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エッセイ | いつまでたっても子ども

「そうだ!」という言葉の後に手をパンとたたく音が聞こえる。音の方向を見れば母親と目が合い、奇遇だねとでも言いそうな顔でこちらを見ている。もしかしたらハメられたのかもしれない。

「そろそろ干している布団をしまおうか。よろしくね」そう言って私に仕事を託す。音がした方向なんて見なければ良かったと後悔をしても遅いし、私が母を見なくても別の理由で託してきたはずだ。

当時中学生だった私が母親にかなうはずもないのだから、返事をするよりも先にため息をはき出して布団をしまいに行く。


私の家族は何かと手をたたいてから話し始める。母親も父親もそうだ。その上、叔母も手をたたいてから話し始めることがある。親戚の集まりになればあちらこちらからパチパチと音が聞こえてくるものだった。

叔母家族が私の家へ遊びに来た際に、せっかくだからと一緒に観光をしたことがある。私の住んでいる地域が観光地なのは知っていたけれど、当時の私は大自然を観光するほどの豊かな心を持ち合わせていなかった。ただただ退屈だったのを覚えている。

ソフトクリームでも食べようということになり売店へ向かうと、店先の椅子に男の子が座って辺りをキョロキョロと伺っている。小学生にしては幼く見えるため、おそらく保育園や幼稚園に通っている歳だろう。

男の子の顔は次第に曇っていき、ついには泣き出してしまった。
「ママー、どこー?」と言いながら辺りを見渡す。


男の子が泣いても母親らしき人は出てこない。近くには居るのだろうが、子どもと大人の時間感覚は全然違う。この子は母親に見放されたと感じたのだろう。

見かねた叔母が男の子に近づき「どうしたの? 何かあったの?」と優しい声で尋ねる。家では聞かない声だ。よそ行きの声でもなく、これは仕事の声だ。

叔母が尋ねても男の子は答えずに泣いてばかりだ。これでは一向に話は進まないだろうと思っていると、「パンッパンッ」と軽やかな音がする。叔母が手をたたいていた。

音がした瞬間、私は叔母の方を見てしまったが、男の子も叔母の方を見ていた。


正月に叔母と会った時、なぜあの時に手をたたいたのかを尋ねた。何年もたっているから忘れたと笑われたが、理由を教えてくれた。

「それくらいの子どもたちに話は通じないからね、別の音を出して注目させないと、こっちの話を聞こうとしないんだよ」と、なんだか疲れたかのように言う。

「注目! なんて言うよりも、手をたたいた方がこっちを見るし静かになる」

子どもを相手にする時の知恵だったのだなと納得しかけた時に「パンッパンッ」と音がする。私と叔母が音のした方向を見ると「ごはんできたから運んでね」と祖母が言ってくる。

いつまでたっても私たちは子どもか。



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