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【インタビュー企画vol.3】ラオス事務所プロジェクトマネージャー石塚貴章さん

【🌏インタビュー企画🌏】
NPO法人で働く多様な人々の仕事や、国際協力のキャリアパスについての疑問を掘り下げる本企画。学生だけでなく国際協力に興味を持つ方々に向けて、ISAPHの活動を紹介し、NGOでの働き方やキャリア形成についてリアルな声や想いをお届けします。

自己紹介をお願いします。

中・高校生時代、私は住民の安心・安全な暮らしを守りたいという想いから警察官になることを志していました。学生時代には剣道をやっていて、るろうに剣心の主人公に強い憧れを持っていました。大学への進学は、数学・物理が好きだったことと警察官になるためには学部選択に大きな影響はないことから、工学部に進学しました。20歳を迎えた頃に警察官になるための試験勉強を始めました。警察官になることが現実的になるにつれ、仕事の具体的な姿をイメージします。業務の中には、死を扱うこともあることがわかり、そこへ恐怖を覚えました。自分には向き合えないと思い警察官になることを挫折。進むべき道がわからなくなり、大学卒業後は成り行きのまま民間企業へ就職しました。

国際協力には学生時代は関心があったわけではないんですね!

そうですね、就職後も数年道に迷いつつ仕事をしていましたが、基礎自治体も住民への貢献ができることがわかり、栃木県某町役場へ転職。20代後半の頃に、当時勤務先だった自治体をまちおこしするために、海外事例を参考にしたいと考えたことが国際協力業界に踏み入ったきっかけです。当時の勤務先は地方の小さな小さな自治体でした。この町が生き残るためには、「国内の成功例を真似ても似たものしかできない、海外のまちづくりを参考にする必要がある!」と考え、仕事を辞めずに現地で腰を据えてまちづくりに参画できるJICAボランティアに応募しました。当時勤務先にはJICAボランティアに参加するための休職制度がありませんでしたが、制度を変更いただき無事参加することができました。私のやりたいことを受け止めていただいた総務課にとても感謝しています。JICAボランティア終了後に役場復職。JICAボランティア時に感じた国際協力業界のひとたちの専門性の高さを目の当たりにし、行政職に関する知識を深めるために公共政策の専門職大学院へ、仕事をしながら通い始めました。
 

なぜNGOという立場で関わることを選んだのですか?

支援先との近い距離で活動ができ、住民・地方政府と直接関われるのは比較的草の根の活動をしているNGOだからです。また、自分の成果ややったことが本当に地域の人たちのためになっているのかを直接見れるからです。町役場を選んだのも住民と一緒に仕事をしたかったからという思いがありました。制度と制度の隙間を救えるのは地元に密着した組織であると感じていました。

ラオスの現場での経験から得た気づきはどのようなものですか?

現場にいて感じるのは、住民たちの自己効力感が低いと感じています。普段の生活は、笑顔にあふれ、気持ちにとても余裕があります。怒ることも少ないですし。しかし、新しいことへのチャレンジは及び腰になる傾向がある印象があります。「私にはできないよ」と弱気な声をよく聞きます。それは活動先の住民・事務所スタッフの両方です。小さな成功体験を得る機会をつくり、彼らに自信を取り戻すことではないかと思っています。

現地で大切にしている価値観や意識していることはどのようなことですか?

尊敬の心を持つことです。話が通じないことや、物忘れをすることはお互いにあるので、相手を馬鹿にするっていう態度は一切取らないようにしています。現地職員が家庭の用事などで遅刻することがよくあるのですが、そこはあまり気にせずに、彼らが働きやすい環境を作るように意識しています。JICAボランティアの先輩方の話を聞いていたのですが、時間通りに来ないということはラオスだけではなくて、あるあるなんですね。なので、そこを過剰に気にするのではなく、相手の気持ちをよく理解し、考えることを常に意識していますね。

仕事でのやりがいや、達成感を感じる瞬間はどのような瞬間ですか?
私たちの活動が現地で根付いたと思えた瞬間です。私は、活動開始前にはISAPH内はもちろんのことラオスの活動地の県や郡保健局等々と意見交換し、企画案をよく練った上で実施をします。自信を持って活動開始するものの「果たして活動が根付くのか、本当に役立っているのか」という不安な気持ちが正直あります。そのような気持ちを抱えつつ活動終了後に、住民が自ら継続している姿をみると「本当に住民に合っている活動だったんだ」と思え、目頭が熱くなります。

   なぜ海外に拠点をおき、国際協力に関わろうと思ったのでしょうか?

