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機械と生物の間で

僕が暮らす街には大きな博物館があります。

今でこそピカピカですが・・・こどもの時にはなぜか駅のなかに組み込まれた分室と、期間限定でしか開かない本館という二部構成になっていました。どちらも実験室のような薄暗い空間と、細い通路に標本が並んでいる・・というトラウマになる一種独特な不気味さがありました。いまでも時々、標本の間を通る悪夢を見ますもんね。

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コロナの影響で開催期間中に博物館が閉鎖になってますが・・・ちょうどこの場所で落合陽一さんの作品展が開催されています。

このトークの中の中で博物館と美術館の差についても語られてるのですが・・「美」を基準にキュレーションがされている美術館と、その地に関わる博物を集めた博物館の違いを実感する展示でした。

「デジタルネイチャー」は出版された当時に結構難解な本といわれていたので、なかなか手にとれませんでしたが、この展示をみるにあたって手にしてみました。たしかに無生物である石と似たような構造をもつオウム貝をみると、生物とはなにか・・みたいなことを考えさせられます。生物とコンピューターの境界線という考え方としてはややぶっ飛んでるんですが、理論は整然としていますし、かなり興味深い本でした。

幾つか印象にのこったのは「コンピューターはリスクをとることを苦手としているが、人はリスクをとるとモチベーションがあがる」「記憶はコンピューターによって記録され、人間の人生よりも長く長く残っていく」「ユビキタスコンピューティングの発展の先に『実質』と『物質』の境界、『人間』と『機械』の区別が融解されたデジタルネイチャーという未来がやってくる」といったエピソードかな。

あとは「数千年を生きるAIにとって80年程度の寿命しかない人類に興味はない」って視点はAI脅威論の反論としては面白い、と思いましたね。なにごとも食べず嫌いはよくないんで、理系の本も苦手意識をもたず今後は読んでみようか、と。

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デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂(2018年、落合陽一、PLANETS)



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