昭和をカタルシス[10]ウラニワ…
ウラニワ ニワ‥
ニワトリ は、いなかったが、代りに、昔の家の裏庭には、
多くの種類の樹木が植えられ、ノビノビと育っていた。
隣家に囲まれた庭なので、さほど、広くないとは思うが、
当時、小さかった私には、それなりに広く感じられた。
植えられている木は多種類で、高木では、柿、桃、桜の
ソメイヨシノ、蘇鉄などは、勝手気ままに、伸び放題。
中木では、八重桜、青木、八手、南天、も一つ蘇鉄に、
あとは、名の知らぬ低木と、草が、ボウボウである。
亡き父は、いろいろな木を植えることは、好きだったが、
後は、水やり程度で、あまり手入れはしなかったようだ。
「草木はその生命の赴くまま、活かしてあげるものだ」
さらに続けて、「木を切る事は、木の命を切ることだ」
と、云い放つ。 ウーン、確かに一理はあるけれど‥
自然のままでは害虫はでるし、隣の家の空中権も侵すし、
家の密集した下町では、通りづらい、作庭方法である。
特に桜は困りもので、外来毛虫のアメリカシロヒトリが、
毎年、大繁殖し、桜や柿の葉っぱを食いつくしていた。
この毛虫は、1㎝ほどの小さな、灰白色の蛾の幼虫だが、
100種以上の植物に被害を与える程に、食欲旺盛である。
原産地は北米。戦後すぐに米軍の物資に紛れて上陸し、
東京の山手線沿線を中心に、関東から全国へ広がった。
ところで、我が庭の毛虫の被害は、葉っぱだけではない。
桜も柿も枝が、隣の家の窓にかかる程、伸びてるので、
毛虫の落下傘部隊が、洗濯ものだけでなく、住居にも
不法侵入することがあり、近所の大迷惑。この上ない。
そこで、登場するのが、八つ上と、五つ上の、兄二人。
良く元気に喧嘩していた二人だが、こういう時は一致団結。
長い竿の先にボロキレを針金で巻いて、ポンポンを作り、
それに油を浸みこませ、火をつけ、毛虫を駆除してくれる。
毛虫は、蜘蛛の糸状の巣網を作り、中に密集している。
この状態の時に駆除すれば、まさに、一網打尽なのだ。
炎のついた竿を、巣網を張った葉に近づけ、火で炙る。
すると面白いように、大量の毛虫が、ポロポロと落ちた。
それを足で踏み、トドメヲをさす。その役が、私である。
いささか情けない仕事だが、まだ小さいから、仕方ない。
「ヤー!!」と懸命に踏んでは、逃げる。必死のパッチ。
こっちが踏んでる最中も構わず、兄は夢中になって、
竿を振り、どんどこ毛虫を落とすから、気が気でない。
落ちた毛虫が、背中にでも入ったら~、卒倒もんだ。
それに、燃えるポンポンは、枝に引っ掛けて良く落ちた。
大きな火の玉が、地球に引っぱられて、ボソっと。
兄たちは、何度も、竿に着け直し、作業を続けていたが、
木造の隣家に落ち、火事にならなかっただけ幸いである。
アメリカシロヒトリは、1970年代から80年代にかけて、
大発生した。その後、天敵のハチや鳥に捕食されたのか、
原因は不明のようだが、近頃は、その名をとんと聞かない。
ちょうど1989年1月7日に昭和が終わり、つぎの日から
平成が始まっている。80年代の最後に、昭和も終わった。
あの全国的に話題となった虫も、戦後の昭和から大量に
発生し、昭和が消える頃、いつの間にか姿を消していた。
その意味では、“アメリカシロヒトリ”も‥、
“あの人は、今?”の、ヒトリ (?) 。 だったのだろうか?
(2013年12月24日 記)