「なぜ、私は書くのか」コンテストで気づいた私のズレ
藤原華さんの「なぜ、私は書くのか」コンテストについて、なんだかいろいろと大ごとになってますね。
私はこのコンテストの中間選考で落選しました。
このコンテストについて、たくさんの方の私見を読んで「私ってひょっとしてちょっとズレてる?」と思ったことが2つありました。
ひとつ目は、「私、鈍感かも(汗)」ってこと笑
落ちてもそんな傷つかなかったんですよね。
練り込んで練り込んで一生懸命書かなかったというのもあるんですけど。
昔コンテストによく応募してたので、悲しいかな、落ち慣れているというか笑
だから仮に渾身の一作で応募してたとしても、がっかりはしただろうけど、落ち込まないというか。
私よりいい作品があっただけ、で終わっちゃう。
ショックで書けなくなる、なんてことはまずないです。
書けなかったのは多忙極まりない時と、病気の時だけ。参考記事↓(笑いたい時にどうぞ)
あともうひとつは、「募集に関する文書は注釈の隅々まで細かい字まですべて読むのが常識」と思っていたこと。
(落ちまくってるけど)応募し慣れているのと、元公務員の癖のせいもあるのかな、主催者が作品を募集する際に提示したものは、全部目を通すのが私の中では当たり前だったんです。
でも、当たり前じゃなかった。
中間選考の通過基準の記載位置が分かりづらいとか、途中で読むのをやめたという意見があったのを知って、「あーそういう意見もあるんだなー」と。
確かに、募集要項としてまとめられてたらわかりやすいですもんね。
華さんは編集者さんだから、主催者としてのハードルがどうしても高くなってしまう。
ど素人の作品募集企画とはちょっと違う。
きちんとやってくれそう、っていう期待感があったかな、と思います。
このコンテストを通じて、いろんな考え方に触れられました。
企画を絶賛している方、落ち込んでいる方、憤慨している方、などなど。
あるひとつの物事に対して、人はこうも考え方が違うのか、と。
不謹慎かもですが、私はそこに一番興味を持ちました。
昔、キムタクが総理大臣の役をやってたドラマで言ってました。
話し合えばわかり合えるのではなく、話し合えば自分とこの人は考え方が違うんだ、ということがわかると。
このコンテストを通じて、ふとこの言葉を思い出しました。
そういう意味でも、私にとってこのコンテストは有意義でした。
というわけで、私は懲りずに次、行きます笑
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