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人生辛すぎるからあの世に引っ越そうとした話

初めに

記憶は簡単に虚偽と幻想に塗り変わる。だから3年前の事を今更書き起すのはどうかと思った。でも自分の中で間違いなく大きな出来事だったし、その時のドロドロした汚くて人間らしい感情を大事にしたいと考えた末、ここに記すことにした。
 また誰かを悪者にするかもしれない。「かつての親友が他人になってしまった話」も、親友を悪者かのように書いていると捉えられてもおかしくない。もしかしたら自己愛に満ちた可哀想な人が書いた記事としてあなたが受け取ってしまう可能性が大いにあるので、そこだけは御注意を。

始まりの日

 俺は高校2年生の時に吹奏楽部に仮入部した。もともと軽音部一筋で行こうと思っていたため、吹奏楽部とは縁がないと思っていた。しかし、軽音部の顧問が「吹奏楽部でベースを担当していた人が卒業してしまったため、助っ人として吹奏楽でベースを弾いてくれないか」と声をかけてくれたのだ。俺はその時はまだ真剣にベースをやっていた時だったので、ノータイムで「ぜひ弾かせてください」と返答した。

それから吹奏楽部でベースを弾く生活が始まった訳だが、吹奏楽部は軽音部とは違い毎日ベースを弾くことが出来た。軽音部はバンドがいくつもあり、合唱部が終わったあとに音楽室で練習していたため、練習できる時間が限られていたのだ。そんなこともあってか、俺は正式に吹奏楽部に入部し、俺の中では吹奏楽部が主体となっていった。



恋人


吹奏楽部に1人の後輩がいた。
控えめだがいつも笑顔で接してくれる優しい女の子だ。単純な男日本代表の俺は速攻で好きになり速攻でデートに誘い速攻で告白し何回か「決心がつかない」と言われたあとなんとか押して付き合うことが出来た。


 距離が近くなったことで見えてくるものがある。吹奏楽部は1つの譜面を人数分コピーして部員に配布する。俺がいた頃は総員9人しかいない極小部活だったのだが、1回の公演で5曲くらい演奏する。単純計算で45枚の楽譜を用意しなければならなかった。

また、校内ライブではなくホールを借りて演奏する定期演奏会や、老人ホームに呼ばれて演奏したりするときは、OBやOGに賛助として参加してもらう。となると、必要な譜面も何百枚に膨れ上がる。それに加えて先輩方に賛助のお願いの連絡をし、いつ練習に参加できるかを把握しておかなければならない。しかも校内ライブなんてめったにしない。1ヶ月に1回は何かしらある。


そんな膨大な量の業務を、当時の彼女と彼女の同学年の女の子の2人が行っていた。



正確に言えば、俺たちの1つ上の代が卒業してからそうなってしまった。俺は2年生に上がったタイミングで吹奏楽部に仮入部したが、その時は3年生が2人いて、その人達がいた時代はまだ分担がされていた(ように思う)。その3年生が卒業してから主に俺たちの1つ下の代(3人いる)の2人がほとんど請け負っていた。言い忘れていたが、この記事は俺が3年生の時の話である。


俺もただのベース弾きとして仮入部したが、譜面が渡されるのだから誰かが用意してくれているのだと分かる。付き合う前の彼女が譜面を準備している時に手伝おうとしたが、他の人がやるよりも自分がやった方が早いという理由で「大丈夫です。」と言われてしまった。


言えば他の部員も手伝ってくれていたらしいが、それでもほとんどその2人が準備していた。ある日部活が終わって彼女と一緒に帰った時、「部活でやることが多すぎて辛い。」と言われた。そんなクソみたいな現状に嫌悪感を抱き、仲のいいベースの先輩とチューバの先輩(2人ともOB)を誘って、次の合同練習の時彼女を手伝ってみた。



後日、彼女から「やめてください」と言われた。




「え…なんで?😅」(は…?辛いって言ってたじゃん…どゆこと?)



