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ありあまる富

もう15年以上前になるが、ある女性にこんなことを言ったことがある。

「僕はエスパーじゃない。君が何も話してくれなければ、僕は君の気持ちに気付くことはない。そして君は赤ちゃんじゃない。言葉を使える大人だ。だから、何かあれば遠慮なく言って。そしたら僕はちゃんと反応するから」

◇ ◇ ◇


彼女は僕の部下だった人だ。僕の一回り以上年下だったのだが、仕事のパートナーとして僕たちはいい関係を築けていたと思う。一緒にお昼ご飯を食べることも多く、お互いプライベートの話もしあう仲だった。

その時、彼女には付き合っている彼氏がいた。前の職場で知り合った人で、出会いには運命を感じたという。大いに結構。出会いなんて所詮運だ。好きになれる人と出会えてその人が自分を好きになるなんて、そうあることじゃない。

だが。後で後悔する出会いもある。


最初はうまくいっていた彼女と彼氏だが、うまくいかくなっていった。問題は彼のDVだった。

こんなにかわいい彼女なのだから、ヤキモチはあって当たり前だと思う。ヤキモチはいい。だが相手をコントロールしようとするのは違う。相手に好かれたいと思うのはいい。だが、相手を自分の思い通りに、奴隷のようにしようとするのは違う。

彼は彼女の行動をコントロールしようとしていた。

「俺のこと好きなら、できるでしょ」

彼を好きだった彼女に、この言葉を跳ね返すことはできなかった。


最初はちょっとしたことだった。「会社の人との飲み会に行って欲しくない」と言われる程度だったらしい。「行って欲しくない」だけならいいのだが、それが徐々に「行くな」に変わっていった。

ある時、職場で送別会があった。彼女の状況を知っていた僕は、隣に座った彼女に話した。

「彼氏は大丈夫?」

「はい、たぶん」

「そっか。彼氏はさ、君が楽しんでるのが許せないんじゃなくて、自分といるよりそっちの方が楽しいの?って言いたいんだと思う」

「そうなんでしょうか」

「僕もそういうパターンの女の子たくさん見てきたから。で、おじさんからのアドバイスを二つ。
まず一つ目、楽しかったなんて言わないこと。僕もキャバクラ行って帰った日に妻に楽しかったなんて言わないもん。あー、仕事で大変だった、って言うようにしてる(笑)」

「そうなんですか?笑」

「うん、マナーだね。ホントはメッチャ楽しかったけど、そんな事いちいち言う必要はない!(笑) 
次に二つ目。今日の料理さ、帰りにお店の人に包んでもらうから、持って帰りな。で、帰ってから『これおいしかったからあなたに食べて欲しかったの』。これで決まり」

「なるほど」

「ほら、サザエさんの波平さんも飲んだ後にお寿司買って帰ってたろ?日本の伝統芸だよ。飲みには行ってたけど、そこでもあなたのこと考えてたんだよ、ってね。これ、けっこう効果あると思うよ。男ってバカだから 笑」

「そうなんですね。わかりました。じゃあ、やってみます(笑)」


そんな感じでなんとか楽しくこなせていたうちはよかったのだが。

彼のコントロールはエスカレートしていった。

徐々にケンカも増えていき、暴力的な行為も増えていった。
彼は「お前がそんなのだったら付き合っていけいない。別れる」と言うようになり、そして彼女の方もその脅迫ともとれる言葉に対し「だったら、それでいい」とひるまなくなっていった。

そしてある時大喧嘩の末に別れたのだが。

”元カレ”になった彼は、歪んだ愛情をそのままに、ストーカーになった。

頻繁な電話にメール、その内容も復縁を迫るもののほかのに自殺をほのめかすものもあった。返答をしなければ家に来てドアを叩く。近所の人が警察を呼ぶこともあった。

そして。

事件は起きた。


彼女に大きなケガはなかった。だが、彼は即逮捕された。それほどのレベルの事件だった。命の危険がなかったとは言えない。

その事件の数日後、僕は彼女から内容を聞いた。思い出したくもないこと、話したくもないこと、だったと思う。だけど、彼女は全部、話してくれた。

僕は彼女の知人として、そして前から彼氏との問題を聞いていた人物として警察から聴取を受けた。その後の裁判も僕は傍聴人として出席した。

結果は5年の実刑。密室で行われたこと、しかも元は付き合っていた者同士の行為を犯罪として証明するのは難しいと聞いていたので、ほっとしたというのが正直な気持ちだった。


