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【不登校リカバリーCPC】セラピストだって人の親

自己紹介

はじめまして。2016年からトラウマの癒しを専門として提供するハートエデュケーションセンターの代表、川村法子です。チームでは、イーシャという愛称で呼んでいただいています。そもそも自身が、ACEスコア(逆境的小児期体験スコア)が高いトラウマサバイバー(トラウマを生き抜いた人)です。そんな私の個人的なことを綴っていきたいと思います。

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この6年間のめまぐるしさ

実は、この数年、私たち夫婦は、過去に置き去りにしてきた子どもたちの課題、夫婦の課題、家族の課題をやり直すべく、夫婦で子育てやパートナーシップの再構築に励んできました。 

熱血少年野球チームに所属する息子の父母として、中学生で突然不登校を体験した娘を守る親として、古臭い習慣が蔓延る地域活動のモラハラやパワハラに立ち向かう住民として、中学受験、高校受験、大学受験を見守る親として、、、。

もう毎日が目まぐるしくて、息をつく間もないくらいの日々でしたが、セラピストとしての仕事をしている時は、心から安心できて、自分に戻ることができました。

ハートをオープンにして分かち合い、気づきを深め、成長して行く皆さんをみながら、私自身がどれだけ励まされ、また、ともに成長してこれたでしょうか。

この仕事を続けてこれて、本当によかったなと、今改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

孤独だった私

ですが、上に書いたように、私たち夫婦は、たくさんの課題を過去に置き去りにしてきたわけです。

子どもたちが幼かった頃(現在大学入学を控えた娘が小学校6年生だった時まで)、私の心はとてつもなく忙しなかったことを思い出します。

コンシャス・ペアレンティング・メソッドという、育児に特化した動画コースでは語ってきましたが、娘が4才の時に受けた発達障害の診断から、私は一生懸命に娘の治療に励んできました。

高校では演劇部部長を務め、一般受験で希望の大学へと進学した娘を見ても、誰もその話を信じてはくれないかもしれません。ですが、当時の医者から聞いた言葉は「自閉症です。一生治りません」でした。

娘のかつての状態については忘れそうなくらいですが、むしろこの医者の言葉を、私は一生忘れませんし、今、その病院で再診断を受け取りたいくらいです。

当時、診断を出した小児精神科の若い医師は、終始浅い呼吸で、顔を赤らめて、堰を切ったような慌てた話し方をしていました。そして、発達課題を抱える子の苦しさを、自らの個人的怒りを抑圧させたような表情で熱心に語っていました。きっとご自身の人生にこそ、そのことによって、なにか大きな影が落とされてきたのだろうと感じました。

さて、この話も改めてしたいと思いますが、とにかく私は、私自身がセラピーを受け始めたことや、様々な娘へのアプローチによって、娘に効果が出てきたと感じてから、「この道はやはり間違いではなかったんだ!」と、ますますセラピーの学びに一生懸命になりました。その時は、それしかできませんでしたし、今考えても、それ以外に私の選択はなかったように思います。

当時、夫は忙しく、夜は終電で帰宅して、朝は子どもたちが学校へ行ってしまった後にのそのそと起きて、フレックスタイムで出社する日々。平日は朝も夜も、家族揃って食事をすることはありませんでした。当然ながら、私はワンオペ育児で、午前中から夕方までの仕事、朝夕の保育園や習い事の送り迎え、夕食の準備など、3人分をどうやってこなしてきたのか、ほとんど記憶もありません。

私が、仕事と学びにのめり込んだのは、とても孤独だったからなんだと気が付いたのは、夫がコロナ禍からリモートワークになって、在宅勤務をするようになってからのことでした。

当然ながら、その間に仕事や学びで得られた経験は、かけがえのない私の財産です。ですが、私は、自分の孤独の置き場がなくて、ずっとマウスのように、回転する遊具の上を動き回っていたのだと思います。

こんな時期はあっという間に過ぎてしまった・・・涙

父性が戻り、母性は撤退した

コロナ禍に入り、夫がリモートワークになってから、家の中に穏やかさがやってきました。夫が、積極的に子どもたちの勉強を見てくれたり、送り迎えをやってくれたり、また、家事も随分と分担できるようになりました。

そして、やっと、私は、過去にどれほど自分が孤独だったかがわかりました。育児って、こんなにも楽しめるものだったんだと、初めて理解しました。

父不在の影響を一番受けたのは、長女かもしれません。学校のお友達が毎日夜ご飯はパパと一緒に食べてると聞いて、びっくりしたと言います。ある時、「うちはパパとご飯を食べるのは週末だけだな」と思った記憶があると話してくれました。子どもたちは、平日はほとんどパパの顔を見ることはなく、会うのは週末だけ、そんな家の中でのすれ違いの日々でした。

ですから、コロナ禍に入って、夫が娘や息子とのやり残しを解消するために、学校や教育委員会、野球のコーチと向かい合って、子どもたちのために勝ち取ったものは、私たち家族がずっと失っていた《父への信頼》というパズルのピースでした。(この話もおいおいしてきますね。)

