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3.出張から戻ってイタ語教室に通う(3人のイタリア男)

私がイタリア出張に行ったとき、理解できるイタリア語は笑っちゃうくらいぜんぜんありませんでした。
ボンジョールノ、ボナセーラ、ボナノッテ、グラッツィエ、チャオといった挨拶の言葉に、数字の1から4まで、ウノ、ドゥエ、トレ、クワットロ。

なぜクワットロを知っていたかというと、それはピッツァのクワットロ・フォルマッジがあったから!


近所にイタリア語教室がオープンした

当時の私は通勤に、新交通ゆりかもめを利用していました。
新橋で地下鉄に乗り継ぎ、都心の会社へ通う日々です。

出張から戻って最初の出勤日。
いつものようにゆりかもめに乗っていたら、新橋手前のビルの窓に「イタリア語教室」と大きく書いてあるのが見えました。
ウソみたいですけど、それまではなかったのです。

さっそく訪ねて行ったら、なんと12月から始まったばかり。
出張が11月終わりから12月初めだったので、イタリアに行っている間に看板が掲げられたのですね。
もともとはスペイン語とフランス語だけをやっていたそうです。
そこにイタリア語も加わったということでした。

イタリア語はアルファベットのローマ字読みで通じることをご存じですか?
「ローマ字」と言うぐらいですからね。
出張中にそんなイタリア語の聴き取りやすさに感銘しました。
英語より断然、聴き取りやすいし発音もしやすい。
イタリア語の文法さえ理解すれば、簡単に話せるようになるんじゃないかと思ったのです。

そこへ来て近所にイタリア語教室オープンです。
これはもう通うしかないでしょう。

1人目はフランス系イタリア男

私はそのイタリア語教室で最初の生徒になりました。
まだ他の生徒がいないので、必然的にマンツーマンレッスンです。

先生は日本語がほとんどできない人でした。
私はイタリア語の基礎すらないレベル。
どうやってコミュニケーションを取っていたのかというと片言英語を交えてです。

ハッキリ言ってどんなことを教えてもらったのか、ほとんど覚えていません。
というのも、その先生は1か月ぐらいで辞めてしまったから。
一つだけ強烈に覚えているのは、先生が辞める前に話していたこと。

日本には長期休暇がない、1週間ぐらいの休みではフランスに帰省することもできない。

え?なんでフランス?
と思ったら、ご両親の代でフランスに移住したイタリア人だったのです。
きっとその先生は、フランス語教室のほうもやっていたのでしょうね。

最後のあいさつもできないまま、というか明確なコミュニケーションが取れていたわけではないので分かりませんが、もしかしたら先生的にはそれが別れの言葉だったのかもしれません。
とにかくその次に学校へ行ったら、すでに辞めたあとで新しい先生が来ていたのです。

2人目は日本語ゼロのイタリア男

2人目の先生は学校が慌てて探した人材、またはつなぎの人材でしかなかったのかも。
ほかの学校でイタリア語教師をしていて新橋にはバイト的に来ているような感じでした。

そして、生徒は相変わらず私一人だけ。
土曜の午後1時からの新橋でのクラス。
普通のOLはきっと会社帰りに通っていたのでしょうね。
私の場合、平日はいつ帰れるか分かったものではありません。
かろうじて時間が捻出できそうな土曜の午後を選んだだけなのですが、安い金額でマンツーマンレッスンができてラッキーでした。

その先生とは文法やプリントを淡々とやっていて、宿題もありました。
いま考えると日本語が話せなかったのではなく、イタリア式の外国人にイタリア語を教えるメソッドどおりにやっていただけかもしれません。

というのも、その後、イタリアで通った語学学校では授業中は英語禁止、分からなくても何でもとにかくイタリア語しか使っちゃダメ!というものだったからです。

3人目は今では有名なあのイタリア男

2人目の先生と2か月ほど一緒に勉強したころ、今度は3人目の先生が来ることになりました。

今度の先生は日本語が完ぺきに話せるイタリア男。
母親が日本人のハーフだったからです。
彼はローマ生まれのローマ育ち。
それまでの先生にはないアグレッシブなタイプでした。

彼の授業はとても変わっていて文法はゼロに等しく、会話重視、しかもイタリア的なシチュエーションを演じるようなスタイルの会話クラス。
たとえば、ある日の授業はこんな感じ。

向こうからステキな人が歩いてきた。
キミが最初にかけるべき言葉は「せい・ふぃだんざーと?(決まった人がいるの?)」だ。
はい、僕が向こうから歩いてくるから、やってみて!

イタリアでは男女が出会えば会話はそこから始まる。
そこをハッキリさせることでその後の会話展開も変わってくるから、ということでした。
私は生真面目なタイプなので、その先生のこうした会話クラスがホントに苦手で楽しくもなんともありませんでした。

でもいま思えばあの先生はとても正しかった。
イタリアに暮らすようになって分かったのですけど、本当にこれがとっても重要だからです。

その先生はローマから東京に引っ越してきたばかりで、とにかく東京で生きていくために、イタリア語を教えたり料理教室をやったり何でもやるのだと言ってました。
イタリア語教師の資格保持者ではないので他の正式な学校では雇ってもらえなかったのだと思います。

あれから20年。
驚くべきことに現在ではテレビや雑誌でおなじみの「イタリア男」になってます。

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