タイミングはそんなに気にはしないのですが…

それから、あちらのお父さんが自分の自己紹介をして、家族のご紹介をして、続いてこちらの父(夫)が自己紹介した後、それぞれ自己紹介をした。

緑茶に、豆大福、しばらく話をして、今度はプリンと、コーヒー、まあ、それなりに食べてはいたので、私はそこそこお腹は満腹だった。

そこまで用意してくださってるとは思っていなかったので「もう、お構いなく…」と、お茶もおかわりをいただき、そう言ってしまったものの、やはり間違いだったなと、一般的には、「どうぞ、お構いなく」はよく使われる。
それが普通と思っていたが、確かに逆の立場で考えると、ひとりひとりに用意していただいてたものを断るのもタブーだったなと反省。

次男が言った一言が、用意してくれてるものを、食べないと失礼やろ!
まっ、そうね、私が手土産を何にしようかと考えたり、色々気を遣い考えるのと同じだよなって、逆な立場になることを忘れ、凄いぞ、次男!と後で思ったのだった。

これも言い方でしょうね。
「たくさんにご用意していただいてありがとうございます」
とか。
「たくさんに、お心遣いありがとうございます」とかね…

まあ、次男と私は胃袋も違うのはあるのですが、世間一般的に使われていることが良いのか悪いのか、時と場合によると言うこと。
あちらのお姉さんが、食べれなかったら、ホテルに持って帰って食べても、と言って下さいましたが、結局は胃袋に収まりました。

あちらのお母さんと、お姉さんが、飲み物、お菓子を手際よくて出してくださって、感心しました。
見習うべきところがたくさんあり…
学びと反省…

今回は、言うならば、結婚前に、幸と不幸が一緒になったような感覚だったが、そこは不幸とは、捉え方が違った。
そういうところの考え方の違いもあり、事前に色々とググって、あ〜調べて良かったということはいくつかあった。

初めて行く場所で、知らないことなので色々あったが、結果たくさん学んだと言うか、良い意味で学ばさられたと言った方が正しいのかもしれない。

その後、近くのホテルをとってくださっていたので、そちらに移動。

2時間程して、お食事の会場に連れて行ってもらい、また、両家ご挨拶の並びで座った。

いつもなら家ではそんなに話さない夫だけれど、この時ばかりは、父親のスイッチが入ったのか、仕事の話から宮崎の話、長崎の話に、焼酎などの話、ずっと喋りっぱなしで、最後のデザートがくるまで、まだ付き出しの料理が残っていた。

え〜 いつ食べるんだよ、ってくらいマシンガントークしていた、いつもにはないくらいの。

私は、差し障りのない、そして、彼女さんのことや、このご縁のことで少し話しをさせていただいた。
こっちの話あっちの話を左右の耳で聞いて、たまにこっち、あっちと話をしていたが、肝心なことだけは話したつもりである。

ここは話さなかったが、次男が、彼女さんと付き合い出した頃、今度は結婚するだろうな、という母親の勘があった。

私の誕生日と彼女さんのお姉さんの誕生日が同じ。
私の実の母が亡くなった日と、彼女さんの誕生日が同じ日だった。  

それもしばらくして、分かったことだったが、それもただの偶然でしょ?って言えばそれまでだけれど、別に365日あれば1日くらいズレても良いわけだから、ね?って話しです。

何となーく、初めて会った気がしないような、そんな気もして、それはソウルメイトってやつ?
と私はそう思ったのでした。

お食事会も盛り上がり、次男は彼女さんはじめ、お兄さん、お姉さん、お手伝いさんと仲良く話しながら、いつもよりビールや酎ハイ、お酒?など飲んで食べて、楽しんでいた。

私はもうお腹満腹で、最後のあたりは、料理を若者に食べてもらった。
最後は夫と、彼女さんのお父さんの料理まで。

私がお食事会場で話した1番のことは、彼女さんは、優しくて、と次男が付き合い出した頃にそう話してたと言うこと、お姉さんの誕生日と同じと言うことに、母親の亡くなった日と、彼女さんの誕生日が同じ日だったということ。

彼女さんは、次男のことを存在価値の部分で見てくれているということ、結婚式は本当に家族だけでと言うにしても、宮崎、福岡、長崎、どこでやっても来れますか?と話し、どこでも大丈夫ですよ、とは言ってもらったが、それも難しいのかもしれないですが、その辺りの話はどうなるのかもう少し時間がかかるのかもしれません。

もう少し話が続きますので、次回書きます。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございます^ ^








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