文字で見れば完全におじさん構文だ。まったく理解できなかった。今となっては彼女はただ話を聞いてくれるだけでよかったのだと分かるが、その時の俺は現状にも腹が立ってたし、何より「どうして俺の大切な人がそんな大変で辛い思いしてんだよ。みんなでやれよ」という気持ちでいっぱいだった。


そこから定期演奏会がある度に理解できない理不尽が付きまとい、黒い感情が自分を覆っていった。


「この曲は部員だけで演奏する」「この曲は賛助に参加してもらう」など、人によって必要な譜面は違う。人間が、しかも主に2人だけで何百枚も用意している。ミスが無いわけない。誰かしら「すみません、譜面がないんですけど…」という声が練習中に上がる。その度に当時の彼女が席を立ち、譜面を探しに行く。


(なんで彼女が毎回譜面を探しに行っている?)

(なんで俺は動かずにベースを持ってただ突っ立っている?)

(なんで他の部員も探しに行かない?)

(なんで俺たちに仕事を分担させてくれないんだ?)


棒の様にただ立っている間、いくつもの疑問や自責の念が心を埋めていった。また立った。また探しに行った。また俺は何もできなかった。そんな黒い考えが浮かんでは押し殺してを、合同練習がある度に繰り返していた。


平日の部活が(OB、OGが参加する合同練習は休日が多い。)終わり、俺は彼女と帰った。その帰路で俺は知りたくなかったことを知る。

上記に記したとおり、先輩方への連絡は彼女がしていた。その連絡を入れて、人によってはギリギリに連絡を返してくる人もいる。そのため、できる限り会話(LINE)が続いているうちに返答を聞いておいてしまおうという考えが、彼女の中にはあった。


彼女は寝る時間を削って返信を待っていた。


ただでさえ彼女は睡眠時間が短く、寝る時間も遅かった。(後にその理由も判明する。)だから俺は「そんなの睡眠時間を削ってまですることじゃない」と言った。もう彼女が彼女自身を大事にしないことが限界だった。なぜそんなに自分を粗末にするのか、なぜそんなに自分を犠牲にするのか。俺には全く分からなかった。だから一刻も早くやめてほしかった。




彼女は頑固だ。




俺が何を言っても自分を犠牲にすることをやめなかった。




嫉妬

OBに、いじられキャラだけどチューバがものすごく上手な人がいた。年も3歳ぐらいしか離れていない。低音楽器だからポジション的にもベースの俺と距離が近く、何よりベースの賛助として来てくれた先輩とそのOBが同学年でとても仲が良かった。ベースの先輩と俺は軽音部つながりで仲が良く(先輩も学生時代、軽音部と吹部を掛け持ちしていた。)、俺もそのチューバの先輩と話すようになった。

俺はそんな個性豊かで面白い低音メンバーが好きでなんとか自我を保てていた。

それは彼女も同じだった。

3年生(俺達)の卒業公演が近づくにつれ、彼女は日々の練習、先輩への連絡とスケジュール管理、各楽器すべての楽譜準備、顧問からの要望、会場のイスの配置、学校の定期テスト、その他もろもろで疲労困憊だった。でも、一緒に帰ると決まってある人の話をする。

チューバの先輩の話だ。

ここで嫉妬の塊の俺が心の中に登場する。勢いよく登場するが、登場した瞬間に全身の骨は折れ、体はぐにゃぐにゃになり、うつぶせのまま、息をすることもままならない状態で、なんとか渾身の寝返りを決め、電車の隣に座ってチューバの先輩の話をしている彼女を心の中から見る。


幸せそうな笑顔なのだ。


彼女はいつも笑顔でいる人間だった。心がけているのかな?と思った時もあったが、ある時、彼女が俺の前で泣いたときがあった。

その時彼女は泣きながら笑っていたのだ。泣いている自分が馬鹿らしいという理由で。

そこから俺はいつもの笑顔は病的な笑顔なのだと思うようになった。


そんな彼女が楽しそうに、幸せそうにも見える表情でチューバの先輩の話をするのだ。

「LINEをしているととても面白い。」

「ほんとにあの人天然なの」

「すっごいLINE続いてるんだよ」


そんな彼女を見て俺は思った。


(俺、必要ねーじゃん笑)


