ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#11 ORIGIN OF M

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#11 ORIGIN OF M」

 前回までのコラムで2010年までの日本のハードコア、主にBURNING SPIRITS周辺のバンドの海外進出などを中心に書いて来たが、平成23年である2011年3月11日に、東日本大震災が起きてしまう。
 この東日本大震災が起きたことで、日本に住む人間みんなが変わった。音楽に携わる人間や、表現をする人間にも大きな影響を与え、日本ハードコア界にとってもかなり大きな変革といっていい事態となり、それまでの活動や表現を見つめ直すこととなる。
 そんな中、多くの犠牲者や被災者のために真っ先に動いた人間がハードコア界に存在した。第2章 #11第4章 #9 で書かれた札幌のSLANGのVo.であるKOちゃんである。

 その動きは、実際現地に行くことで国が対応しない部分を把握し、即座にそれまでのバンド活動などで築かれたネットワークを使い、必要な物資を現地に直接送るというもので、NBC作戦(なまら物資直送作戦)として全国に広がり、支援のやり方がわからなかった人間たちにも、支援する方法を作ってくれたものであった。
 その行動は多くのバンドに伝わり、ライブ会場での支援活動など、音楽やライブに関わるバンドや観客が、少しずつでも支援することができる素晴らしい形となる。そうしたKOちゃんの動きに、多くのメジャーバンドなども共感し、支援の輪が大きなものになって行く。
 全ては震災直後に、札幌から物資を積んだトラックで、北海道から新潟まわりで支援しに行った行動から始まった。

 そして震災の起きた2011年3月11日の翌日、福島第一原発事故による爆発が起きてしまう。
 この平成23年である2011年という年は、日本にとって激動の年であった。その激動の年にアメリカへ行き、日本の現状を伝えて来たハードコアバンドがあった。
 広島のORIGIN OF Mである。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!