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京から旅へ/インド仏跡巡礼⑰釈尊(ブッダ)、荼毘にふす

ラーマパール・ストゥーパは、入滅された釈尊(ブッダ)の遺体を
荼毘(ダビ)にふした、つまり火葬した、とされる場所である。

インドでは古代から、水葬、風葬、土葬、火葬と云う四葬の風習
があったが、火葬が最も正式な方法と、されていたようだ。

単純に考えると、土にそのまま還す土葬や、チベットで現在も
行われている鳥葬が多いのではと思うが、違う。

現在、インドではヒンドゥー教が主流だが、そのヒンドゥー教の
前身で、仏教が生まれる以前、そう、バラモン教の時代から伝え
られ、DNAにまで浸透されてきた考え方に、“輪廻転生”がある。

この“輪廻転生”が前提の時、魂にとっては、過去の体はただの
抜け殻でしかなく、次のレベルに移る為には、むしろ不要となる。
勿論、遺族の想いや悲しみは、別の次元だと思うが‥

サッサと肉体は火葬で消滅させ、魂は煙と共に天空を越え、
次の “生れ変り” のプロセスに入ることが、重要とされるようだ。

釈尊(ブッダ)の唱える教えは、身分差別の強いカースト制を基軸
とした、バラモン教社会を否定し、誕生してきた側面もある。

であれば、来世の身分までリザーブされた“輪廻転生”も基本的
には、否定されるのでは?と、思うが‥

一つの国、社会、民俗、宗教などが持ち続けて来た、観念、通念、
意識や、既成概念等は、おいそれと変わらないのも、現実である。

そう考えると、釈尊(ブッダ)を「火葬=荼毘にふす」埋葬方法は、
あの時代において、迷う事のない、選択だったのだろう‥

実際、埋葬方法は、釈尊(ブッダ)ご本人が、アーナンダに細かく
指示をし、地元クシナガルのマッラ族により行われたようである。

大パリニッバーナ経を邦訳した、講談社文庫「ブッダ最後の旅」
(中村 元訳)に、釈尊の埋葬の事が書かれている。その中から

釈尊(ブッダ)が、アーナンダに指示した、言葉を要約すると‥

「世界を支配する帝王(ブッダ)の遺体を新しい布で包み、次に柔
らかな綿で包み、また新しい布で包む。これをを何回も繰り返す。

包まれた遺体を、鉄の油槽の中に入れ、他の鉄槽で覆う。

最後に、様々な香料を含んだ薪の堆積をつくって、火葬する。

そして、四辻に世界を支配する帝王のストゥーパを建てる」と、

実に具体的な、釈尊(ブッダ)の埋葬方法が、示されている。

釈尊(ブッダ)のお骨は初め、葬儀を仕切った地元のマッラ族が、
全骨を独占的に、自分達だけで納骨したいと主張したが、

他、七つの「部族と地域」からも、自分達の所でも分骨したいと
強い希望があり、争いになりそうだった為、8等分された。そして

それぞれ8か所に、釈尊(ブッダ)の仏塔(ストゥーパ)が建てられた。


此処、ラーマパール・ストゥーパは、相変わらず、霧の中にある。

それでも、朝陽のお陰で、擦り硝子にボンヤリと、灯りが透ける
ように、視界に入る画面の明度も、少しづつ高まってきたようだ。

と、思う間に、ストゥーパの輪郭が霞む端の方から、橙色の衣を
纏った僧侶たちが列をなし、ゆっくりとフレームインしてきた。

そして、正面の位置で足を止め、低く、静かに、経が始まった。

傍の基壇の上では、別の僧侶たちが横一列に座り、手を合わせ、
ジッと様子を見ている。さらに経は流れ、深々と時は、積もっていく。

やがて僧侶たちは、踵を返し、霧の中へフェードアウトして行った。

濃い朝霧は、昼に快晴をよぶと、聞く。

素晴らしい今日、一日の出会いに、期待が大きく膨らんでいく。

インド仏跡巡礼⑱へ、続く

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