彼氏である俺は彼女のためにしてあげられることは何もない。むしろ彼女にとってはガヤガヤ言ってくるめんどくさい人だったのだろう。誰かを想っても意味がない。自分の存在価値がわからなくなった。

心身ともにつらい状態だった彼女を結果的に救ってくれたチューバの先輩を恨むことはできず、彼女と先輩をくっつけさせるように俺は動くことにした。それが彼女のためだと思ったからだ。

とある合同練習の休憩時間、俺がトイレに行って部屋に戻ろうとすると廊下からとても小さい声がする。聞き覚えがある。2人で話している。一人は男でもう一人は女の子だ。


俺たちが通っていた高校の吹奏楽部は視聴覚室が練習部屋だった。その視聴覚室の向かいにはすぐ3年生の教室があるのだが、視聴覚室と3年生の教室の間には、1枚の壁があるのだ。2人はその壁の向こう(3年の教室側)で喋っていた。


俺は自分の手が震えだしたことに気づきその場から逃げ出した。歩いている途中に震えているのは手だけじゃないことに気づいた。足も、胸のあたりも、目も震えていた。


わかってる。

すぐそこでみんなが練習している部屋があるのに何かやましいことしてるわけないじゃないか。

でも



練習部屋の中で喋らない理由

声を抑えながら話す理由

2人きりで話す理由


もう全部悪い方にしか考えられない



わかってる。

くっつけようとしたのは俺自身じゃないか。

結局そんなことしといて「やっぱり嫌です。離れないでください」なんて意味がわからない。何がしたいんだよ俺は。



わかってない。


人間がお互いの愛を確かめ合うのにかかる時間なんてたかが知れている。


そんなコストパフォーマンスの高い愛の交換方法を人間は知っている。


もちろん彼女も。先輩も。



わかってる。


今更何してたって俺には関係ないよな。


必死に言い聞かせた。






未来

俺はもともと音楽の専門学校に進もうとしていたのだが、奨学金のシステムを理解できなかったし、音楽理論は何度挑戦しても全く分からないし、なにより基礎練もめんどくさいと感じる自分に音楽の道は無理だと思い、当時アルバイトをしていた清掃会社に勤めようと思っていた。

そのアルバイト先は大阪に本社があり、結構大きな会社だった。ただのアルバイトだと思っていたのだが、そこの責任者にとても気に入ってもらい、俺が専門学校に行くことを決めたときから、「ここに就職するんだったら上に話通しとくからな。」と、就職の道も俺に残しておいてくれた。

そこで働く自分を想像したとき、未来がとても恐ろしく感じた。

このまま将来性のない仕事をやっていくのか。

これからずっと汚くてつらい肉体労働か。

そんな日々、耐えられない。


でも俺にはそこで働く道しかない。


就職は無理だと思った。就職したらそれこそ本当に人生に希望が無くなってしまう。そう言い聞かせて就職から、自分から、現状から逃げ出した。


俺は、恩を仇で返すような、本当にどうしようもない人間だった。


終わりの日

軽音部の卒業ライブが吹奏楽部の引退講演の4日前くらいにあった。1年生のころから所属していた部活だ。思い出がいっぱいあった。俺らが入学するタイミングで一緒に入ってきた顧問の先生。生粋のドラマーだ。何度もお世話になった。音楽で食べていっている先輩にも出逢った。最高にかっこよくて、先輩のベースの構え方とか真似したりしてた。俺が組んでたバンドのボーカルの兄ちゃんも同じ高校で、その人のライブ見に行ってボロボロ涙流しながら歌を聴いていた。ライブを見に行って涙が出たのは後にも先にもそのバンドだけだ。部活で出逢った最高のバンドメンバー。ライブハウスでもいっぱいライブしたよな。ボーカルが作る曲。好きだったよ。言葉じゃ恥ずかしくて伝えられねーけど。そんな青春の全てが詰まった軽音部の卒業ライブ。最高だった。






