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【読書からの気づき】社会に馴染めない理由を、いろうた的にまとめてみた

「なんで理解してもらえないんだろう?」
「相手が急に不機嫌になった。なぜだろう?」

ともかく、私はこういう体験が多い。

あるいは、伝えたいことは確かに浮かんでいるのに、発言するとなると途端に口ごもってしまう……。そしてしばらく経ってから「ああ言えば良かった!」と後悔する……。

それは私が「内向型人間だからだ」と結論づけていたのですが、今回の読書によってもっと根源的な理由だったことが分かりました。

今回読んだのは、前回に引き続きインタビュアーの尹雄大ユン・ウンデ氏の別著「つながり過ぎないでいい――非定型発達の生存戦略――」です。こちらを引用しながら、私がこれまで感じていたモヤモヤ、もどかしさが何であったか、や読書からの気づきなどをお伝えしていきます。


○社会に馴染めないのは「非定型発達人」だから

以前ご紹介した、「モヤモヤの正体~迷惑とワガママの呪いを解く~」と「さよなら、男社会」の二冊から受け取ったメッセージは、「自分らしく生きていくためには、まず自分自身と対話し、今自分が何を感じているのかをじっくり味わうことから始めよう」という内容でした。

しかし今回は、その結論に至ったユン氏自身の体験(身体的な特徴)から、社会に馴染めない理由と、そのような身体に生まれついた人たちがどのように生きていけばいいのかを提示するといった内容になっています。

社会に馴染めない人のことをユン氏は「非定型発達人」と呼び(いわゆる「普通」の人を「定型発達人」と呼ぶことから)、社会の求める基準に達することが出来ない人は「無能」でも「劣っている」のでもない。「今はさなぎから蝶になるための準備期間を過ごしているだけだ」と言っています。

この、さなぎの期間を「胚胎期間」(胚胎とは、やがて起こる出来事のもとの始まり、の意)とユン氏は命名しました。

この社会では、健常者なら「出来て当たり前」「努力すれば必ず出来るようになる」と考えられており、出来ない場合は「努力が足りない」と見なされます。私もそういう教育を受けてきたし、「なぜ出来ないのか」と怖い顔で睨まれたり、時には叩かれたりもしました。

私の場合、とりわけ挨拶が出来ず「挨拶の出来ない子」というレッテル張りにはかなり苦しみました。しかし、出来ないものは出来ないし、強制されて言う挨拶に何の意味があるのかとさえ思ってしまう。今ではなんとか言えるようになりましたが、そこには何の感情もありませんし、しないでいいならしたくない、と今でも思っています。

ユン氏も、自身の体験から「努力しても、基準に達せないことはある」といい、「時には体が勝手に動いて(反応して)しまうのだから仕方がない」と述べています(気が合わないと身体が感じた人に対して、そっぽを向いたりその場を立ち去ったりといった態度を無意識的に取ってしまうようなこと)。

「そのような態度を取ってしまうのは、『私』の中に『他者』がいるからだ」と聞いて、すぐに納得できる人はどのくらいいるでしょうか。つまり、頭で考えたり、コントロールしようとしても出来ないことがあるのは、私が統一された個人ではないからだ、とユン氏は言うのです。

これを物書きらしく私なりに表現するなら「私というひとりの人間」を構成しているのは「たくさんの創作キャラたち」となるでしょう。高校時代の恩師に「あなたの物語に登場する人物はすべて、あなたの分身のようだ」と言われたことがありますが、20年経ってようやくその意味が分かりました。

私というひとつの「マンション」にはたくさんの「創作キャラ」という住人がいる。彼らはマンションの「意思」に関係なく自由気ままに行動し、暮らしている。時にマンション外に騒音が漏れたり、住人が暴れたりすることもあるが、基本的に彼らをコントロールすることは出来ない……。

このように考えてみたら、時に自分らしくないと思えるような行動をとってしまったとしても、一応納得できるような気がしませんか?

○日本語は「第二言語」

冒頭で、「言いたいことがうまく伝わらない」ことで後悔することが多い、と述べました。その理由を、今回ユン氏がずばり言語化してくれました。それが、

「内語(内言)を日本語に正しく翻訳出来ていないからだ」

ということです。

私たちは、日本語という共通言語を話せるがゆえに、思ったこと、言いたいこともわかり合えるはずだと思い込んでいます。ところがそこに問題があるとユン氏は指摘しています。

日本語を話す以前に、私たちは「感覚的なもの」をまず「内語(内言)」(これが第一言語)で表し、次に「日本語」という第二言語に翻訳して発言しているが、その時の翻訳が上手くいかないために誤解されてしまう、と言うのです。

これを読んだとき、「頭の中のイメージを言語化するのが難しかったのはこのせいか!」とようやく腑に落ちる体験をしたのでした。

言語化する以前の「イメージ」なり「モヤモヤ」は本当に言葉に出来ない「感覚的」なものです。これが第一言語だとするなら、それを日本語に翻訳するのは「作業」であり、ひと手間もふた手間もかかる。そして私の場合、その過程で「誤訳」あるいは「相手とは違う辞書で翻訳」するからすれ違うことが多い。加えて発言(声に出すための言語化)に時間がかかるため、会話中に言いたいことを伝えられない、とわかったのです。

自分の頭の中にある知識や情報を「相手も持っている」という前提で話す人の場合、「説明しなくても分かるだろう」と無意識のうちに思って話すから伝わらないと言うこともあるでしょう。

○ありのままに生きる

このことから、

・人はそもそも100%わかり合うことなど出来ない
・ばらつきのあるものを「普通」という言葉でくくれるはずがない

ということがわかります。

ユン氏は、排斥されてきた側の人間として「胚胎期間を必要とする種族」は、自分の内なる言葉に誇りを持ち、自己の感覚を徹底的に味わい、出来ない自分のまま生きていこうと主張しています。

「出来ない」ことは弱さではない。だから鍛えようとしたり見ないフリをしたりせず、出来ない自分をありのままに認める。それが本当の強さに繋がるのだ、と。

また、自分を肯定し、他者を拒否する。それを罪悪感無しで行うことで、この社会でも生きていくことができるともいいます。この「罪悪感無しで」というのが難しく聞こえますが、そもそも他者を拒否することを「悪」だと覚えたのはいつだろうか、とユン氏は投げかけています。受け容れられないから拒む。それによって孤独やわびしさを感じるかもしれないが、それが自分自身をを取り戻すことに繋がるなら、わびしさも悪くないではないか、と。

◇◇◇

私たちは自分の人生を社会(みんな)に委ねすぎている。そろそろ自分を教育し直し、自分自身を取り戻すときだ、と言うメッセージには勇気をもらいました。

私自身の再教育はもちろんのこと、私と接点を持つ人が同様に自分を見つめ直すきっかけ作りが出来るような生き方をしていきたい、またそのような記事を書いていきたいと思っているところです。

まずは、この記事が社会に馴染めない人に届くことを願って……。

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