だが、この事件が彼女に残したものは大きかった。

男の人が信じられない、車に乗るのが怖くてタクシーにも乗れない、閉鎖空間が怖い、夜寝ていても襲われそうに感じて起きてしまう。さまざまな症状に悩まされ、彼女は会社も辞めてしまった。

それでも、僕は彼女と連絡を取ることも、たまに顔を合わせることもできた。会えば体は健康なのだから、美味しいものを食べたり、少しお酒を呑むこともできる。

元カレのこと、事件のこと、僕にはどうすることもできない。

起きたことは彼女のせいではなく、彼女にはどうすることもできなかった。

過去は消せない、彼女の今の苦しみを消すことも、たぶんできない。

僕にできることがあるとすれば、ただ楽しい時間を与えてあげること。

彼女が闇に引き込まれそうになった時、手を差し伸べ、この世には光もあると教えてあげること。

「僕はエスパーじゃない。君が何も話してくれなければ、僕は君の気持ちに気付くことはない。そして君は赤ちゃんじゃない。言葉を使える大人だ。だから、何かあれば遠慮なく言って。そしたら僕はちゃんと反応するから」

「ありがとうございます」

「うん。僕も飲み相手が欲しいと思ってたところだから。たまには付き合ってよ」

一人でいる時間は少ない方がいいと思ったのもあり、僕は週に一度は彼女を誘うようにした。その半分以上は彼女からうまくお断りされるだが、たまに会えた時には楽しい話だけで場を盛り上げた。


彼女から連絡をくれることはあまりなかったが、一度だけ、突然「助けて」とメールが入ったことがある。残業中だった僕は「すぐ行く」とだけ返信し車で彼女の家に行った。

何かがあったわけじゃなく、ただ急に不安になったらしい。聞いても解決はできない、僕にできることは一緒に時間を過ごすことだけ。

ファミレスに行き「今度海に行こうよ。そろそろいい時期だよ~。トドって見たことある? 見せてあげるよ。僕ね、けっこういい腹してるんだよ。 笑」なんて話を彼女が笑顔を取り戻せるまで。それが僕のできること。


時間というのはとても力があるもので。

数ヶ月後、彼女は自宅近くの職場を見つけ、働き始めた。

数年後、新しい彼氏もでき、それから数年後、結婚した。

結婚式には僕も呼ばれ、テーブルスピーチをさせられた。何を話したのかは覚えてないが、とても恥ずかしかったのだけは覚えてる。

最後に彼女がお母さんへの手紙を読んでいる時、僕は泣いた。恥ずかしげもなく、思い切り、遠慮なく、泣かせてもらった。


◇ ◇ ◇


今思うと、あの頃の彼女にとって僕は、お父さん替わりだったのかもしれない。

学生時代にお父さんを亡くした彼女は、必死に働くお母さんに気を遣い、ほんの少し遠慮をしながら生きてきた。

もちろん僕にも遠慮はしていたけれど。

でも、つらい時には声をあげれば誰かが助けてくれる、ってことを僕が伝えられたのならうれしいな。

今、世界がどれだけ暗く見えても、楽しいことは存在するってことも。

そして、時間のパワーはすごいんだから、もし解決できない問題があるなら、今をなんとかやり過ごせばいいってことも。

僕が伝えられたのならうれしい。



もちろん僕も彼女から受け取ったものがある。

今も大切にしている彼女からもらった言葉だ。

僕はいつものように彼女におどけて話した。

「あー、こんな大人になっちゃった。もうちょっとお金持ちになりたかったなー。佐藤浩市みたいな、かっこいい大人になりたかったんだよ~」

すると彼女は言った。

「それでもいいじゃないですか。私のパパは42歳で亡くなりました。いいじゃないですか。生きてるんですもん。それだけで、十分ですよ」




--椎名林檎『ありあまる富』--

もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返してもらうはずもないはず
なぜなら、価値は命に従って付いている
ほらね、君には、富があふれている

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