だから俺はその最高な日のうちに死のうと決断した。






今まで何度も死のうとした。

大事な人を守れない。間違っている状況を正せない。好きになった人も他の人と一緒になった方が幸せみたい。自分の存在価値がない。ベースも練習してるけど本気で向き合えない。勉強だって全くできない。本気でやった数学の点数は0点だった。コミュニケーションもうまく取れない。教習所で行った適性検査は考えられる評価の中で最低評価だった。就職からも逃げた。フリーターなんてこの先どうやって生きていけばいいんだ。生きていくには圧倒的にスペックが足りない。


そんな毎日を過ごしていたせいか、家に帰ると、気づけばキッチンにある包丁を腹に向けていた。何度も突き刺そうとする。腕が動かない。

「なんで動かないんだよ!!!!!!」

「死ななきゃいけないんだよ!!!!」

泣き叫ぶ。

それでも俺の腕はお腹を突き刺してくれない。

やがて無気力になり、一人でご飯を食べ、寝る。

そんな生活だった。だから自分で死ねないなら薬で死んでやろうと思った。今考えればそんなんで死ねるわけないと分かるが、その時の俺は早く死にたかったため、何も考えずに睡眠導入剤を2箱買った。所持金的にも2箱が限界だった。1つの店舗で1つしか買えないと説明され、別の店舗でもう1箱買った。たったの24粒を色々な感情とともに腹の中に流し込んだ。自分の部屋で。



卒業ライブが終わって

薬を買って

家に向かう電車から見えた夕日

綺麗だった。

なんでかはわからない。


異様に美しかった。


始まりの日

俺が高校2年生の10月に親が離婚し、俺と母は1dkのアパートに引っ越した。兄は職場が近いからという理由で2年程前からいとこの家に居候していた。俺と母が引っ越したのはその兄が居候しているいとこの家の近くだった。

荷物を新居に運んでいる途中、母は玄関で振り返り、後ろにいた俺を見た。

「え、何?」

「うーん、なんか嫌な予感がした。」

「なにそれ。やめてよ笑」

この時俺は特に何も思わなかったが、今冷静に考えてみればその時母は完全に第6感が働いていたと思う。隣の部屋で息子が薬を飲む映像が見えたのだろうか。それとも、息子が病院に運ばれることがなぜかその時分かったのだろうか。どちらにせよ、母がそれを言った何か月後かに俺は薬を飲んで病院に運ばれた。これは完全に第6感としか思えない。


そんなスピリチュアルな母の力はさておき、俺は薬を飲んですぐに眠気が来た。なぜか俺は眠気が来た後こたつに入った。俺は悟った。人間は地球最後の日、一斉にこたつに入るのだと。



こたつでしばらく眠った後、目が覚めた。そこは天国でも地獄でも、はたまた三途の川でもなく、自宅のこたつだった。


「なんだ、俺まだ生きてる。死ねなかったんだ。」


と思った瞬間、体が動かないことに気づいた。


「あれ、体が動かない…」


恐怖が全身を覆いつくした。死ぬかもしれない。嫌だ。死にたくない。口がうまく動かせない。幸い母は仕事から帰ってきていた。だが母に助けを求めたくても唸ることしかできない。あんなに死のうとしてたのに体が危険を感じて必死に動こうとしている。まだ生きようとしている。

母が異変に気付き、すぐに俺のもとへ駆けつけてくれた。

「くすりのんだ。いっぱい。ごめん。」

うまく喋れなかったが母には伝わった。「なんでそんなことしたの!!!!」と言いながら、近くに住んでいた叔母に電話してくれた。叔母は介護福祉士の資格を持っており、看護師として働いていたし病院の副院長という立場だった。

