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エッセイ | そんな日
私が注文したメニューと同じものが、私より後から来た人に提供されている。私はまだ待っているのに。
スタッフが間違えたまま提供しているのではなかろうかと思うが、その後すぐ私にも提供されたため、タイミングの問題だったのだと思った。
斜め前方に座っている人も私と同じメニューを注文していたようだ。そうなると、私たちにはもう1皿料理が届くことになる。きっと同じタイミングで出てくるのだろうなと思いながら、届いた料理を口に運ぶ。
届いた料理を半分ほど食べた頃に次の料理が届く。先に提供されたのはまたもや後から来た人だ。
料理が提供される時に料理名が聞こえる。私と全く同じメニューだ。おいしくて良いよねと、つながりのようなものを感じてしまう。
さて、次に私のところへ料理が運ばれてきたのだが、それは私が注文した料理とは少しだけ違っていた。料理そのものは同じなのだが、かかっているソースが違う。
「私が注文した料理は違うと思うのですが」私がそう伝えるとスタッフは注文内容を確認し、慌てて戻って来た。
「申し訳ありません。違う方のご注文内容でした。すぐに作り直して参ります」スタッフはそう言うと、斜め前方に座る人とも何かやり取りをして戻っていった。
やはりスタッフは私と斜め前方の人とを間違って認識していたようで、メインの料理が出てくるまで間違いに気付けなかったようだ。
私は最初に届いていた料理をゆっくりと食べながら、作り直してもらっている料理を待つことにした。
その間も提供を間違えてしまったスタッフは申し訳なさそうにしており、いたたまれなくなる。
失敗することは誰にでもあるから私はあまり気にしないのだけれど、やはり失敗した本人からしてみればつらいだろう。
高校生の頃に、私が部活で失敗するたびに声をかけてくれる友人がいた。その友人は誰が失敗しても、友人自身が失敗した時でも同じ言葉をつぶやく。
他の部員からしてみれば「適当なことを言うな。問題解決にならない」と一蹴してしまう内容だったが、なぜか私はその言葉に助けられてきた。
今でもつらいことが続くとその言葉を一生懸命に念じている。
このスタッフも、あの時の私みたいにつらい感情にとらわれているかもしれない。だからこの言葉をかけてあげたい。
「今日がそういう日だっただけで、あしたは違う」
けれど、私は勇気をどこかに忘れてきているため伝えることはできず、「おいしかったです」とだけ言ってお店を出た。
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