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コミュニティそのものが苦手なんだっけ?(125/365)

自分の記事を見返していたら、下書きにいくつか公開していない記事があった。
中には敢えて公開していないものもあるけど、ただ単に途中で止めてしまっているものもある。
それらは思考を深めてじっくり書きたいものが多かったりするけど、おそらく眠たかったか時間がなかったか何かで、他の書きやすいテーマについて書いていたから下書きに残っているのだろう。
そのまま残しておいてもいいのだけど、せっかく書こうという意思があったのだし、見つけたこのタイミングで続きを書いていこうと思う。

 

 

書いていたのがここまで。

コミュニティが嫌いなわけではない。
孤独を埋めるためのコミュニティが嫌なだけ。
目的がないコミュニティか目的があるコミュニティなら違和感を抱かない。
ん?どゆこと?
前者はシェアハウスみたいなコミュニティ。
後者が分かりにくいが、目的の本質が個人に帰属していること。
「仲良くなるため」が目的化してないもの。
各々が自立している上でコミュニティに関わっている。
オンラインサロンみたいな。
あれって仲良くなるためのコミュニティではなく、何かしら成長したいとかビジネスに活かしたいとか皆思っているはず。

コミュニティについて深掘っていたみたい。

多分あれだ。

電車の中で思い浮かんだことをとりあえずバァーっと書き出して、夜にでもゆっくり深めようと思っていたやつだ。

この時、なんでこれを止めて他にどんな記事を書いたかは覚えていないけど、大した理由はなかったはず。

で、改めて自分が書き出していたものを見てみて、特に考えは変わっていない。

キンコン西野さんのVoicyを聞いていてこれを思っだ。
西野さんのVoicyは毎週日曜はオンラインサロン内で寄せられた相談に西野さんが答える形の放送になっている。

その放送の内容についてはあまり覚えていないけど、そもそもオンラインサロンも一つのコミュニティだけど、それには特に違和感を抱かないなと思って、それは何故だ?と考えていたら上記の引用部分が出てきた。

 

ちなみに最近はコミュニティというものに違和感を感じて、コミュニティから距離をとっているくせに、それが怖かったりしていた。

僕はコミュニティというもの自体が嫌なのか?

いや違う。

(これ以下は引用部分と変わらなない内容になりそうだけど、一応書く)

関わる本質が「独りになりたくない」コミュニティだと嫌になる。

孤独を埋めるためのコミュニティ。

関わるその人はそんな事思っていないのかもしれないけど、僕がそう見えてしまった時に気持ち悪くなる。

一見すごく深い繋がりを持ったり楽しそうにしているけど、それはただ居場所が欲しくて馴れ合いを求めているだけなんじゃないかと、気付いてしまった時。

そんなものでは心の隙間は埋まらない。

これは多分僕の見方が偏っているだけなのかもしれないけど、そう思ったのだからそうでしかない。

 

続ける。

じゃあどんなコミュニティだったら違和感ないのか。

目的があるコミュニティか目的がないコミュニティ。

どういう事かと言うと、まず前者について。

コミュニティに関わる本質が「独りになりたくない」以外のもの。

それ以外に関わる目的がある。

それこそオンラインサロン。

大きいオンラインサロンなんかになると何千・何万ものメンバーがいて、みんながみんなコミュニケーションを取っているわけではない。

西野さんのオンラインサロンなんかになるとコンテンツはメルマガが主だから読み専の人も多いだろう。

以前、人からやった気になりたいだけだったらオンラインサロンにでも入ったら?とちょっと嫌味っぽく言われたことがある。

しかし、月額980円で毎日記事を読めて、やる気にさせてくれて、色んなヒント・チャンスも転がっているのだから価値ありまくりだ。

仮に行動に移さなかったとしても、毎日記事を読むことで進んでいる感は得られる。

それだけでも精神が安定する。

これについても西野さんが面白いことを言っていた。

オンラインサロンは「成長したい」「トップランナーの思考を盗みたい」「ビジネスに活かしたい」などが目的になっている人が多いはず。

そこに寂しさを埋めるための馴れ合いを求めている人は少ないんじゃないかと思う。

 

そして後者の目的がないコミュニティ。

これは僕の中では、それこそ今住んでいるシェアハウスとか。

いや、正確にはシェアハウスにも「生活を共に営む」という目的はある。

しかし、あくまでも個々が生活の場を共有しているだけ。

それぞれ自分の生活があって、たまたまそれを一つの島で行っている。

noteに書いているようにウチは仲がいいけど、別に「仲良くなる」事を目的に生活していない。

アパートで一人暮らししていたらご近所さん同士で仲良くなったみたいなイメージ。

それが一つの家の中で行われているだけ。

だから、シェアハウス自体に目的はない。

 

前者と後者に共通して言えることは、個人が自立した上で関わっている事かなと思う。

「独りになりたくない」というのが目的の本質ではなく、それ以外に目的があり、関わる事自体が個人に帰属していて何かあっても他人や環境のせいにすることはなく、自己で責任を取れるような自立した上で関わっている。

 

何かに依存してしまうと、責任を他に求めてしまう。

だから、自立した上で関わる。

自立した上で、支え合う。

まずは個を強くすることが大切かなと思う。

もし強くなくても、一人でも助けてくれる人・側にいてくれる人・支えてくれる人を大切にしたらいい。

その先にコミュニティっぽいものがあるだけだ。


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