マガジンのカバー画像

花日記

12
花日記。 花を生けることが、排せつや睡眠と同じような立ち位置で生活の中に組み込まれている。その行為が、人の何を癒して何を消化させようとしているのだろう。みたいな
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事
切った植物を愛でること、花日記を始めるわけ

切った植物を愛でること、花日記を始めるわけ

初めて花が生けられるのを見たとき、それを美しいとする感覚が正直よく分からなかった。そのままの姿で十分に力のある生命を、切って、人の手で剣山に差し込んでいく。生け花をする人の美的感覚からすると、きっと良いとされる造形が出来上がったのを見て、自分にとって新しい価値観がそこにあるのだという事実を受け取った。知りたい、というのが、一番の動機だった。

生きていた植物を摘み取ってしまうところから生け花が始ま

もっとみる

華道部

先週ある人が、高校華道部でお花を教えることになった、とお話なさった。部活動なので時間は平日16時からで、月に2回ほど活動があるとのこと。そしてアシスタントを探しているのだけど、と仰る。

恐ろしいことに星占いにはまっていて、恐ろしいことに星占いでは乙女座は今年、浴びるほどチャンスがあって、どのチャンスを受け取るか選ばなくてはならないというお告げがあったことを私はばっちりと覚えていた。そしてこれがチ

もっとみる

とりとめない生け花に関する今の所感

最近生け花に関連して思っていることをただ残す!

これまで、生け花は現代に合わせて生き残っていくために、現代美術に寄っていく必要があるのだろうなとなんとなく思っていた。実際に、生け花の展覧会に訪れると、床間の生け花から離れた、インスタレーションのようなのが主流になっているし、草月の教科書の内容もアートとしての生け花が強く意識されているように感じる。
現代美術の中で生け花が頭角を表すためには、作品に

もっとみる

いけばな教室始めました

いけばな教室を始めました。なんと愛おしい営みなのだろうと幸福感に満ちています。日記として走り出したこの今の想いを書き留めたい。(そしていつかもし嫌になるときが来たら見返してこの気持ちを思い出したい)

まず、私にとって教室の始まりは青山のfugaまでお花の買い出しに向かうところから。今回の教室でのカリキュラムを頭に叩き込んだ上で、初心の方にも生けやすい花材を調達する必要がある。fugaは、以前先生

もっとみる

夏の終わりと黒のこと

夏の終わりは黒を生けるのだと教わったことがある。黒は燃えつきたあとを連想させる。春に息吹いた植物が、夏に盛りを迎え、夏の終わりに燃え尽きる。完全な黒は自然の植物の中には存在しない。黒を生けるということは、終わりを生けるということなのだ、みたいな、そんな感じだったような、違うかったような。

あの長い長い夏休みの最後の日は、わたしの誕生日です。みんなが宿題に追われておうちに帰った頃、わたしは新しい歳

もっとみる

あじさいが枯れました

先週末に生けておいたあじさいが枯れていた。淡い紫と薄い赤色の混じった色の花で、可愛いなと思って愛でたのがこの前の日曜日。ダリアと銀葉グミと一緒にして、赤い水盤に生けていて、あじさいにだけが萎えてしまっていた。

話が変わるのだけど、この一週間は、上司から言い渡された緊急対応にばたばたして、なかったみたいに過ぎていった。一つのことに集中すると、他のことが考えられなくなってしまって、この平日何を食べて

もっとみる

食事

先生と食事会。お花だけじゃなく、先生に教えてもらったことは数多い。
例えば、お歳暮のマナー、お茶の飲み方。茶の間の作り、女性として生きていくこと。出産のときに気に気を付けること、和菓子のこと、大阪の街のこと。お花の先生は、二人目のお母さんなのだと、よく聞かされた。

ゆっくりとてんぷらを口に運んで、お箸を箸置きに戻す。味わって、それから次の食べ物に箸を伸ばす。
食事を味わうとき、先生はお箸を箸置き

もっとみる

帰阪

残してしまった単元を取得するため帰阪。

稽古終わり、先生とお昼をご一緒することになり鶴橋へ。先生のママチャリを借りて二駅分を移動する。
これぞディープ大阪、業務スーパー玉手を通り過ぎ、飛び出た洗濯物に煽られて鶴橋今里間にある地元商店街へたどり着く。安すぎる骨つき肉、見たことのない外国製化粧品、手作りキムチ。オリンピック開催と同じ頻度で、町で人が刺されるとのことで警戒する。少しばかり行儀の悪い子供

もっとみる

後ろ生けをしながら発光している人に桜を手渡しました

後ろ生け、という生け方がある。
これは、生けている姿と花が現在進行形で生けられていく様子を人に見ていただくための生け方で、名前の通り後ろから花を生けていく。うーんうーんと悩みながらやるというよりは、短い時間の中で時には観客の方に話しかけたりするもので、できるようになると格好いいよなという羨望のまと。

いつぞやの日曜日、助手として生け花のワークショップに参加した。私の役割は、後ろ生けで花を生けてい

もっとみる

27歳、末

誰も読んでないNote。。。。。

はたちの頃に身近だった大人が、のきなみ27歳だった。7年なんちゅう時間は、何億光年も先のことであるように思えて、その頃は自分が大人になって、27の年齢を迎えるということがどうも想像できなかった。27という数字を区切りにして、自分の姿を思い描く。確かはたちのとき、27歳の最後の夜にプラハで川に落ちて死にたい、みたいなよく分からんことを誰かに言ったような記憶がある。

もっとみる
私の花

私の花

カリキュラムのなかに私の花というテーマがある。教科書に沿って稽古を積んでいくわけはのだけど、終盤に差し掛かりつつあるタイミングに現れるテーマの一つ。
この前何気なく生けていた花を見て、先生が、私の花を生けてるね、と声をかけてくれた。これが、、、私の花、、、!

情けない話、自分自身ではまだテーマを掴みきれていないところがあって、どういうのが私らしいのかまだよく分からない。分からないものを分からない

もっとみる
6月、あじさい

6月、あじさい

あじさいを持って帰って祖母の家で生ける。あじさいが家にあるってまた贅沢。贅沢ではあるけれど、伝統的な昔ながらのあじさいは、日持ちしないとのことで、気合を入れる。
普段通り花鋏で水切りして、ガラスの花器に投げ込む。手を入れないで、ほとんどそのまま。この日のあじさいは、小さな花の塊が枝に少しずつ付いていて可愛い。なんというか等身大という言葉が似あう。
そばで見ていた祖母が、ガラスの花器にお酢を入れたの

もっとみる