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幸せのおすそわけ#2~釣竿を持った子猫~

石の先生であるK先生を囲んだ座談会を開催したことがありました。K先生の本業は治療家ですが、相談したいこと何でも相談できる会。私は治療も受けているし、石の勉強もさせていただいているから、この日は我が家の愛猫の写真を見ていただくことに。

愛犬を亡くしてから「もう動物を迎え入れることはしない」と決めていた私の心の扉を開けて我が家にやってきた子猫。どのようないきさつで家族となったかをまずお話したいと思います。妹の嫁ぎ先で子猫が生まれ、姪っ子が私の娘たちに「子猫飼わない?」と写真を送ってきたことがありました。その写真をうっかり見てしまった時、4匹写っていた子猫のうちの1匹と目が合ってしまったのです。その子はとっても美人さんで、しっかりと私の目を見ていました。写真ではあったのですが、本当に私を見つめていたんです。ドキッとした私は「もう写真は見せないで」と娘に伝えました。これ以上見たら家族に迎えないわけにはいかなくなる・・・そう思ったからです。

4匹の内の1匹を妹家族が迎え入れました。実家で合流する機会があった時に妹がその可愛い子猫を連れてきたのです。この世の中で子猫ほど可愛いものはない、と思うほど可愛い生き物を見てしまったら最後・・・私の心はぐらぐらと揺れました。その上、まだ2匹貰い手が見つかっていないと言うではありませんか・・・恐る恐るどの子が残っているか聞いてみると、目が合ってしまった子猫も含まれていました。妹は「見るだけ見てみない?今から戻って連れてくる!」と戻ってしまいました。片道1時間はかかる道のりなのに・・・今から思えば、それだけ受け入れてほしかったのでしょう。

妹が戻っている間、実は名前まで決めてしまっていました。そう、覚悟したのでした。こうして、手のひらに乗るくらい小さな子猫が我が家にやってきたのでした。


家に来て間もなくの頃

K先生に見ていただいたのは目が合ってしまったその写真(段ボールに4匹入っていました)。写真を見た先生はすぐに「ああ、この子は神様の遣いだね。それに未来が見えるね」とおっしゃいました。でも私はあまり驚きませんでした。「不思議だなあ」と思うことがたくさんあったからです。(驚き不思議だと思った話は次回お伝えします)

さらに写真を見ていた先生は別の子猫を指さして「この子も、本当はあなたのところに来たかったようだよ」とおっしゃったのです。それは妹が連れてきたもう1匹の子猫だったのです。妹が連れてきた2匹はそっくりで、どちらも最高級に可愛い子たちでした。目が合った子にしようと決めていたのですが、もう一匹もすごく可愛くて「選ぶ」ということがこんなに辛いのか、と思ったものです。ですからK先生の言葉にとても驚くと同時に胸が痛みました。

K先生は続けて「でもね、こちらの子は想いを持っているだけだった。だけどあなたのところに来た子猫は想いも強かったんだけど、それだけではなく釣竿も持っていた。そしてあなたを釣る、という行動に出た。だからこの子が来ることになったんだよ。人も同じで、思っているだけではダメで行動してこそなんだよね」とおっしゃったので、さらにびっくりしてしまいました。「私は釣られたのですか!?」とお聞きしたら「そう、釣られたの」と・・・そんなことは想像もしていませんでした。いやあ、まいった、まいった。

我が家に来る日も直前までお母さんのおっぱいを飲んでいた、という子猫は、不思議と我が家に来ても落ち着いていました。寂しがったりお母さん猫を探すそぶりは全くありませんでした。「ここに来ることになっていた」とわかっていたように見えました。だからK先生のおっしゃることはその通りなのかもしれない、と思いました。

この話をお聞きしたのは2023年11月25日のことでした。その日は他の方達もK先生に相談したいことがあったので、それ以上は聞かずに終わりました。いつかもっとじっくりお聞きしてみたい、と思いながらなかなかその機会がなくて、ようやく2024年4月19日の「石の勉強会」の時に、もう一度ネコちゃんを見ていただいました。

以下がK先生が最近のネコちゃんの写真を見て伝えてくださったメッセージ。
『ネコちゃんとあなたはタイプが一緒。想いがあるだけでなく行動するところが同じ。一緒にいるともっと強くなる。ネコちゃんが未来に抱いているイメージは今より、そしてあなたが思っているより壮大。とにかく目の前に来たことがあったらやってみて。どんどん良い繋がりが広がって助けてくれるし願ったことが実現していく。限界を作らずにやってみて、叶うから。このネコちゃんが一緒なら大丈夫。』

メッセージを伝えた後、先生は「この子は何歳?」とおっしゃるので「4歳です」と答えたら、しばらく何と言ったらいいのかと言葉を探しながら「これはね、良い意味だと思って聞いて欲しいのだけれど・・・長生きさせようと思わない方がいい」と。思わず息をのみ何と返事をしたらいいかわかないでいると「あのね、このネコちゃんを待っている人がいっぱいいる。後ろにずらーっと控えている。あなたへの役割を無事に終えたら、すぐ次に行かせてあげる必要がある。いつまでもとどめておいてはいけない」と。「いつまでもあなたの側にいるってことはどういうことだと思う?」と聞かれたので「私がなかなか自分の役割を全うできないということですよね?」と答えたら「その通り」と。

私が一生懸命自分の役割を果たそうとすればそれだけ一緒にいられる時間が短くなるかもしれない、ということ。この日帰省していた長女も一緒だったのですが帰りの車で号泣していました。でも、愛犬を看取った時、腕の中で息を引き取ってもらえたことは哀しみよりも安堵感の方が大きかった経験から、長生きしてもらえることを願う以上に、最期の瞬間まで共に過ごしやすらかな旅立ちを見送ることの方を強く願っている自分がいます。もしネコちゃんが使命を全うし私のことにも満足し、喜んで旅立ち次の人に駆けつけるのであれば、互いにとってこんなに喜ばしいことはないと思いました。

もうひとつ思ったことは「我が家を選んでくれてありがとう」という心からの感謝。彼女(女の子です)をたくさんの人が列をなして待っているらしい中、家に来てくれてありがとう。彼女のことを想うとただただ愛しくて、愛しくて、娘たちと出かけても途中からネコちゃんの話ばかりになり「はやく帰って会いたいね」と言うくらいに。今はその気持ちにさらに敬虔な気持ちが加わったように思います。

でも、心のどこかで「もし、未来が彼女が思っているよりも壮大になって、予定より長居することになっちゃったなあ、という未来だってある」と思っている私もいます。同時に「精一杯生きた日々は、悔いのない未来を創るだろう」と、そういう潔さを持っていたいとも・・・

だから、彼女がここにいる意味を心に刻み、感謝して生きようと思います。

私を釣ってくれてありがとう。

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