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祝GG受賞・鷺と少年と僕の衝撃

ついこないだようやくイギリス公開になって、そのあまりの衝撃を勢い任せに書き散らしたばっかりですが、また「君たちはどう生きるか」についてです。だってその後も大変だったんですよ。映画見た後1週間くらい、頭ん中に眞人くんがウロウロしてて、なんかずっと色んな事考えてました。まったくなんて事してくれるんだ。

ずっと避けてた感想考察系とかも一通り回収して、賛否両論も両側から納得。「なるほどそういう事か」と補完しつつ「なるほどやっぱりわからん」みたいな、どんだけ掘っても底が見えない。でも初見でドエラい衝撃を喰らったのは確かな現実。一体何なんだこの映画は。とか思いながら、ようやく若干冷静さを取り戻しつつあった矢先、今度は「ゴールデングローブ賞受賞」の報。おぉう。日本人ですら大困惑中なのに、欧米人にこのコンテクスト理解できんのか。しかも欧米公開したばっかの土壇場滑り込み受賞。まあとりあえずおめでとう駿じいちゃん。


衝撃1・ウェルメイド放棄

そうですよ。この映画、コンテクストを無視して単体のアニメ映画として見たら、正直そんな面白くないし凡庸なストーリーなんですよ。もちろん演出と作画クオリティだけでもぶっちぎりなので、賞を取ったって驚きはないんですが、作品単体では児童文学の王道的構造をなぞっているだけ、とも言えなくもない。エンタメ性も低いし、ストーリーだけで言えば正直僕もインコあたりからしんどかった。でも見終わった後の余韻、ぶん殴られた感はもの凄かった訳です。

思うに一つ目は「クリエイター目線で見た場合」の「こんなんどうやって作るんだ」という衝撃です。普通プロダクトを作る場合は「ウェルメイド」を目指します。誰にでもわかるように、過不過なく説明し、作品内における整合性を担保し、時折意表を突いたり感動させたりの起伏を作って観客を楽しませる。いろんなオーディエンスに目配せして、退屈や不快にさせないように、気持ちよくさせるように、バランス良く綿密緻密にデザインしていきます。どんなプロダクトもウェルメイドを目指して必死で完成度を高めてやってるにも関わらず、それでも殆どの完成品は「つまんねー」と一蹴されてしまう訳です。

でもこの映画は、ウェルメイドをほぼ放棄してるにも関わらず、「なんかわからんけどすげー」みたいな、深層心理の部分で惹きつけられてしまう。もちろん「観客を楽しませる」事を放棄している訳ではないんですが、作者の中にある様々なイメージ群をこねてこねて繋げていく、極めて感覚的で特殊な作り方。整合性は危ういしはっきり説明もできないんだけど、「なんかこうすると気持ち良くて、正しい気がする」みたいな、もうフワッフワの作り方してて、更に何故かそれが観客に伝わってしまう。そんなジャズセッションみたいな芸当をマスでやってる作家、他に思い当たりません。

僕もゲーム作ってる時や、仕事絵を描く時は、基本ウェルメイドを目指してやってます。クライアントのため、カスタマーのため、自分の好みは差し置いて、全身全霊で誰かを喜ばそうとするのが普通のプロ仕事です。個人プロジェクトとして漫画を描き始めてから、作家的な葛藤も多少理解できるようになってきましたが、それでもやっぱり「わかりやすさ」は常に意識しています。だって誰にも伝わらなかったら悲しいじゃん!そもそもフワッフワでは作画にすら入れないし。なのに、それをやっちゃった上に、それで「良し」として世に出すとか、普通の神経なら恐ろし過ぎて、もう勇気あるとかいうレベルじゃないですよ。

衝撃2・圧倒的描画演出

ウェルメイド放棄してるのに、この映画は成立してしまってる。なぜなら「それでも破綻はしていない」し「演出力が異次元レベル」だからです。論理的な思考を超えて、本能的な部分に訴えかける演出。これまたちょっと普通じゃ考えられない芸当です。

