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濃度

一晩でハイボールを18杯飲んだことがある。一人でこれだけ飲んだのはそのお店の記録らしい。とはいえ僕がお酒に強いわけじゃない。それだけ飲めた理由はその濃度にある。

昔はビールで始まってバーボンのロックに入っていったものだが、ここ数年はハイボールをちびちびやることが増えてきた。ハイボールだと次の日があきらかに楽だということに気付いたのだ。それを気付かされる年頃になってきた、ということなのかもしれない。

しかも必ず「ハイボール、薄めで」と注文する。僕の場合、濃くても薄くてもピッチが変わらないので、濃いものを飲むとやはり飲み過ぎた感じになってしまう。だから最初から薄めで頼むのだ。

「薄めって言われても。作るの難しいんですよ。どこまで薄くしていいのかわからなくて。濃いめでお願いって人はいますけど、薄めでって人いませんから」

このお店にアルバイトで入っている真奈は僕のハイボールを作りながら最初はこう言っていた。

「じゃあ、僕が注文するたびに少しずつ薄くしていってみて。もし、薄すぎるって感じたら『おい、これ炭酸水じゃねーか!』って突っ込むから(笑)」

途中から真奈もコツをつかんだようだ。

「濃さ、これくらいで大丈夫ですか?」

「うん。これでいい。どんどん酔ってワイワイ騒ぐのが楽しかった時期もあるんだけどね。
若い頃は濃い方が好きだった。でもおかげで苦しんだ事もあるから。
今はもう。
無理せず長く楽しみたいならこれくらいの濃度がちょうどいい。のんびり、ゆっくり、とね

おかげさまで18杯飲んでもまったく二日酔いにもならなかった。
たぶん、最後の方は本当にほぼ炭酸水だったんだと思う。


僕専属の薄ハイボール職人のようになった真奈とはいろんな話をするようになった。
なにしろお店の滞在時間が長い。普通で2時間、長い時は5時間くらい一人で飲んでる。しかもほぼ炭酸水にしっかり一杯分のハイボール代を支払っているのでお店としては僕は儲けが出る”いいお客さん”なのだ。


一度、真奈と二人で池袋のお店に飲みに行ったことがある。その店のオーナーは前から知っていたのだが、一人では入りにくいお店だったので真奈に声をかけてみた。二つ返事でOKしてくれ、真奈のバイトが休みの日に二人で出かけた。

そこでも僕が注文するのはやっぱり『薄めのハイボール』。

すると、真奈はその店の店員さんに

「もっと薄めでいいですよ!この人、ホントに気付かないので。醤油みたいに一滴たらすくらいで大丈夫ですから。儲けてください!(笑)
お兄さん、この人のこと、薄ハイさんって覚えてください! 私たち、また来ますから!」

と大声で言い周囲の笑いを誘っていた。

二人で大いに食べ、飲み、笑った。

帰り際。

「いやー、楽しかったなー。おいしかったというより、楽しかった」
「最高でしたね!わたしも楽しかったです。また来ましょう!」
「そうだな、またどこか攻めに行こう。次は目黒あたりに」
「ぜひ!わたし、けっこうヒマなんですよ。絶対誘ってくださいね!」

誰が見ても酔ってるとわかるほど顔を赤くして笑っている真奈がかわいかった。


それからもちょくちょく僕は真奈に薄めのハイボールを作ってもらっている。

でも、あれから二人で外に飲みに行った事はない。

時間がないわけじゃない。
面倒なわけでも、嫌なわけでもない。
真奈も連れて行って欲しいとは言う。
僕も真奈と一緒に行きたいお店はたくさんある。

それでも、僕がまだ真奈を誘わないのは。

少し濃度を気にしているからだ。


若い頃は濃い方が好きだった。

でもおかげで苦しんだ事もあるから。

今はもう。

無理せず長く楽しみたいならこれくらいの濃度がちょうどいい。

のんびり、ゆっくり、とね


でも、そろそろ。

もう少し暑くなったらメキシコ料理にでも誘ってみようかな。



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