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強迫性障害と言葉

今日はこんな真夜中の更新になってしまいました。こんばんは、いるです。

言葉を使って人と話すこと。それは1日に何回あるだろうか。コンビニで店員さんと交わす言葉、職場の人と交わす言葉、友人と交わす言葉、家族と交わす言葉、電話で誰かと交わす言葉。日によって交わす言葉の数は変わってくるだろう。前も記事にも書いたと思うが、私は福祉業界で働いていることもあり、常に人と関わる仕事だ。そんな私は人と話す機会は1日に多い。あれ?こんなこと、前も記事に書いたかもしれない。まぁいいや、気にせず続けていこう。

強迫性障害の私は自分が発した言葉に関して100%の自信がない時に不安になる。「誤った情報を伝えてしまったのではないか」、「今伝えたことがまちがっていたらどうしよう」と、頻繁にこのような強迫観念が襲ってくる。それは重要なことから、どうでもいいことまで幅広い。重要なことで言うと仕事のことだろう。誤った情報を伝えたら、「今、伝えたこと大丈夫なのか」と咄嗟に思い、「おそらくですけど・・・」、「だったと思います・・・」そんな感じに自信がないような発言になってしまっている気がする。まぁ重要なことであれば「それは思って当然」との意見があるだろう。でも、自分の中では気にし過ぎていると思っている。いや、客観的に見ても「気にし過ぎ」の部類に入るだろう。

では、どうでもいいことだったらどうか。例えば、適当に礼を考えてみる。「この虫って実は珍しいんだよ」、「この飲み物って限定発売らしい」こんなことって、別に間違っていても問題ないだろう。別に「嘘をついていい」と言っているわけではない。自分がその時「合っている」と思っている情報を伝えているのだ。このようなことでも、強迫性障害の私にとっては「嘘の情報伝えちゃったらどうしよう」、「間違った情報かもしれない」と不安になり、ググる。そして間違っていたら、さらに不安は増し、「間違った情報を伝えてしまった・・・」、「ちゃんと訂正をしないと・・・」となり、相手に訂正を伝える場合もあるのだ。多分ある。この多分あるって言うのも不安だからつけている。でも、相手からの反応はおおかた予想はつくだろう。「別に大丈夫だよ」、「全然問題ないよ」だと思う。

と言うことで、私はしょうもない事にも悩んでいるのだ。で、悩むくらいだったら相手に訂正を伝えるのだ。幸い私の周りの人たちは、私の病気の症状を理解してくれているので、快く返答をくれる。ありがたい。本当にありがたい。「どうでもいいだろ!」、「いちいち言ってくるなよ!」と思われてもおかしくない事象だと思う。

そんなこんなで、強迫性障害によって、自分の発言に制限がかかってしまうこともあるのだ。多分。

難しい、いかに難しい。いや、意外にシンプルなのかもしれない。分からない。

と言うことで(何がと言うことで)かは分からないが、今日も記事を読んでいただきありがとうございました😊良い夢を🌓


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