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迷 彩 文 學 斷 篇

       本 社 菊 池 與 志 夫

   大晦日の散歩

 大晦日の午後の銀座を散歩するのが

好きで、歳末行事の樂しみにしてゐる。

古い日記帳を讀んでみると、僕のこの

習慣は十五六年も前から始まつてゐ

る。長い歳月のあひだには雨の日もあ

つたが、不思議に大晦日は小春日和の

日が多く、橙だいいろの冬のやはらか

い日射しを、外套の袖で掬ふやうにし

て、ぬくぬくと身を溫め乍ら、いつも

長閑な散歩をしてゐるのである。

 正月の仕度で慌ただしい家人のざわ

めきや、街上の雜然とした往來などに

無關心で、僕は午後一時頃の銀座鋪道

に第一歩を踏み入れる。まづ新橋から

左側の店の飾窓を見て行き、京橋の手

前でそのまゝ引返して、今度は露店を

見て歩るく。尾張町を越へると年の市

の出店が竝んでゐて、羽子板とか、盆

栽とか、お飾りや鯊の甘露煮などを賣

つてゐるのを見ると、ことさらに正月

らしい氣分になつて、こんな歳晩の忙

しい日に、何んの屈託もなく、心ゆく

ばかりのんびりと散歩のできる、自分

の身の上をありがたく思ふのである。

交叉點を中心にして一町ばかりの間

は、急に人の雜踏が甚だしいが、それ

を過ぎると混雜もややうすらいで、間

もなく元の發足點へ行きつく。そこで

今度は電車路を向ふ側へ渡つて、同じ

やうに右側の鋪道を一往復するのであ

る。

 ふだんの銀座はどことなく似而非貴

族主義とも名づけたい、一種不快な雰

圍氣が漂つてゐていやだが、大晦日の

散歩者には民衆的安易な氣分があつ

て、こせこせしてゐないのが、僕には

何より好もしく思へる。それに夜にな

ればどうか知らぬが、晝のうちは醉漢

遊歩道としての銀座の世紀末的な頽廢

氣分もなく、我が世の春を心ひそかに

謳歌し乍ら、ゆつくりと氣ままに歩る

く、僕のやうな散歩者の心をかき亂す

ものはない。

 こうして最後の僕の散歩コースのな

かば迄來ると、午後四時頃の冬らしい

夕陽が逆光になつて、人も建物もシル

エットでそれは地上風景とは思はれな

いほど、幽幻な、怪異な氣分につつま

れてくる。

 去年の大晦日は風のない穏かな日和

で、風嫌ひな僕にとつては、特にあり

がたい歳末であつた。こののん氣な散

歩を滯なく終へて、新橋驛の高架プラ

ツトフォームへ上ると、恰度芝公園の

森へ沈んで行く、都會の味氣ない日沒

を見た。


   冬のたんぽぽ

 十二月なかばの或る小春日和に、宮

城前の芝生道を散歩したら、枯芝のな

かにたんぽぽの花が咲いてゐたが、ひ

と月過ぎた今日見ると、それはもう白

い絮に變つてゐた。このたんぽぽは、

ほんたうの春になつたらどうするのだ

らう。知らぬ顔で又花をつけるのだら

うか。それとも、たんぽぽ仲間の變り

もので、冬にならねば花をつけたくな

いのだらうか。三月になつてそれを確

かめるのが、僕には樂しみである。


   子孫

 役者といふものは、自分の子供を悉

く役者にしやうとするが、相撲取はさ

うではないらしい。この點子孫に對す

る考へ方は相當違ふが、只一つの共通

點は、どちらにも厭世家や逆上的熱血

漢がゐない故か、彼らの社會から自殺

者が殆んど出ないことである――春芝

居と春相撲も見乍ら、僕はこんなこと

をぼんやり考へてゐた。


   藪入り

 正月と盆の藪入りといふ風習は、年

每に寂れて行くやうであるが、小奉公

人の年中行事の一つの樂しみとして、

未だに行はれてゐる。勞務組織が近代

化して、各商店は追々これを廢止しや

うとしてゐるが、古い、根强い習慣を

全く打破することは、仲々容易でない

し、小僧さんや中僧さんが折角これを

樂しみにしてゐるのを、全然やめて了

ふのは酷である。僕はこういふ昔から

行はれてゐる、無害の慣行とか、行事

とかいふものを、無理にやめるには及

ばないと思ふ。一月十五日には他家へ

奉公してゐる妹と弟とが藪入りだとい

つて泊りがけで遊びに來た。いづれも

主家から、それ相當の土産や賞與金を

貰つて、半年間の骨休めに親元へ歸り、

元氣のいい顔でいろいろと將來の抱負

を語り、共に喜び、前途を祝福し、激