こんな話をすると、シングルペアレントの方は、父不在、母不在であることを心配するかもしれませんし、父親が忙しくて家を不在がちの方も、不安を感じるかもしれません。

ですが、実は、心理療法が伝える父不在とは、精神的不在の方で、それは、物理的不在の何倍も影を落とすものなのです。

父が物理的に不在であることは、できればないほうがいいかもしれないけれど、父の精神的不在について、もっと私たちは考えてみてもいいと思うんです。

TikTokでは、男の子と女の子それぞれの父不在の影響について、詳しく解説していますよ。

@hearteducationcenter

父親力欠如の影響は、子どもの性別によっても違うんだよね。あなたには当てはまることがあるかな?動画の中のチェックリストで確認してみてね。もし、今、苦しいとか、辛いって感じていたとしても、それはあなたのせいじゃないよ。トラウマの癒しのための情報を配信していくから、よかったらアカウントをフォローして、投稿をチェックしてみてね。 #インナーチャイルド #カウンセリング #コーチング #トラウマ #毒親 #アダルトチルドレン #癒し #ヒーリング #心理 #セラピスト

♬ Feeling Good Vibes - Thays B.M

私の友人、知人も、何人も離婚経験者がいますが、だからと言ってその子たちがみんな、精神的に父不在であるようには感じません。離婚した夫婦の間を、長期休みを使って行き来する子どもたちの話もよく聞きますし、行き来ができなくても、離婚した事実を受け入れて育っている子どもたちは、とてもまっすぐです。

もちろん、中には苦しんでいる子もいるはずです。ただ、今回は、親の離婚という出来事ではなく、父の精神的不在の影響の強さをについて語ってみたいと思います。それは、単に父親だけの責任というわけではなく、母親の無意識の思い込みや感情にも原因があるので、それらの影響を受けた子どもたちの心にこそ注目する必要があると言えます。

私は、離婚できなかった両親の間で長年苦しんできた子どもです。複雑な夫婦関係の狭間で、両親の顔色を見ながら生きてきた私は、そのために複雑性PTSDを引き起こしてきました。
 
約7年前、両親は60代の半ばで離婚しました。40年間近くすったもんだしながらそれでも離婚できなかった夫婦の最終決断は、とても大きなものだったと思います。そして、不思議なことに、両親の離婚によって、私の長年の肩の荷が下りたのか、私は夫と、夫婦関係を修復し始めることができました。

これは、ファミリーコンステレーションの力動で言えば、とても納得の流れです。

ファミリーコンステレーションの父、バート・へリンガーは、父が早くに亡くなったとしても、母がその亡くなった父のことを、尊重を持って子どもたちに伝えていたら、精神的父不在にはならない事例を伝えています。

ハートエデュケーションセンターで小児期トラウマを抱える方達のほとんどが、両親の揃った家の出身であることも、このことを説明しているように思います。もちろん、親の離婚や親との死別を経験されている方もいらっしゃるのですが、それは、全体の数%で、ほとんどは両親がいる家の子として育った人ばかりなのです。

つまり、小児期トラウマサバイバーの多くが、両親が揃っているのに、いや、揃っているからこそ、むしろ複雑にこじれてしまった機能不全家族に育ったと言えるのです。

夫は、この数年、一生懸命に精神的不在の課題を解決しながら、父の座を取り戻したのだと思います。そして、孤独で、肥大化した母性を生きていた私は、少しずつ撤退して、夫に父性の居場所を与えていきました。

父と娘との関係

上に書いたように、父不在の影響を、最も長く受け取ってしまった娘は、中学、高校時代の様々な出来事を通して、父との信頼関係構築してきたように思います。

高校時代には、長女が父親に向かって怒りを表現することも何度かありました。演劇部の発声練習で鍛えられているのか、「ク⚫︎じじー!」と大きな声で叫んだことも(笑)。そして、言うだけ言って娘は納得し、パパの理解を得られたからか、自然に和解して、夕食時は笑いあっている2人。

こうして父親に思いっきり、自分の気持ちを伝えられる娘を見て、当時、私は、嬉しく感じたものでした。子ども時代、親に見捨てられていると思っていた私は、決して、父にそんなふうには言えませんでした。

そして思うのは、娘は、小学生時代まで、これをやってこなかったんだなということです。父のエネルギーが、家庭に戻ってきて、突然押し寄せる父の愛情を、どう受け取っていいかわらかない高校時代だったのかもしれません。

当時の私は、母として娘と対話しながら「あなたの命の半分は、それでも、あなたの父からきているのです」ということを意識して、父という場所を娘から奪わずにいることを心掛けてきました。

大学生になろうとする今、娘も、もうしばらく、そんなことを言わなくなりました(笑)。きっと大人になったんですね。そして、この数年間、しっかりそこを通過できたことを、今更ながらに「あれで良かったんだな」と感じています。

注:2022/9/2配信コラムをリライト

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