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エッセイ | 真面目な見た目で損した

「あの人は真面目な人だから。責任感のある人だから」そんなことを言われて生きてきた。正直なところ、私はあなたが思うような真面目な人ではない。だけど真面目に見られる。それはなぜか。目立つこともなく平凡以下の見た目をしているからだ。

真面目な人なんてこの世の中にはたくさんいるだろう。そもそも、人間どこかしら真面目だろう。何かに対しては真面目なはずだ。あいさつを誰にでもする人は「あいさつをする」という行為に対して真面目だ。スポーツが得意な人は練習をすることに対して真面目で、勉強ができる人も常日頃から勉学にいそしめる真面目な証拠である。

どこかしらかを切り取れば、誰しもが真面目な人のはずだ。なのに「あの人は真面目だ」と言われるのは、目立つ取りえがなく平凡以下の見た目をしているから。取りえがなくても見た目が良ければそちら側で評価される。それもかなわないのが『真面目な人』なのだ。

「真面目な人の顔を描いてください」というアンケートがあったら、かなりの確率で同じ見た目の顔が出てくると思う。ある程度シンボルとなった真面目な人像があるはずで、私たちはそれを軸に他人に対して「真面目な人」のラベルを貼っていくのだ。

「真面目な人」のラベルを貼られると嫌なことは、相手の期待を裏切ってしまう可能性が高いことだ。ラベルを貼ったくらいでそこまで期待をすることも少ないだろうが、小さなミスで「この人は真面目な人じゃなかった。ダメな人だ」となりやすい。

面白い人、かっこいい人、かわいい人、コミュニケーション力の高い人。いろいろなラベルがあると思うが、これらのラベルを貼られたところで「小さなミス」をしてもこのラベルを失うことはあまりない。ただ、真面目な人は正直でウソをつかず、自分に厳しく決め事は絶対守るような正義感の塊でなければならない。少しでも期待に応えられなければ「ダメな人」のラベルに張り替えられる。

「真面目そうですね」そう言う人は何も考えずに言っていることだろう。何も言うことがないから、とりあえず当たり障りのないように褒めとこうと。その言葉がどれだけ「真面目な見た目の人」を追い込んでいくのかを知らないから。

初対面の人に「真面目そうですね」としか言葉が出てこないのであれば、「何か得意なことってありますか?」みたいな質問を投げてほしい。こちらのキャラクターをアピールするチャンスを設けてほしい。

どうか、勝手に「真面目な人」のラベルを貼って私たちの可能性をふさがないでほしい。



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