勵し合ふのである。こういふことは決

して無意味ではないと思ふ。日本特有

の家族制度の美點を遺憾なく發揮して

ゐるし、慈愛に充ちた主從關係が眞實

流露として、誠に淳風良俗だと信ずる

ものである。


   鳩

 日比谷公園の心字池の池畔に、傾斜

になつた芝生がある。或る小春日和の

午後、その芝生の上で數羽の鳩が日向

ぼつこをしてゐた。散歩連れの××君

が、「あの中の一羽をよく見給へ。」と

云ふので、指す方へ眼を向けると、成

程一羽だけ鳩胸を精一杯つき出して、

へんに氣取つたやうな恰好で、あちこ

ちと仲間の傍を歩るいてゐる。「あれ

は何をしてゐるのか知つてゐるかね。」

と××君が續けて訊いたが、鳩のこと

には一向に不安内な僕は、卽座に「知

らんよ。」と答へた。

「求愛してゐるんだよ。」

××君は鳩のやうにククククと笑ひ

乍ら、ラグビーで鍛へた大きなからだ

をゆすぶつた。


   表彰

 ××新聞社で、二十五年勤續社員の

表彰をした。四十年も五十年も勤續の

人がざらにある今日、何もとりたてて

珍とするには足らぬが、何にしても同

じところに人生の半分に相當する歳月

を、つつがなく勤め上げたといふこと

が祝賀に値すると思ふ。この場合、勤

續者の努力、健康、境遇的幸福等を祝

福するのは無論であるが、何よりも先

づ、百人百態の氣むづかしい人間を多

年勤續せしめた傭主の榮譽こそ、第一

に慶賀さるべきであらう。勤續者の表

彰と同時に、多くの多年勤續者を有す

る傭主を表彰する制度があつてもいい

と思ふ。


   病氣

 心身ともに一點の汚濁なき、健全な

人といふものはあるものだらうか――

と慢性胃腸病と腦貧血症の僕はそんな

ことを眞面目に考へてみる。からだの

どこにも故障なく、頭は清澄で冴えき

つてゐる人ほど、幸福な者はないと思

ふ。快刀亂麻の仕事をするには、こう

いふ人でなければ出來まい。氣力はあ

つても、からだの調子がこれに伴はな

い時は、只徒らにあせるのみで錄な仕

事は出來ない。社會へ出てから二十年

になるが、年を重ねるに從つて持病は

惡化し、それと反對に精神は沸騰する。

この矛盾と苦闘するだけでも、身心の

消耗は戰慄すべきものがある。胃腸か

ら醗酵する毒素が頭に上り、くらくら

と眩暈がする。それが神經を異常に

刺戟して精神力が亂高下するのであ

る。

 夏目漱石氏が有名な胃腸大患後、修

善寺溫泉で靜養中の或る日、見舞に來

た森田草平氏と、浴槽の中で語り合つ

た時に、「この胃さへ傷まなかつたら、

この胃さへ傷まなかつたら・・・。」と腹

部に手を當て乍ら悲痛に堪えぬ表情で

聲を絞つて話されたといふことを、友

人からきいて、僕は漱石氏の心情に滿

腔の同情を覺え、氏のいかなる作品よ

りもこの一語に感動させられたのであ

る。


  志賀直哉全集

 改造社から「志賀直哉全集」が出版さ

れてゐる。僕は年少の頃から氏の作品

を文章道の手本とし、氏の生活態度を

畏敬し、ものの觀察力の修業に努力し

たが、今、全集の作品を讀み返して見

て、更に感動を深めるばかりである。

昔と變らず一種の威壓を受け乍ら、襟

を正して讀み讃嘆するのみである。谷

崎潤一郎氏もいい、佐藤春夫氏もいい、

永井荷風氏もいい――これらの人の作

品にも傾倒し、今だに愛好はしてゐる

が、それは僕の腹の中の虫が好くから

であつて、志賀氏の作品に對する態度

ほど謹嚴なものではない。この全集は

菊版で本文十二ポイントの大活字を使

つてある。少說集で本文をこんな大き

な活字で組んでも、不自然でないのは

ひとり志賀氏の作品あるのみと思ふ。

我われのやうな文筆を專問としない者

にとつても、こふいふ作品を時折讀ん

で、混濁した生活態度を淨化し、人生

に對して高尚な、深遠な、銳利な觀察

力を養ふ必要があると思ふのである。

   藏書票

 愛書趣味が昂じると、誰でも藏書印

や藏書票が欲しくなるものらしい。僕

が愛讀してゐる雜誌に「書窓」といふ

のがあつて、發行所はアオイ書房であ

る。これは中野の酒屋さんで志茂太郎

といふ人の道樂仕事で、本のことなら

どんな損をしてもいいといふ、今の世

には珍らしい無算當な、良心的な人が、

畫家の溫地孝四郎氏と共に編輯をして

