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I Miss You

その女性は美しく、優しいまなざしで僕を見つめている。

静かな温泉宿。かすかに聞こえる川のせせらぎが心地いい。



今朝の夢。

もう20年以上も前のことだ。

見た夢にいちいち運命を感じるほどロマンチストではないが、なぜ今なのだろうか。

普段は頭の奥の引き出しにしまったままにしている思い出。そのまま、そっとしておいたつもりなのに。

なぜ今、彼女が夢に。

なぜ今、彼女のことを

僕は思い出しているのだろう。


◇ ◇ ◇


別れた人のことを悪く言うものじゃないという人がいる。だが、そう言う人はきっと僕のように、まっすぐに愛した人に見下され、騙され、なじられ、捨てられた経験がないのだと思う。悪口とまでは言わないが、せめて笑い話くらいにはさせて欲しいものだ。

そんな僕にも「ああ、本当に素敵な人だったな」と思える人がいる。

それが彼女だ。

彼女と”恋人同士”と言える関係だったのは1年半くらいだったと思う。

短かった。でもその分、濃かった。


あれはたしか春頃だった。彼女が休暇が取れたので一週間ほど実家に帰るという。

「あぁ、そうなんだ。車で帰るの?」

「うん。向こうに行ったら車でしか動けないから。気を付けていってくるよ」

彼女の実家の石川までは3時間くらいだろうか。

「そっか。俺も行きたいな。同席していい?というか、行きは俺が運転するよ」

「帰りはどうするの?」

「電車で帰る」

「大丈夫? でも、それならさ。せっかくだから途中一泊しちゃおうか」

「いいね~。あっちはいい温泉ありそうだもんね」



当日、僕は自分で焼いたCDを持参した。(若い人は「CDを焼く」という意味を知らないかもしれないが)

一曲目はサザンオールスターズの『希望の轍』、彼女が好きな曲だった。

さあ、出発進行だ。

二人の好きな音楽に、冴えわたる僕の漫談、大爆笑の車内。3時間のドライブはあっけないほど早く感じられた。

「あー、楽しかった」と言いながら彼女が予約してくれた宿に到着。

有名でもなく、高級でもなく、普通の旅館。それが僕達には似合っていたし、僕達にはそれで十分だった。

温泉は露天で、今思い出してもちょっと照れるのだが、二人で貸し切りだった。

下には川の流れが、目の前には山の景色が、でも僕にはにごり湯に濡れた彼女の肢体がなにより美しかった。

お風呂をあがると、部屋での食事。テレビを消して、静かに。

「おいしいね」

「うん、とっても」

化粧を落とした彼女の素顔、火照った頬がとてもかわいかった。



仲居さんが敷いてくれた布団を「これじゃ離れすぎてるだろ」と引っ付けたところに、もう一度仲居さんがあいさつに部屋に入ってきた。びっくりしたが驚きよりあまりの恥ずさに顔を上げられなかった。

次の朝、もう一度お風呂に入り。あたたかい身体のまま、僕達は宿を出た。



そこからはすぐだった。

ここが彼女が生まれ育った街。

「ねぇ、ちょっといろいろ回ってみる?」

「うん、見てみたい」

時間に余裕があったので、いろいろ回ってみることにした。

彼女が学校まで歩いた道、彼女が通っていた高校、彼女の思い出の公園。

そうか、こういう所で彼女は育っていったのか。


一度彼女が話してくれたことがある。

「あなたはちょっとお父さんに似てるの」

とてもうれしかった。

彼女が大好きなお父さんと一緒に暮らしていたこの街。

初めて来た街なのに、僕はなにか少し懐かしさを感じていた。


「田舎でしょ?」

「まあね。でも君が育ってきた街だからね。君の小さい頃が想像できてうれしいよ。来てみてよかった」

「ありがとう。こんな街だけどね、有名人も出てるんだよ」

「へぇー、そうなんだ」

「うん。松井がここの出身なの」

「ジャイアンツの?」

「そう。すごいでしょ」

「すごーい!」

「あとね、もう一人、超有名人がここの出身。でもちょっと地元民としては恥というか… 」

「え? 恥? 悪い事した人とか?」

「ううん、そうじゃないんだけど… ちょっと恥ずかしい… 」

「 誰? 気になる!」

「森さん… 森喜朗… 」




森さん。

あなただったんですね、彼女を夢に出してくれたのは。

ありがとうございました・・・




◇ ◇ ◇


夢に出てきた彼女はあの時のまま美しく。 

もう会うことはないのだろうけど。

きっとその方がいい…


---Klymaxx『I Miss You 』---

I miss you,
I miss you
There's no other way to say it
and I, and I can’t deny it
I miss you,
I miss you
It's so easy to see,
I miss you and me

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