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あたたかい壁の部屋

今週になって、ベルリンはぐんと冷え込んだ。毎日ヒートテックと腹巻きが欠かせない。今も布団に潜って、毛布をかぶりながらこのnoteを書いている。
空はここのところ毎日灰色で、どんより曇っている。時々冷たい通り雨が降る。昨日の夜は、雪が降ったらしい。積りはしなかったけれど。


寒い季節になると、人恋しくなる。
ただ単に手が冷たくなるからなのだろうか。それとも、クリスマスにお正月に、人と過ごすイベントが多くなるから?
いずれにしても、人恋しくなる季節である。

ドイツの部屋には基本的にエアコンはない。ハイツングと呼ばれる壁に沿った暖房器具があるのだけれど、窓ばかり多いこの部屋では暖房を入れてもいれても暖かくならない。それならいっそ着込んだ方が暖かい、ということで毎日部屋の中でも服を着込んでいる。
ハイツングはお湯を使って部屋を温める暖房器具だ。平べったい機械の横に回す式のダイアルが付いていて、数字を大きくすればするほど機械の中を暖かいお湯が循環し、その熱気で部屋を温めてくれる。

この部屋に引っ越してから気づいたことが一つある。
その暖房器具のためのお湯が流れているためなのか、わたしの部屋の壁は、一部だけいつも暖かい。

見たところはなんの変哲も無い、白い壁なのだ。だけれど手を当てると、じんわり人肌くらいの暖かさなのである。
他の壁も暖かいのかな?と思って一面を触ってみたけれど、その他はただの壁だった。ひんやり冷たい。
壁は冷たいものだと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。

時々、壁の暖かい部分に寄りかかってみる。壁に寄りかかると、すぐそばの大きな窓から外が見える。
空は相変わらずの灰色。外を歩く人はほとんどいない。時々通り過ぎる車。葉っぱも全てなくなって焦げ茶色だけになった並木道。なんとなくさみしい光景だ。

ふと、この間、好きな人と会った時のことを思い出す。
最後別れる前、私たちはハグをした。
わたしの乗る地下鉄の車両が入って来て、相手を振り返ったとき。
ハグをしながら、お互いの頰を合わせた。好きな人の頰は、ほんのりと暖かかった。身体を離したあと、わたしはすぐに地下鉄に乗り込んでしまった。気恥ずかしかったのだ。頰を合わせて相手とハグをしたのが、初めてだったから。
車両は空いていた。椅子に腰掛けると、窓から相手が立っているのが見えた。わたしはもらったアドベントカレンダー(チョコレート付き)を掲げながら、手を振った。相手は少しだけ笑った。

壁に寄りかかりながら、あの人の頰を思い出す。
ほんのり暖かくて、少しだけ乾燥していた頰。
壁はあの人の頰よりも暖かいけれど、あの人みたいにわたしを抱きしめ返してはくれない。

少しだけ後悔している。
あの時、やっぱり次の電車にする、って言っていたらどうなっていたかな、と考えてしまう。頰を合わせて目が合った後、逃げるみたいに帰らなければよかったな。もっとあなたといられて幸せだということを、言葉でなくても伝えればよかったな。

わたしの好きな人はドイツ人だ。
方やわたしはドイツ語初心者。会話は滞ることは多いし、感じ方や伝え方だって日本語とドイツ語じゃ違う。
でも、好きだという感情は伝えなければならないな、と思う。言葉だけが全てではないから、せめて態度で。
わたしはどちらかといえば遠慮がちで恥ずかしがりやな方である。というか、こう言ったら、こうしたら相手はどう思うかな、ということを考えすぎてしまう。そして失敗した時のことを考えて、結局行動することをやめてしまう。そのことについては好きな人からも注意されていて、つい先日も恥ずかしがらないように努力する、という話をしたばかりだ。
彼らはなんでも言葉にして伝えてくる。好きなもの、嫌なもの、見たこと、思ったこと。言葉にして、わたしに伝えてくる。そしてわたしの言葉を待ってくれる。何を言ってもいいのだと言う。思ったことを教えて欲しい、と。
でも、恥ずかしいものは恥ずかしい。わたしははにかんで、当たり障りのないことを言っておしまいにすることが多い。自分のこと全てを本当に受け入れてもらえるか、自信がないのだ。受け入れてもらえなかった時、その事実を自分で受け入れられないような気がして、それが耐えられない。

壁が暖かいのは、お湯が流れているからだ。
わたしの身体にも、血が流れている。腕も、脚も、お腹も、暖かい。あの人も身体も同じように暖かいだろう。ほんのりと温かかった頰。わたしの頰はきちんと、あたたかかっただろうか。


ベルリンは、これからますます寒くなる。
わたしは多分明日もヒートテックと腹巻を身につけて、布団に潜り込んで毛布をかぶりながら何か文章を書くだろう。そして時折、気がついたみたいに暖かい壁に寄りかかる。壁は抱きしめてくれないけれど、確かにわたしを支えてくれる。あの人の頬を思い出す。あたたかくて、少し乾燥した頰。あなたがいなくてさみしい。たったそれだけの言葉を言えたら、どんなに楽だろう。

人恋しい季節、あなたがいま頰を合わせたい人はいますか?