ゐるもので、雜誌といつても月刊では

なく、年に四册ぐらい、ほんたうに氣

に入つたものだけを出版するといふ譯

で、一册二圓以上の實に贅澤なもので

ある。然も會員組織で番號入りの限定

版雜誌である。この「書窓」が藏書票

特輯號を出して、いろんな人のつくつ

た藏書票を収錄して、我われ愛書家を

喜ばせたが、僕はそれを見て矢も盾も

たまらず、藏書票が欲しくなつたので、

志茂氏に賴んで作つてもらつたのだが

ここに掲げたものである。これは川上

澄生氏の作で、版木は兩面に刻つてあ

る。刷上りは黑と沈靑の二色刷である。

版木代は五圓で、刷り代は百枚一圓で、

これは特に會員には安くして呉れ

たらしい。僕はとりあへず三百枚

刷つて貰つて、愛藏の本に貼りつ

けて喜んでゐる。一枚三錢足らず

で一流作家の藏書票が手に入るの

だから難有いと思ふ。「書窓」は昨

秋「紙の研究」といふ特輯號を出

して、和洋氏に關する記事を滿載

した。その他「竹久夢二遺作集」な

どは、ソロバン高い出版屋の夢に

も出來ない、素晴しい、いい本で

我國にもこんな高踏的な出版者が

ゐるかと思つて、我われ本のジレツタ

ントは嬉涙が出る。

       ↓ 川上澄生作 一銭亭蔵書票


   或る日

 一月なかば過ぎに或る日、重い外套

も冬服も脱ぎ捨てて、春服に替へたい

ほどの暖い日があつた。公園を散歩し

て見ると、花壇の芝生に二寸ほども伸

びた雜草の靑い葉が交つてゐる。樹木

も花卉も、思ひがけぬ暖氣に、木肌が

ほんのりと汗ばんでゐるやうだが、大

寒を目前に控へて、決して氣は許せぬ

ぞといはんばかりの緊張さが、見るもの

の心にはつきりと傳はる。こういふ時

に人間は、うつかり油斷をして風邪を

ひく。草木のごとく自然に從順なれ―、

と自分の心にひとむちあてて公園の晝

の散歩から、スチーム暖房のある室へ

歸つた。

   藝術

 一天雲なき冬の良夜、滿月仲天

にさえへ、烈々の寒氣、心身に滲み

徹る。感情が枯死し、風流に傾倒

する域に入らぬ自分は、この月明

に好夜に彳んで、徒らに嘆息する

ばかりである。「ああ、いい月夜

だ。」人間は誰れでもこれだけは

云ひ得る。が、凡、非凡はこれか

ら先きの問題である。僕は表現力

なきものの悲哀を痛切に感じた。

   心構

 長谷川伸氏の随筆集「股旅の跡」を

讀んでその一本氣な生活態度に感動し

た。氏は作家であるから、何を觀ても

作家的感受を第一とする。その他の夾

雜物には見向きもしない。このひたむ

きな心構へと熱情が貴重なので、これ

はひとり作家だけでなく、あらゆる職

業の人の學ぶべき點であらうと思ふ。

例へば書中「ゆばり(三)」に斯うい

ふことが書いてある。

歌舞伎古典の「勸進帳」は、所要時
間が長いので、幕開きの鳴り物は、
用意はよきか、遺漏はなきかとその
爲の鳴り物だといふ說を、松本幸四
郎君が主張してゐると傳聞してゐ
る。詰り、涕かむものは早くかめ、
尿するものは早くせよといふのであ
らう。しかし、「勸進帳」の所要時
間は長い、その爲に、開幕前に用意
を拂つたが、嚴冬のときなど半ばに
して尿を催すといふことが無いとは
されない。さういふ災ひに遭遇する
ものは俳優と長唄の太夫には殆んど
ない。三味線、鳴り物の人々に殆ん
ど限られてゐるといふ。その場合に
怺へて怺へきれなかつたらどうする
かが問題である。代用尿器をつかつ
て無事をはかるといふ事もある、斷
然垂れ流すといふ事もある、杵屋榮
藏君の如きは垂れ流しの覺悟をもつ
てゐるといふ。
清元梅吉君はそれについて、「文樂
座の太夫にさういふ事はないが、三
味線の方にはさういふ事がある。義
太夫は長い時間のものが尠くないか
らである。さういふ時に心ある人は
朝から湯茶を斷つて舞臺に出る、そ
れでも尿を催し、いかんともならな
くなつた時は平然として垂れ流しを
やる、これは文樂の方で、些かも恥
辱とされてゐない。」と、垂れ流しを
當然としてゐる。
私は戯曲をつくる時に、尿を排しに
起つことをいつも吝む、もとより尿
を吝むのではなく時間を惜むのでも
ない、尿調

。身ぶるい
の起るまで私は排しに起たない。
さるにても、垂れ流しにして三味線
の音曲に變化がない境地にはひれる
ほどの修業を經たものは、人として
羨仰に値するものである。

