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国民総犯罪者時代に期待かな?!

モノは言いようです。

「世界は、自分がみたいように作ることができる。自分の意志で、いかようにでも変えられる

このように考えると、自分の意志の持ち方というのが、非常に大切になってきます。

私たちが住んでいる世界をどのようにしていくかは、私たち自身の見方次第で、いくらでも決めることができるという話があります。
それはスピリチュアルでも何でもなく、科学的な話として、そうした言い方ができるのです。

「人は見たい世界で生きる」より引用

自分の意志次第で、世界を変えられるわけですから、その力をどのように活かすかは、言うまでもなく重要です。

しかし、逆の言い方もできます

この宇宙は、生まれたときに、既に結末まで決まっている自分の意志などというものすらも、存在しないに等しい

要は、この宇宙ができたときから、この宇宙で起こるすべての物語は、当たり前のことの集積として決定づけられているし、結末も決まっているのではないかということです。

「自由意志がない?・・・うまくいくっ!」より引用

過去・現在・未来までのすべてが包括されているようなブロック宇宙論のような考え方によれば、自分がどのように考えるかということすらも、既に宇宙が誕生した時点で決定づけられているということになります。

そのように捉えると、何かを変えようという意志すらも、既に宇宙誕生時から決められているということになり、そんなに一所懸命になる必要がないとも言えるわけです。

意志で世界を変えろ!!
意志は既に決まってる!!

結局、どっちも正解で、どちらでもいいということです。

しかし、この世界では、そのどちらかが正解、もしくはどちらかに真理があるかの如く信じ込まされがちだし、思い込みがちです。そこに注意が必要なのです。

モノの見方、捉え方によっては、いろんな言い方ができるということが重要です。



さて、ここまでが前置きです。

社会の動きは、私たちが想定したとおりになってきています。

実質賃金は下がり続ける一方で、モノの価格は上がり続けています。私たちが納める税金は増え続けるなか、行政が何をやっているかと思えば、大量の犠牲者を出しているにもかかわらず、医療利権へのバラまきを続けてみたり、水道などの公共サービスは切り離され、民間に売り渡されるような行為に走られたり、私たちの健康や生活の質向上とは無関係な使われ方ばかりが目立ちます。

ここで言われていること・・・いちいち、ごもっともです。

ごもっともすぎて、「ふざけるなー!」、「バカヤロー!」と言いたくなる気持ちも分かります。そして、問題は、これらに留まりません。ここで語られること以外にも、深刻な問題は山積しています。もはや、全部を書き出せるか、自信をもてなくなるほどです。

でも、「バカヤロー!」で済ます手はありません

もう一度、先ほどの一文を載せておきます。

「モノの見方、捉え方によっては、いろんな言い方ができるということが重要です」


これを、今の社会に当てはめてみます

政治が、これだけメチャメチャだと悪いことばかりではありません。むしろ、良い面も強くなってきています

私が期待したいのは、国がメチャメチャになればなるほど、その仕組みに頼ることを諦め、そこから静かに離脱してくる人々が増えることです。そして、そういう人たち同士が、繋がることができれば、それはまたひとつの大きな力になると思います。
国民負担率が重くなるという話は、そういうシナリオに向けて、必ずしも悪いことではありません。むしろ、着実によい方向に進んでいるとも言えます。

「ヒドイ政府も怒る人々も関係ない」より引用

あまりの重税となれば、本当に税金を払えなくなる人々が増えてきます。税金が、みんなの納得がいく使われ方をしているのならともかく、これがハチャメチャであればあるほど、もはや税金なんて払ってやるものかという人々も、大勢出てくることでしょう。

それが百人、千人、一万人ではなく、数十万人、数百万人になったとき、それらの人々を犯罪者として検挙できるかは、見ものです。

WHOや政府が、勝手にやるのも結構です。

パンデミック対策という名目のもと、政府が国民の行動に制限をかけたとて、「そんなのどこ吹く風」で、まったく言うことを聞かない人々が、これも数十万人、数百万人、数千万人となったとき、それらの人々を政府が犯罪者として、取り締まることができるかは注目に値します。


結論から言えば、できません。

そんな大量の犯罪者を取り締まることはできませんし、拘束することも不可能でしょう。

いくら政府などの統治機構が、素晴らしい管理体制を敷いたとしても、崖っぷちに立たされて、死ぬも生きるもギリギリになった大勢の人々が、政府を当てにせず、頼ることも諦め、すべてを自分たちで何とかしようと思って立ち上がった時、彼らは大量の犯罪者集団になるはずです。それと同時に、彼らは、そこに属する国民ではなくなるでしょう。

それはつまり、国家の終焉を意味するのです。

孔子は、政治の要諦として、「軍備、経済、信用」を挙げ、このうち捨ててもいいのが「軍備と経済」であり、「信用」なくして政治は成り立たないと言ったといいます。

「民の信用を失った国家の行く末」より引用

逆に言えば、今はまだ、政府・国家など統治機構の政策が生ぬるくていけません。まだまだ、皆さんが不平不満を言いながら、何とか生活を維持できるレベルなので、犯罪者になるほどではないのです。それは、私自身も然りです。

しかし今後、さらに締め付けが厳しくなってくれば、「もうさすがに無理だわ」というラインまでいくことでしょう。そういう人々が、大勢出てきたとき、国家は統治すべき国民を失い、自ずと瓦解していくはずです。


一方で、今、私が進めているのは、(農業を含めて)たとえそういう状況になったとしても、自分たちが生活を保ち続けるための仕組み作りです。

どこの誰だかが作ったのかもよく分からない、近現代国家の仕組みから脱却し、自分たちが作った仕組みで、自分たちの暮らしを守ることができるようになるとしたら、そんな楽しいことはありません

そう考えたら、今の社会情勢について、「バカヤロー!」だけで済ますなんてもったいない限りです。


冒頭に述べた通り、モノはいいようです。

悲観するのも結構ですが、同じくらい楽観するのも大切かもです。そうすることで、自ずと、自分がやるべきことがみえてくるかもしれません。



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