いよいよ50になりました
ついに私も、大台に乗ってしまいました。
私の誕生日は、初代・神武天皇の命日ともされており、各地の神社では、神武天皇祭が執り行われているはずです。このあたりの因縁、私なりには、ちょっと面白いと感じています。
たまたまですが、私の誕生日が、神武天皇祭が執り行われる4月3日だったことで、日本という国の成り立ちについて、いろいろと勉強をしていくきっかけを与えてくれました。
そして、その結果、神武天皇から始まる「武」の天皇、すなわち武内宿禰たちによる国造りの物語に辿り着きました。
こんな時代だからこそ、今の皇室が、本当に神武天皇から始まった建国の精神を守ってきたのか、今一度、きちんと考えてみてもいいのではないかと思っています。
場合によっては、今の皇室は、神武天皇が建てた国を簒奪した可能性だってあるわけです。その時点で、神武天皇が造った国は、その精神を殺されていたかもしれません。
そう考えていくと、保守や右翼を自称する人々が、皇室さえきちんと奉ってさえいれば日本の国体は保たれる、と考える姿勢にも疑問を感じずにはいられません。所詮、記紀(古事記と日本書紀)に基づいて、それを正史と仰ぐだけの歴史観では、本来、神武天皇が建てた日本という国の精神(和の精神)は、みえてこないと思うのです。
今の皇室の祖神でもある天照大神は、出雲の大国主大神から国を奪いました。その時点で、何かがおかしいと気付かなければなりません。
ちなみに私の両親の結婚披露宴には、当時、昭和天皇の信頼篤き入江侍従長にも来賓としてご臨席賜っている関係もあり、皇室にはご縁を感じています。したがって、私自身、皇室憎しで書いているわけではありません。
純粋に、日本という国の歴史や建国の精神を考えたいだけです。
今、あらためて大国主大神の子孫たち(私たち日本人)は、そうした建国の歴史や精神と向き合って、新しい国のかたちを考える時期に入って来たのではないかと思います。
要は、国ありきで考えるな、皇室ありきで国を捉えるな、ということです。
まずは日本人ひとりひとりがいて、そのひとりひとりがいるからこそ、国が成り立つという当たり前のことを、あらためて考え直す必要があります。ひとりひとりが重要であり、そのひとりひとりが考えて、「国が必要だな」と思ったところから、国を造り直せばいいということ、今一度、超真剣に考えるべきでしょう。
この世に生まれて半世紀・・・もし、神武天皇が生きていたら、こんなことを言うんじゃないかな?みたいな気がしたので、ちょろっと書いてみました。
そんなわけで、日本人ひとりひとり、頑張っていきましょう。
50歳になった私も、引き続き、これまで以上に頑張ってまいります。
ただ、50という節目だし、「人間50年・・・」などとも言いますし、人間としての生き方には一区切りつけて、今後、記事の更新頻度は、ちょーっと落としつつ、これまでの人生とは一味違った道を歩んでいこうと思うのでした。
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