そうだ ペン、執ろう。〜35年間のうだうだ執筆記録〜
遡れば、私の執筆デビュー作(もちろん世に出ていない。世に出るどころか誰にも見せていない)は、中学1年生の時に書いた「I L♡VE 白川学園」だった。
うん。
ダサい。
L♡VEの♡がこの上なくダサい。
詳しい内容はほとんど覚えていないが、確か好きな男子がいて、ピンチにその彼が助けてくれて、晴れてハッピーエンドを迎える、みたいなベタ中のベタな学園恋愛ものだった。
逆にはっきり覚えているのが、その製本方法だ。
B5のルーズリーフを半分に折り、ホッチキスで止めただけのB6サイズの本だった。
表紙絵、文章、挿絵を全て鉛筆で書いた記念すべき書籍化第一号作品だ。
今思えば、私はその頃から書籍化に憧れていたのかもしれない。
「I L♡VE 白川学園」を書いていた頃、私はドラゴンクエストにどハマりしていた。
ゲーム、小説、アニメ、楽譜、グッズ、あらゆるものに手を出し、そしてほぼまるパクリの冒険小説まで書いた。
主人公が武闘家と魔法使いとともに、ラスボスを倒す冒険に出るのだ。
この頃私は中学2年生、物語はワープロで打てるようになっていた(今私の頭の中ではドラクエのレベルアップの音楽が流れている)。
ただ、この小説にはまるパクリ以上に、重大な問題点があった。
主人公の名前が卑猥すぎたのだ。
その名も、ア○ル。
いわゆる、お尻の穴ですな。
なぜそのようなネーミングなってしまったかというと。
アニメ版ドラゴンクエストの主人公の名前「アベル」を一字変えただけだったからだ。
46音(濁音、半濁音合わせればそれ以上)あるのに、よりによってなぜ「ナ」をチョイスしたのか。
まさかその単語にそんな意味があるとはつゆ知らず、主人公の名前だから、
「大丈夫か⁉︎ア○ル!」
「ア○ル、ありがとう」
といった具合に、文中に頻出するわけで。
それから数年後、その言葉の意味を知った時の衝撃たるや。
いやはや、無知というのは恐ろしい。
高校生になると、合唱部とかけもちで創作部に入部した。
また、雑誌で見つけた同人誌メンバー募集にも応募し(昔は雑誌にあらゆるメンバー募集のコーナーがあり、雑誌の編集部を通して応募することができたのだ)、創作活動に精を出していた。
漫画や短編小説を書きまくっていた。
机に向かう創作活動は、勉強しているフリにはもってこいだった。
そんな中、私の文章が初めて公式な媒体に掲載された。
新聞のヤングコーナーだ。
「人に恋する気持ちが実感としていまいちよくわからない」という、華の女子高生とは到底思えない内容だったが、自分の文章が活字となり、わずかな文字数でも世に出た喜びはひとしおだった。
高校を卒業してから子供を出産するまでは、恋に勉強に仕事に結婚に忙しく、創作活動からはほとんど遠ざかっていたのだが、実はこのあたりの10年で世の中は大きく変わっていた。
紙媒体が主流であった時代から、インターネットの時代に突入したのだ。
そんな時代の変化を遂げて迎えた育休時代、ワイドショーで特集されていた「ブログ」というものを知り、すぐに飛びついた。
こんなに気楽に文章が書けて、しかも自分の文章にコメントがもらえる。
このシステムにいたく感動した。
自分の書いた文章に反応をいただけるのは嬉しかったし、そこから交流も生まれて楽しい育児ブログライフを送っていたのだが。
私のフォロワーの中に、育児ネタを書きながら婚外恋愛ネタも書く男性がいて、育児に必死だった私は、単純に不快だった。
その方のブログに、
「婚外恋愛などという言葉を使って不倫を美化しているつもりかもしれませんが、奥様にとってはただの裏切り行為です。あなたが弱いだけです」
と勢い余って非公開コメントをしてしまったことは、反省している。
今は大人になり、スルーという技を覚えた(マリーはレベルアップした)。
それから数年後。
二度目の育休に入った時、私は小説投稿サイトに出会う。
これも確か当時のワイドショーで紹介されていた。
そう。
マリー@育休中は、テレビから情報を得る生き物なのだ。
小説投稿サイトとの出会いは大きかった。
高校時代、恋する気持ちがわからないと言っていた主婦は、10代が主人公の恋愛小説を書きまくった。
書きまくったおかげで、小説投稿サイトのおすすめ作品として掲載されたり、賞の選考を通過したりと、少し評価をされるようになった。
また、「ラブレターコンテスト」で、賞をいただくことができたり、ついには掌編小説が作品集に収録され出版されたりと、少しずつ評価を得られるようになった矢先。
仕事と育児に忙殺された私は、うつ病を患い、そこからおよそ10年間、執筆活動ができなくなってしまった。
書く気力が無くなった。
書けなくなって初めて気づいた。
文章を組み立てて書くという作業は、自分が思っていたよりずっと、複雑に頭を使う作業だったのだ、と。
いくつか掌編小説を書いてみたりもしたが、納得のいくものは書けなかった。
私はもう書けない。
そう思った。
そうこうしているうちに、私はいよいよ仕事を辞めることとなり。
パートとして再就職し、よくやく本来の元気と自信を取り戻した現在。
私は、「note」に出会った。
これもまた、情報源は例に漏れずテレビだった(テレビよ、いつも情報をありがとう)。
そして、私はまた、書き始めたのだ。
これはもう確実だろう。
言ってしまっていいだろう。
私は、やっぱり執筆が好きなのだ。
かなり長ーーいブランクがあっても、しれっと書くことを再開する。
結局、書くことに戻ってくる。
これを好きと言わずしてなんと言おう。
そもそも。
「書ける」ということは、幸せなことなのだ。
それは私が元気である証だから。
これからもきっと、書ける時は書き、書けなくなったら中断するだろう。
でも、それでいいのだ。
そのくらいで、いいのだ。
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