ジブリブランディングのおかげで、安心安全ファミリーフレンドリーなイメージついてますが、宮崎駿は常にアナーキストだしフェティッシュな作家で、この人の作画は本能に訴えるものが多いです。特に「ドロッ」「ベトッ」「ヌチャッ」「ブヨン」「ヌルッ」「ズルッ」「グチョッ」みたいな触感的アニメーションがまじで天才的。ジブリ飯が美味そうに見えるのもこの力です。それに加えての重力表現。各素材の重力下における揚力や運動軌道、飛翔と落下、着地。つまりは現実世界の物理法則を徹底観察した上で感覚的に表現できるという、アニメーターの本質的な力です。

また、演出面でも「水辺の凛とした鷺」に「目玉」「歯」「超速飛行」などのカットを差し込む。「親子の愛情」に「烈火」「溶解」みたいなカットを差し込む。ドキッとさせたり、ギョッとさせたり、一瞬の不安を起こさせる演出で、なんでもないシーンでも一気に引き込まれてしまいます。目線や小さな仕草、何気ない演技で、常に無意識下の情報を送ってくるので、観客は気づかないレベルで色んな事を感じ取っている。つまり人間の心理反応の観察眼も驚異的

これらの作画力・演出力によって、何も説明されないのに、怒涛の情報量で僕たちはまんまと取り込まれてしまいます。そしてたぶん本人もそういう表現を無自覚的にやってる。まじで凄すぎる。

神作画や神演出みたいのは、他のアニメでもたくさんあります。スゲ〜カッケ〜美シイ〜とかの新表現トレンドがあって、最近では強パースでカメラぶん回してエフェクトドーン系のバトルシーンとか大人気です。でも地に足着いたアニメーションでここまでやられると、尖ってる系外連味トレンドではやっぱり太刀打ちできないわ、と思わされてしまいます。基本情報量多め、解放系か凝縮系か、みたいな。

衝撃3・抽象表現

とにかく説明しないんですよ。「なんで?」「今の何?」「どういう意味?」みたいな事が次から次へと出てくるんですが、それをいちいち説明しない。ゴジラ-1.0みたいに、状況から心情まで全部セリフで説明してくれる親切設計ウェルメイド作品に慣れてる観客にとっては、こういう映画はフラストレーションすごそうです。見た目がキャッチーな分尚更です。

全てに答えが用意されてる訳ではないけど、でも決して放ったらかしてる訳でもない。眞人くんが頭カチ割るに至る理由を、そこまでに色々描いてるしサインも出してる。でも「僕はもういっぱいいっぱいなんだァーーッ」とか説明しません。そして、しない事で眞人くんという人間がより深く表現されて突き刺さる。

確か宮崎駿本人が「ウェルメイドは最初の4作だけ」と言っています。カリオストロ、ナウシカ、ラピュタ、トトロで、プロダクトとしての作品はやり切ったと。つまりジブリ以前で既に全部出し切ったと。もう出し切ったのに、会社立ち上げた手前映画作り続けなきゃならなくなって、原作付きとか、他の監督に投げるだとか、タイアップとか色々やり始めるものの、結局最終的には宮崎本人が巻き上げてしまうというジブリの歴史。そしてその中で児童文学的な抽象表現が熟成されていきます。

で、ジブリ設立の魔女宅あたりから「説明しない表現」が始まります。もののけくらいまでは、それでもまだ分かり易い部類でした。でもアラ還暦の千と千尋あたりから抽象表現加速、ストーリー意味不明気味に。ハウルやポニョに至っては、もはや観念的領域に突入していくんですが、それでもやっぱりキャッチーな造形や、圧倒的描画演出力でもっていく。風立ちぬで現役引退した後、隠居作家として抽象表現に振り切って自由に作った自主制作映画がGG受賞に至るという、その経緯もまた味わい深い。

衝撃4・歴史の継承

考察系でも「この元ネタはあれだ」「あのキャラはあの人だ」「これはあれのメタファーだ」みたいなのが大量に上がってて、まあそうなんだろうと思いますが、個人的にはそういうのはあんまり重要ではありません。僕自身も漫画描く時には引用元やイメージ元、モデルになった人とか色々ありますが、そういうのが全部色々混ざった上に自分自身の一部が乗っていくので、「これがこう!」とか言い切れるもんではないです。