その電話で、叔母の家にいた俺の兄と伯父が車で迎えに来てくれた。

俺は病院に運ばれる車の中で動かない口を一生懸命動かし、「こんなはずじゃなかったんだ。」と笑いながら繰り返していた。朦朧とした意識の中で。


それを聞き取れていたかどうかはわからないが、隣に座ってくれていた兄は黙っていた。





病院に着くと母と一緒に診察室に案内され、タイミングが悪かったらしく30分ぐらいそこで待たされた。そして病院の先生が来て事情聴取が行われた。色々聞かれたと思うが、薬をどのくらい飲んだのかを聞かれたことしか覚えていない。そして1回部屋を退出し、再度母だけが先生に呼ばれた。初めて点滴に繋がれ、部屋の前で待っていた俺は何を話しているのか気にしている余裕はなかったが、伯父は「まぁ大丈夫っしょ!」と、空元気かもしれないがいつも通りの態度で接してくれていたし、兄は俺が水を求めるとすぐに買って来てくれた。俺は兄と伯父が傍に付いてくれていた状況に少し安心していた。


そして俺は病室に案内され、病院で1日だけ入院することになった。




朝、起きてご飯を食べていると、いとこ達が見舞いに来てくれた。

いとこ「大丈夫かー。」

いとこの弟「やば〜。顔死んでんじゃーん。」

ご飯をガツガツと食べていた俺を見てあまり心配はいらないと思ったのだろうが、それでもわざと明るく接してくれていたのはわかった。

しばらくすると先生が来て、「ご飯もちゃんと食べれてるようだし、大丈夫そうだね。今朝は眠かったのかな?」と俺に言った。

俺は(今朝?今が今朝じゃん。)と思ったが、俺はこの起床の前に1回起きていたらしい。全く記憶が無いが、LINEを見ると送った覚えのない彼女への返信があった。
(へー。俺一回起きて彼女にLINE返したんだ。)

全く覚えていない。


そしていとこに車で家に送ってもらい、なんとか日常に戻ってきた。


母は何も言わなかった。取り乱したのは俺がこたつで唸った時だけで、病院にいた時も至って普通だった。多分気丈に振舞っていたのだと思う。
家に着いても「お昼何食べる?」といつものように接してくれた。




引退公演

あの世に引っ越そうと思ったが無事生還してしまった俺には、引退公演という最後(ある意味最初)の大仕事が待っていた。薬を飲んだ4日後には、大きなホールで集大成を見せなければならなかった。

引退公演前の最後の合同練習、ある曲をみんなで合わせたとき、涙が出てきた。今でもはっきり覚えている。この時初めて音楽に救われた。音楽に、みんなが出す音に、「生きてていいんだよ」と言われているかのように感じた。俺が薬を飲んで入院していたことは彼女しか知らないのに。その優しくて明るい空間に涙をこらえきれなかった。持ち前の辛抱強さでなんとか周りにはバレなかったが、危うく、何十人もの前で醜態を見せてしまうところだった。


引退公演は無事に終えることが出来た。ベースなのに俺のソロパートもあったり、OB、OGも合わせてのどんちゃん騒ぎも成功し、3年生の最後の言葉もしっかり伝え、感動的な公演となった。






引退公演が終わり、本当の本当に3年生を送る会が、いつもの視聴覚室で行われた。部員だけで集まった。部員の全員を合わせても9人という超少人数部活だ。そこに顧問の先生が3人加わり、12人で会を楽しんだ。

カレーやらお菓子やらを食べ、金メダルに扮したチョコももらい、最後には、立派な箱に入った部員全員の集合写真をもらった。それは白を基調とした彫刻のような写真立てに入っていて、それほど派手ではないのにもかかわらず、落ち着いた中に豪華な印象を与えるような、とても素晴らしい写真立てだった。



これを3年生3人分、全部彼女が一人で作っていた。



睡眠時間が短い理由だ。素直に喜べない俺はひねくれているのだろうか。彼女が精神をすり減らしてまで作ったこの素晴らしい写真立てをなんで純粋な気持ちで受け取れないんだ。


そんな純粋無垢な心で受け取れるはずがない。


だって苦しかったんだ。俺も。


大切な人が自分の体を粗末にして、自分から3年生に送りたいという気持ちがあるわけでもないのに業務だからという理由で睡眠時間まで減らして、それ以外にもたくさん辛いこと押し付けられて