 傍點は僕がつけたのだが、この心構へ

が僕の衷心に强く響くのである。


   咳

 僕の知人の或る畫家の話によると、

夜、寢てゐる人達の咳をする時間は大

概一定してゐる、夜中の二時頃が一番

多い、この時刻になると、旅館などに

泊つてゐる場合、あちこちの室から咳

が聞へて來るといふのである。

   入浴

 僕は入浴が好きで、未だ沸ききらな

い微溫湯のうちに湯槽に浸つて、火を

焚きつけて置くと、だんだんに熱さが

增してくるのが身體に傳はる、その長

い間快く肌で湯に戯れ乍ら、出たり入

つたりして、うつつともなくただぼん

やりしてゐるのが好きなので、ぬるい

湯が程よく沸く迄の間が何んとも云へ

ぬ樂しみである。。

   備忘錄

 備忘錄といふものは餘程頭のいい人

でも必要だといふことを何かの本で讀

んだが、僕のやうに今のことを片端か

ら忘れて了ふたちの者には是非入用で

ある。何か考へが浮んだら直ぐ書きつ

けて置かぬと、あとかたもなく消え萎

んで了ふ。道を歩るき乍らでも、便所

でも、風呂場でも、寢床でも、どこで

も使へるやうな、萬能備忘錄のいいも

のが欲しいと思ふ。江口夜詩といふ作

曲家は、便所で作曲出來るやうに特殊

な裝置をしてゐるさうだが、どんな風

な仕掛か是非見たいものである。

   革新俳句

 日野草城氏は山口誓子氏と共に、新

興俳句陣のパイロットで、そのモダニ

ズムと表現の快調は、吾われの生活感

情に最も近い。ホトトギス派の花鳥諷

詠も、水原秋櫻子氏もいいが、どんな

素材をも對照として、現代生活の核心

に觸れる革新俳句にも、感動深きもの

が多いことを、俳句文學全集を讀んで

始めて知つた。ふだん俳句雜誌などを

餘り讀まぬ僕は、うかつにも今頃それ

に氣づいたのである。

俳句文學全集の「日野草城篇」と「山

口誓子篇」を讀んで、草城氏の俳論の

冴えには全幅の敬意を表するが、「海

月」のやうな一歩誤ればエロ本になり

さうな少說はいやだ。俳句は斷然、山

口誓子氏がいい。洗練られたる都會人

的生活派の俳句では、誓子氏が第一人

者だと僕は獨斷するのである。

   鰻まむし

 元旦の晩から伊勢参宮をして、京都

の新京極と大阪の心齋橋筋をぶらぶら

して、そのまま東京へ歸つて來るのが、

玆數年來の僕の年頭行事の一つであ

る。新京極では大黑屋といふ鰻まむし

屋で、二十五錢の鰻まむしの丼を一つ

食べる。藤澤恒夫氏の「花粉」といふ

少說を讀むと、大阪人の金持の老人が

若い娘と一緒に鰻まむしを食べに入つ

て、飯の上に載つてゐる二切れの鰻を

竹の皮に包んで袂に入れ、丼の蓋をし

たまま倒しまにして垂れを飯に浸ませ

て食べる場面があるが、僕はそれを食

べるたびにその少說を思ひ出して可笑

しくなる。それともう一つは、僕が十

七歳の頃函館商業學校生徒の修學旅行

に加はつて、大阪へ來た時、新世界前

の或る店で鰻まむしも食べて、頬ぺた

が落ちさうに美味かつた印象が今だに

はつきり頭にのこつてゐる。それはそ

の頃十八錢であつた。それから二十年

も經つてゐるのに僅か七錢しか上つて

ゐない。こういふものの物價騰貴は知

れたものだと、他のものに比べて不思

議な氣がするのである。

   寒行

 或る年の一月寒入りの日、僕は、身

心練磨を思ひ立つて湯河原不動瀧で寒

