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エッセイ | 落とされる音に耳を澄ます

スマートフォンの画面に映る文字はきれいだ。かすれることはなく、余白も真っ白なのがいい。紙の文庫本を読んでいた頃のように、飲み物をこぼしてシミがついていることもない。

ただ、画面に映る文字数が少ないことはあまり好きではない。電子書籍が「あり」か「なし」かと話題に上がることも飽きてきたこの頃だが、まだ私はどっちつかずの状態でふわふわとしている。


初めのうちはトラックが向かいのマンションに入ってきたのかと思っていたが、その音は妙に長く続いていた。こんなに晴れているのだから雨なんて降らないだろうと思っていたからこそ、これが雷の音だと気付くのに時間がかかった。

今が昼間ではなくて夜ならば雷の光で気付けただろうが、あいにく今は光っても私には気付けない。

窓から外を眺めても雨は降っていなかった。長く続いていた雷鳴もやんでいる。
「遠くのところでは雷が鳴り、雨が降っているのだろうか」私はかすかにワクワクしていた。

カーテンを閉めてソファに戻ると、待ってましたとばかりに雷が鳴る。
「私に見られるのが恥ずかしかったのかな?」そう思わずにはいられない。せっかく窓際まで見に行ったというのに、諦めて戻ったら鳴るのだから運がない。


空は次第に雲が多くなり、これは誰が見ても曇りと言うだろうなと思う状況になった頃には雨が降り始めた。

シトシトと降っていたかと思えば、すぐにバケツをひっくり返したような降り方になる。手元が狂ったかのような降り方の時、その雨粒が地面をたたく音が好きだ。

室外機が動いている音、車の走る音や人が走る音。いろいろな音が存在していて、普段であれば聞こえてくるはずなのに今は雨の音で何も聞こえない。聞きたくても私の耳に届くまでにたたき落とされる。


私が高校生の頃はこのようなゲリラ豪雨を嫌っていた。自転車で通学していたため、傘をさしながら自転車を押して帰るのが嫌いだった。

ただ、その日は朝から雨が降っていたため自転車で通学をしていなかった。帰ろうと思い昇降口に行くと急に雨が降り出す。
「こんなに降ることってある?」そう思っていると、隣に同じクラスの人が来て、同じようにつぶやいた。

「そういえば、磯森の——」その人が私に関わる何かを言い始めた頃に、ゲリラ豪雨の勢いが最高潮となる。
私は聞こえなかったため近づき「なに? 聞こえないよ」と言うが、その言葉も相手には届かない。
お互いになにを言っても伝わらない状況の中、それがおかしくて笑い合っていた。

「全然聞こえなかったね。笑っちゃったよ」少し雨が弱くなった時に、笑い声を整えながら言われた。
「そうだね。さっきは何て言っていたの?」私は尋ねる。
「いや、聞こえなかったならそれでいいよ。またの機会で」まだかすかに笑いながらそう言って「もう歩けそうだから帰るね」と校門へ走って行った。


向かいのマンションに親子が帰ってきたのが見える。子どもが小さなカッパを着て飛び跳ねている。後ろから母親らしき人がついてくる。普段なら子どもの声がよく聞こえるのだが、今は雨音で何も聞こえない。

いつの日もこの雨は音をたたき落としていく。大切な音を落としたままにしないように、私は聞こえるはずの音に耳を澄ます。



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