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ガム味のガムを噛んでる音により自己紹介とさせていただく|斉藤斎藤【一首評】

数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。

ガム味のガムを噛んでる音により自己紹介とさせていただく

引用:斉藤斎藤「渡辺のわたし新装版」|港の人(2016)

ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。


STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ


第一印象はなかなか覆らない。
いわゆる心理学の「初頭効果」というやつだ。

初頭効果
=心理学者のソロモン・アッシュが明らかにした最初に提示された情報や印象が強く記憶に残る心理効果のこと

初頭効果とは|株式会社リンクス

だからこそ、わたしたちは自己紹介を大事にする。はっきりと大きな声で聞き取りやすく、できれば笑顔で。

なるべくならイヤな印象を与えたくない。そう考えるのが普通だろう。

でも、この主体は大事であるはずの自己紹介を省略しようとしている。それもガムを噛みながら。

どんなに多様性が重要視される現代であっても、やっぱりガムを噛みながら自己紹介をする人は少ないだろう。

ガムを噛みながら自己紹介しそうな人を思い浮かべると、わたしの陳腐な想像力では、ガタイがよくてホームランをばんばん打つような野球選手(外国人)が浮かんでしまう。ちょっと日本語ニガテだったりもして。

だから、作中主体はなんだかとてもずぼらで粗暴な人なのかなと、最初は思った。

STEP2:食べ続けて見えた情景や発見


「ガム味のガム」とはなんなのか?

ガムは当然、ガムなのだから「ガム味」だ。

でもガムは、大体「ガム味」以外の味がついている。イチゴ味だったり、コーラ味だったり、ペパーミント味だったり、それはそれは無数にある。

ガムが本当にガム味しかしないのならば、それはおそらくイチゴ味やコーラ味やペパーミント味が消え去った後のことを言っている。ただの無味無臭の舌に絡みつくだけの粘土のようなかたまりだ。

あの粘土に個性など存在しない。

ガムがほんとうに「ガム味」しかしないなら、自己紹介は難しい。なぜなら無個性だからだ。

無個性となった「ガム味のガム」を主体はまだ噛んでいる。

ガムにとっては一番の個性となりえる「味(味覚)」がなくなれば、自己紹介などできるはずはない。でも、それでも個性を表現しようとすれば、唯一の砦となりえるのは「音」なのだ。

くちゃくちゃなのか、むにゅむにゅなのか、カチカチなのか、人によって大きく違う。骨格や舌の位置、歯の形や大きさ、食べ方のクセなど、その音は見事なまでに複数の個性をにじませているはずだ。

主体はいちばんわかりやすいはずの、そしていちばんごまかしがきくはずの味覚で個性を表現することをあきらめた。聴覚だけで個性を表現することはとても難しいチャレンジだ。

でも、主体はそれでも個性を表現しようとする。個性を表現したいと願う。

作中主体はずぼらで粗暴な人ではない。

表面に塗られたわかりやすい個性に疑いを持ち、本当の自分を知ってほしいと願っている。

むしろ、とても正直で繊細な人なのかもしれない。

まとめ:好きな理由・気になった点


・「イチゴ味のガム」や「コーラ味のガム」ではなく「ガム味のガム」とした想像力を掻き立てる表現
・「噛んでる音」を想像するため、頭の中に音が響く感覚
・「ガム」の粗暴なイメージと「させていただく」という相手から許可をもらう丁寧なイメージの対比
・裏にある真実から目をそらさない勇気が得られる感覚(発見)


とても好きな短歌のひとつです。

ごちそうさまでした。


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