見出し画像

エッセイ | 近くて遠い

身近な存在になっているものほど、その存在に気付けないことがよくある。その逆で、身近にあるがために、自分が意識しすぎているものもある。

私だとコンビニエンスストアがその代表的存在にあたる。

私は以前からコンビニエンスストアを使用してきた。外出時に飲み物を購入したり、昼食を買ったり。夜遅くに家へ帰っている時は夜食を買っていた。

新商品が出れば気になり、用もないのに店内へ入っていくこともあった。私の生活はコンビニエンスストアを中心に動いていると言っても過言ではなかった。

どこへ行っても変わらずに存在するコンビニエンスストアに助けられていた。


最近になって気づいたことは、私は自分で思っているほどコンビニエンスストアに行かなくなっていた。

どれほど行っていないかというと、少なくとも1カ月は使用していない。それなのに「自分の生活にはなくてはならない存在」のように感じてしまっている。

自分の家から最寄駅に向かうまでの間、2軒のコンビニエンスストアの前を通過する。その通過する時に意識がそちらへ向かうことはない。何も考えず、または別の考え事をしながら通過している。

しかし、これがコンビニエンスストア以外だと変わってくる。


例えば飲食店だ。

私は最寄駅付近にある飲食店をほとんど利用していないのだが、たまにお弁当だけ買って帰ることがある。

そういったお店の前を通過する時は「最近ここのお弁当を食べていないな」と考えたり、「久しぶりに食べたいな」と思ったりするものだ。

また、ドラッグストアの前を通る時も「何か買うものはないかな」や、「最近こっちのお店は利用していないな」と考えたりしている。

それなのにコンビニエンスストアの前を通る時だけは何も考えていない。これに気付いた時は不思議でならなかった。

それならコンビニエンスストアを利用する時はどうなのかを考えてみる。


私がコンビニエンスストアを利用する時はどうしようもない時が多い。

ごはんを食べたいのに周囲は飲食店もなく、スーパーマーケットなどもない。「それならコンビニで買うしかないか」と思わせる状況が出来上がっている。夜遅くに帰ってきた時も当然利用できるお店がないから使用しているのだ。

最近の私はごはんや、急に食べたくなる甘いものを自宅に用意している。そのため急に何かが必要となることはなくなったのだ。そうするとコンビニエンスストアに行く数も減っていく。

実際にも助けられているのだが、「コンビニがあって良かった!」と思う感情によって輪郭が色濃くなっている。

存在感があるコンビニエンスストアは当たり前のように私の生活でもなじんでいるが、その輪郭に触れようとした時に、思いのほか離れたところにいたと気付かされる。



こちらもどうぞ


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?