何もさせてくれなかった


何もできなかった


そんなの何も考えずに受け取れないよ。



「俺ってめんどくさい人間だな」


全部自分のせいにした。



最後に

皆さんには嫌なことってありますか?って聞かれても、咄嗟に思いつくのは日々の仕事だったり勉強だったり人付き合いだったりするんじゃないでしょうか。でももう少し深く考えてみてください。少し考えるだけでも、「1番嫌なこと」って容易に想像できますよね。
 僕は思うんです。1番嫌なことって年齢とともに変わっていくって。例えば皆さんが5歳児の時、1番嫌な事ってお金がなくなる事でしたか?そもそも5歳からお小遣いを貰っている人も少ないでしょうし、親の収入を気にする5歳児なんて人生何周目?って聞きたくなります。そうじゃなくて、きっと友達の存在や、絵本を読む時間、家族とご飯を食べる時間が1番大事で、それが無くなることが1番嫌なことだったのでは無いでしょうか。
 しかし、人は歳をとるにつれてお金が一番大事だということに気づきます。なぜなら、大事なものを守るためにはお金が必要だからです。人、心、愛、自分、物、趣味、全てにお金が必要なんです。その事に気づいていくうちに、人はお金が自分の手から無くなることを「1番嫌なこと」に位置づけます。
 そう考えると、1番嫌なことを想像するのは意外と簡単に思えてきませんか?1番大事なものをひっくり返せばいいのですから。


今回の記事は「ある青年が自分の存在価値と未来がないことに気づいた」お話でした。人間は、未来に少しの希望も見い出せなくなると、あの世にお引越ししようとするらしいですね。自分で言うのもなんですが、とても面白いです(笑)。だって未来のことなんて何もわからないのですから。どう考えてもこの青年は早とちりしすぎですよ。

でも、この時この青年は、未来だけではなくてその時考えうる1番大事なもの全てを失ったのかもしれません。きっと、恋人も趣味もお金も自分自身も、この青年にとっては全てが「1番大事なもの」だったのでしょう。

だから気づいて欲しかった。全部失ってしまった自分に。もうどうしようもなく辛くて悲しい環境に。外ではなくて自分の部屋で薬を飲んだのも、ただ気づいて欲しかっただけなのかも知れませんね。


つくづくめんどくさい男です。


「自分の価値は、自分で決めてください。そして、あなたの心で、世界を理解してください。」



先日、僕が通っている大学の教員から在学生に送られてきたメッセージの中に、こんなセリフが記されていました。
 僕は未だに、これを読んだ瞬間心の中で「自分に価値なんてない!!!」と叫ぶほど、自分に自信を持てていないのが現状です。しかし、その後の「世界を理解してくだい」という部分、この部分だけは、ちっぽけな私でもわかります。いや、ちっぽけだから分かるのでしょうね。
 そう、この世界は残酷で不公平です。それだけは、私でもわかるんです。知ったところで何も出来ないのに。でもふとした瞬間に思うんです。「あぁ、知っててよかったな」って。ただ日本に生まれて、日本で育って、狂ったお国柄に疑問も持たずに死んでいく。きっと、この世界が残酷で不公平だと分からなければ、そんな人生を歩んでいくと思うのです。
 ですが、私は「自分が生まれ育った国が狂っている」という事に気づくことが出来ました。そこに疑問を持つことが出来ました。この国から亡命出来たら新しい自分に出会えるかもしれない。もしかしたら、新しい環境が自分を変えてくれるかもしれない。いつの間にか、そんな希望を持つことが出来ました。世界を理解しようとする動機が、生きる希望になったのです。
 いつまで経っても人や環境のせいにするのは変わっていませんね。でも、そんな私も私なのです。ならばそんな自分と上手く付き合っていくしかないのではありませんか?今僕はそう考えています。

長くなりましたが、ここら辺で最後にしときます。最後まで読んで頂いた皆様、ありがとうございました。これを読んでくれた方に少しでも「死」を感じていただけたなら幸いです。死はとっても怖いんですから、死にたくなったらまた読みに来てくださいね。そして死を感じて後戻りしてください。あなたはまだ死んではならないのですから。

では。

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