行をした。瀧茶屋の頓狂庵主人の好意

で、二疊の小屋を借りて自炊をし乍

ら、一日五回瀧壺に通つて四十尺の瀧

水に打たれるのである。僅か四十尺の

落水ではあるが、その壓力はすざまし

いもので、始めは一分間が漸くである。

ごうごうたる水音に加へて、縱横から

大鐵槌で頭や肩を打ちのめされるやう

で、直立は許されない。これに向つて

捨身の鍛錬をすると、軈て十分間位打

たれても左程疲勞しなくなる。ことに

壮絕なのは午前二時の八つ行である。

燈火なき寒夜、手探りで瀧壺にたどり

つくと、聞ゆるものは只耳をつんざく

落水の音ばかりである。躊躇は無用と

身を捨てる覺悟でおどり込むと、あと

は無念無想、兩眼をカツと見開いて、

水中から闇の彼方の夜空を睨むと、夜

風にざわめく樹間を透して、星のまた

たきを望見するのみである。

 或る晩、この行を終へて瀧壺から出

やうとすると、眼前の岩の上に佇立す

る人影がある。彼は瀧のしぶきを浴び

て全身びしょ濡れになり乍ら、僕が近

づいても猶ほ合掌したまま、わなわな

震へてゐる。不思議に思つて自炊所へ

案内して譯をきくと、その男は―勤先

きの團體旅行に加はつて廣河原の溫泉

宿へ來たが、宴會の醉にまかせて同僚

數人と湯河原の町へ行き、そこで遊興

をすすめられたので、斷然それを振り

切つて勝手を知らぬ夜道を歩るいて、

こゝ迄迷ひ込んだのです。あなた方が

この深夜に瀧に打たれてゐるのを見て

醉も覺め果てて感動の餘りあそこで拜

んでゐたのです。僕はもう酒をやめま

す。そして今夜のこの感激を永久に心

に収めて立派な人間にならうと思ひま

す。――未だ二十二三に見受けられる

その靑年は、爐の火で、濡れたドテラ

を乾し終へると、厚く一禮して立ち去

つたのである。その後その靑年とは再

び會はないが、どうしてゐることだら

うと時折思ひ出す。僕はその後、この

瀧や高雄山の琵琶瀧、蛇瀧などで數十

回の瀧行をしたが、その夜程の感動に

打たれたことはなかつた。

 僕は今、虚弱な心身にむちうち乍ら、

每朝バケツに五杯の冷水を浴びてゐる

が、水道の凍るやうな寒い朝など、少

しでも心がひるむことがあるご、あの

靑年の誓言を思ひ出して、自勵の禊に

してゐる。

  (昭和十三年一月三十一日深更)


  (「王友」第十五號 
        昭和十三年四月二十五日發行より)


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                                        紙の博物館 図書室 所蔵


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↑ 竹久夢二遺作集 頒布会員錄 二十七番に菊池義夫
  (書窓 第三巻・第三號 昭和十一年八月五日發行)


↑ 「書窓」蔵書票頒布會
   (書窓 第四巻・第四號 昭和十二年五月廿一日發行)


↑ 九名の作家に二十四名の応募があった。

                                           国立国会図書館 所蔵

(書窓 第五巻・第四號 昭和十三年二月十五日發行)

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