「想い」と「お金」
『エンターテインメントに貧富の差があってはならない』
この言葉は、最近お仕事として関わらせてもらっている、アーティストのものだ。
僕たちはこの信念のもと、”誰かのため”に入場無料でライブを行なっている。
どういうことかというと、チケット代が無料ということ。
これは、やりたいからやっている。
もちろん会場を借りるのにはお金は掛かるし僕たちスタッフの人件費だって掛かる。
そこをどうにかマネタイズして入場無料にして、あとはお気持ちは投げ銭スタイル。
そしてこのようなアーティスト活動を行なっていると、当然「うちのイベントに出演してください」みたいな依頼もくる。
いわゆる案件ってやつ。
しかし、この入場無料投げ銭スタイルを行なっているというのもあってか、『無料』を前提とした依頼も中にはある。
ん?と、なる。
依頼主の気持ちも分からなくもない。
しかし、あくまで入場無料ライブは「やりたいからやっている」。
依頼=仕事だ。
音楽活動もボランティアではない。
そこでお金が必要になることを伝えると、連絡が途切れたりすることもある。
また、無料での依頼ではなくても「どのくらいお金を出せば来てくれますか?」みたいな問い合わせもある。
これも、ん?となる。
大前提僕らは「お金」で物事を決めているわけではない。
極端な話、その想いに応えるたえたいと思うものは最低限の交通費くらい出してくれれば無料だって行く。
それは、相手の「想い」だったり誠意に応えたいから。
それを分かりやすく数字にしたものが「お金」というだけだ。
とはいえ、たとえ多くの金額は払えなくても想いと共に金額を提示してほしいなと思ったりはする。
それが相手に対する誠意や愛、思いやる優しさだったりするのかなと。
実際そこで「〇〇円から引き受けてます」なんて言ったら、「結局金かよ」みたいになることだってある。
僕らも苦しいというか、胸が締め付けられる思いだ。
身体と時間が無限なら、一人一人に時間を割きたい。
だが、残念なことにそれらは全て有限だ。
それはできない。
だから、お仕事として依頼を受ける場合は分かりやすい「お金」が判断基準になる。
中にはたとえ数分の依頼であっても、それに応じたお金を払ってくれる人がいる。
そんな人たちがいる以上、安売りはできない。
より多くのお金を払ってくれた人に対して、その分の時間を使うことは同然なことだ。
再度になるが、僕たちだって苦しいし心が締め付けられる。
これで正解だったのか…と話し合う。
正直こればかりは分からない。
時には、感情を揺さぶるようなメッセージも来る。
僕も個人的にはその人を救いたい。
それは僕たちチーム誰だってそうだ。
でも、私情は殺さないといけない。
それをしていたら僕たちが持たない。
食っていけない。
救える人も救えない。
だから、音楽をやっている。
だから、僕は支えさせてもらっている。
僕が関わる理由もそこに通ずるから。
これを書いた時、この理念を体現するのはエンタメなのではないかと思っていたが、今はその時の自分を信じてよかったと思える。
「想い」と「お金」
難しいバランスだ。
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