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どうしようもなく冬である、けれど


今朝は小雪が舞っていた。とても、寒い。
でもこの寒さも永遠ではない。やがてうつろっていく。

父は竹のステッキを持っている。寒竹というのだったか、介護用品というよりは父のモノ道楽の象徴のような一品で、リハビリに持参したりすると驚かれる。直径3、4センチの根竹が、美しく節を艶めかせて連なる。いまは飾りのようになっていて、室内の手摺にかけられ、人が触れるとカランカランと鳴る。

そのカランカランがしばらく鳴りやまない。これは、と思って起き出していったのが昨夜の2時40分頃だった。ベッドサイドで立ち上がれなくなった父がいて、ステッキのかかった手すりにつかまってどうにか立とうとしているところだった。両手で掴まれるところまで移動して、背中側から介助して立たせる。
怪我も何もないのは幸いだった。父が再び寝み、自分も寝室に戻っても、脳が冴えてしまったのかその後は眠れない。

なんかまるで大変な介護をしているみたい、と思ったりもする。加齢という万能薬のおかげで、大きく感情をふるわせるエネルギーも少しずつ弱まっているのだろうか。静かに時をやり過ごす。朝刊を届けるスクーターのエンジン音を遠く近く聞く。
これもまた永遠ではなく、もっと寝られない夜や、反対に深く心身を休められる夜がいずれ、巡ってくる。


大寒を過ぎた。
庭の梅は古木だが花を咲かせ実をつける。去年は実が少なかった。成り年とそうでない年とがある。今年は蕾は多いように見える。こうして梅のことを気にして、まるで人生の後半を歩く人みたいだ。まるで介護みたい。まるで後半生みたい。
いつまでも愚かなままだが、この愚かしさを失ったら本当に老いてしまうのだろうとも思う。


ぐらぐらと感情が揺らげば、どこかでそれを俯瞰して愉しんでいるような自分もいる。
このどうしようもなく冬である日々を、描いたり、書いたりするのだ。
きっと乗り越えていける。





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