僕が思ったのは、宮崎駿のようなインテリ超天才でも、やっぱり完全オリジナルとかではなく、影響を受けたり取り込んできた様々な要素を組み合わせて、自分フィルターを通して作品を作ってるんだなって事です。前の世代の作家のアニメや小説作品。その前の哲学書や、その前の伝承や絵画。代々受け継がれてきた人文知を、選び、取り込み、組み合わせ、自分の何かを付け足して作品として生み出す。むしろインテリだからこそ。

映画作中でもモロに出てくる「13個の積み木」ですね。それ以外にも有象無象、そこら中に積み木が転がっています。これらを選び拾い上げ、自分の世界を積み上げる。眞人は提示された13個を拒否して、他の適当な積み木を持って帰りましたが、「どうせ忘れるし、それでいいんだ」とも。

どんな時代の、どんな人も、凡人だろうが天才だろうが、「受け継ぎ、付け足し、引き渡す」という歴史継承の一通過点であり、そうやって人類全体としての知性が進化していくんだなあ、とか思ったり。

衝撃5・ガチャの奇跡

紛れもない天才の宮崎駿。まずは才能ガチャ勝者です。でも天才だからってみんな開花できる訳ではありません。数多のガチャを回して、それらが噛み合わなければなりません。

そもそも「ガチャ」って、マイケル・サンデルの「実力も運のうち」の反メリトクラシーあたりから流行った言葉だと思いますが、宮崎然り、手塚然り、宮沢然り、遡れば釈迦然り、こういう人達ってまず親ガチャ勝者のボンボンです。衣食住の心配のない家に生まれ、その余剰を教養に回せる素地がありました。趣味に没頭したり、意識高く世の中を憂いたり、インテリ化できる余裕があった訳です。

そしてそういう人は出会いガチャにも勝ちがちです。才能と教養で人を惹きつけて、ライバルやパートナー的人物に出会います。天才やアーティストの多くは社会不適合者なので(コラ)、敏腕プロデューサーに出会わなければ大成できません。このセオリーは世界アート史を見ても再現性高いです。

そしてタイミングガチャ。世の中の時勢やトレンドと噛み合うか。これに関しては宮崎氏はだいぶ苦労した模様。SFブームの真っ只中、ジブリ初期の作品は総ゴケ総スカンでした。出会いガチャで引き当てた鈴木さんが徳間日テレを駆使してお茶の間制覇に成功しなければ、またその後DVDがなければ、ラセターに会わなければ、ネットがなければ、時代の狭間に消えていたことでしょう。

これらをひとまとめに「巡り合わせ」と言ったりします。成功者がよく「ただ運が良かっただけ」とか言うのは、謙遜じゃなく本心なんじゃないかと思います。制御できる類のものじゃない。こないだ書いた水木しげるのケースとはガチャ具合がだいぶ違いますが、最終的には水木氏も大成してるので、やなせたかしみたいな晩成型ガチャ勝者とかもあるんでしょうね。

その時、その場所に、それを持って、いる。偶然その条件を満たした人が跳ねる。それがガチャの正体で、結局は運次第、となる訳です。だから成功ハウツーに再現性は無い。で、その運を掴んだ果てに生まれた奇跡の結晶、それが「君たちはどう生きるか」で、その事自体をメタ的に語ってる、みたいな事を考えてしみじみしてしまいます。

まとめ

とにもかくにも、言いたいのは「僕はすごい衝撃を受けたんだ」って事です。正直舐めてた。ここまでやられるとはまったく予想外だった。「何が衝撃だったのかもよくわからない」なんて体験、長らくありませんでしたよ。どうにか言語化しようと頑張ってみたけど、あんまりにも全方位多層的に絡み合ってて、色々書いてもまだ完全にスッキリしません。いやーすげー大好物きちゃって消化できない。

まじで賛否両論で、周りにもつまんないって言ってる人も結構います。寂しいけどそれも解る、僕も説明できないし、みたいな複雑な心境だったけど、GG受賞って事で、誰かの共感得られた気がしてちょっと嬉しい。世界中のみんな見て、賛否両論してもらいたいですね。中にはきっと僕みたいにぶん殴られる人もいるはず。そしてその積み木を持って、次世代の作品へと継承されていってほしいです。

まだ見てない人は見よう!


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