国際協力をしているという意識はありません。私は社会全体の発展を優先した仕事をしたく、それがこの地域だったという考えです。貧困をなくし、社会に参画できる人が増えることが重要だと考えています。貧困も、マクロで見ると非常に難しい問題ですが、自分のできる範囲で貧困を無くしていこうという取り組みは必ず必要だと思います。それは、日本でもあるかもしれないし、ラオスであるかもしれません。ただ、貧困の形は国によって違いますね。日本の貧困は孤独、相談できる相手がいないといった特徴がありますよね。ラオスの場合は、家族が不慮の事故で亡くなり、土地がなくて、作物も収穫できなくて、たまたま貧困に陥ってしまったということもよくあります。裕福な国ではないので社会保障は整っていない反面、村長が米を分け与えたり、村のコミュニティで助け合うといったような、日本とは違った特徴があると感じています。


国際協力に対する敷居が高くなっている中で、国際協力の重要性はどのような点があると思いますか?
"なっている"かどうかはわかりませんが、敷居は高い印象はありますよね。英語スキルやインターンなどへの参加と金銭的負担が私はハードルに感じていました。不安な点といえば、JICAボランティアに参加した場合、2年間海外に身を置いていくことで民間企業だとかいろんなキャリアの選択が狭まってしまうんじゃないのかっていう、不安があるんだと思います。そこは私はもう諦めました(笑)結果としては楽しい仕事ができましたし、一時帰国した際に友人と話すと、若返ったりとか生き生きしてるねって言われるので、自分のやりたいことはやった方がいいような気はしてます。国際協力の裾野を広げていきたいですが、日本人が国際協力に関わる”べき”という考えは私にはありません。海外へ支援したいな、などわずかでも気持ちが生まれたら、募金箱への寄付やオンラインセミナーの参加など、軽い気持ちで国際協力業界を覗いてみることが良いと思います。


国際協力の分野で必要なスキルや能力はどのようなものがありますか?

言語力などはもちろんなのですが、「やりきる力」と自戒をこめて。ラオス事務所もそうですが、日本人職員が一人の時もあり、NGOは少数精鋭であり、一個人に対する責任は多いと思います。そのため、自分が動かなければ何も動きません。ただ予算・時間など様々な制限はあります。そんな環境のなか、諦めずやりきる力が重要なスキルだと思います。やりきるために身体を壊さず、体調管理することもひとつです。仕事を実際にやってみると「住民のために」を思えば、辛いと思うことは一片たりとも思ったことはありません。

もし今学生に戻れるとしたら、何をしますか?
 英語を一生懸命勉強しておいたらな、と思います。振り返ると常に英語の何かしらの参考書・英会話本が本棚にありました。しかし、TOEICを受けることもなくなぁなぁで勉強していたので身についていませんでした。道に迷った時間は、もったいないなと思ったので卒業後はストレートで元自治体へ入職し20代後半に議員立候補に伴い退職、議員を一期で引退、基礎自治体に対し執行機関・議会の両方の立場を経験したうえで、30代前半にJICAボランティア参加、その後現在と同様NGOで働きたいです。

キャリア形成の中で、様々な紆余曲折や失敗をどのように乗り越えたのでしょうか?

今までのキャリアは成り行きでたまたま受かったり、JICAボランティアもたまたま後押ししてくださる人がいたからという偶然が積み重なりました。国際協力の現場ですと、華々しいキャリアを選んでいる人が多いですが、失敗はもちろんありますし、「失敗はある」という事実は避けられません。その際に、凹んで、反省もするし、同じ失敗を繰り返して、めげてもいいですが、時間が解決してくれます。ただ、何よりも自分の想いややりたいことを常に持っていくことが重要だと思います。

世界に貢献したい、国際協力を目指す若者へのアドバイスやメッセージをお願いします!
世界に貢献したいと思ったらまずは何でもいいので行動をしてみてください。その行動・経験からあなたのなかで国際協力の芽が生まれます。国際協力に関することは、海外や住んでいる自治体の外国人へ話を聞いてみることもひとつです。海外旅行に行ってみたりとか、シェアハウスに住むのも手です。そのような経験が国際協力への敷居を下げてくれるかなと思います。若者は間違えても許されます!特権です!興味を持ったらいろいろとうまくいかないこともたくさんあります。私はうまくいかなかったことが人生の9割を占めます。右往左往していますが、何故かやりたいことができています。とにかくやりたいことに一直線で行動してください!


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