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【連載小説】「愛の歌を君に2」#12 ライブの最後を飾る曲を巡って……


前回のお話(#11)はこちら

前回のお話:

ライブ日は奇しくも一年前にサザンクロス再結成を宣言した日に決まった。広い球場を前に、麗華は自分たちがステージで生歌を披露するイメージを膨らませる。
それから半月はんつき。遂にオーナーのピアノ曲が完成、お披露目となる。その曲はセナとリオンが二人で弾くことを想定して作られたものだった。感動したセナはオーナーと共演したいと申し出、毎日指導を受けることとなる。感化された拓海たちも自宅のスタジオで一層練習に励むことを誓うのだった。

34.<麗華>

「音楽性の不一致からブラックボックスは解散し、リオンだけがソロデビューすることになったと事務所から公式発表がありました」

 ある程度心づもりはしていたが、ショータさんから報告を受けたあたしたちは耳を疑った。それは一週間ぶりにライブハウスを訪れたときのこと。開店前に特別にステージを借り、三人でライブの予行演習をしたあとの出来事だった。
 
 加えて、未だ、、ブラックボックスを名乗るユージンとセナに対しては、即刻活動を停止せよとの警告文も出ているという。

「あたしたちに言うならともかく、ブラックボックスを標的にするなんて……」

「まぁ、逆に考えれば、サザンクロスとブラックボックスがタッグを組むことで一万人集められると思っているから先方も潰しにかかってくるのでしょう。ネット上では、シークレットゲストはブラックボックスだろうと予想する人が大半ですからね。そういう情報を流すことでチケット購入者を混乱させる狙いもあるかと」

 ブラックボックスを名指しした警告文書が出たと言うことは、おそらくリオンはまだ取引料を受け取っていない。受け取っていれば、その金は活動停止料として速やかにこちら側へ届けられるはずだからだ。これは突飛な考えかもしれないが、ユージンとセナがこの文書を受けて活動を停止しなければ、リオンはプロのダンスミュージシャンという名の奴隷と化す。それでもいいのかと脅してきているようにも思える。

「……どうして社長は、バンドから一人だけ引き抜いてメンバーと対立させるようなことをするのかしら? あたしの時もそうだったけど」

「三人寄れば文殊の知恵と言いますからね。事務所はそれを恐れているのだと思います。対して、若者一人ならコントロールしやすい」

「…………」
 今の自分たちの実力が高く評価されているのはいいことだが、その裏で起きているであろうことを淡々と説明されて氣が滅入った。

 ライブ日まで一ヶ月あまり。チケットもかなり売れている状況でこの発表はかなりの痛手。なぜなら、ブラックボックスがゲスト出演すると見越してライブに来るファンが多いことは分かっているからだ。今後、事務所が大々的に報じれば不信感を持ったファンがキャンセルを申し出ることも充分考えられる。

 しかし、ネガティブになっているあたしの隣でショータさんは余裕の表情を浮かべている。

「この出来事は最悪のシナリオではない、って顔ね」

「こうならないに越したことはありませんでしたが、想定の範囲内、というやつですね。こっちも秘密裏に手を打っているので焦りはまったくありません」

「一体どんな手を……?」

「それは秘密です」
 彼は唇の前で人差し指を立てた。

「実は、バッドニュースがもう一つある」
 と続けたのはオーナーだ。

「サザンクロスのライブ日と時を同じくして、市民球場に隣接するアリーナで事務所主催の音楽フェスを急遽きゅうきょ、行うことになったと聞いた。そこで、リオンを含む新人アーティストを発表するのだと」

「急遽ってどういうことだよ? 祝日のアリーナがそう都合よく空いてるはずがない」
 智くんが詰め寄った。

「無論、お前らのライブを台無しにするために決まってる。どうやらカネの力で先客のイベントを別日に移動させたようだ」

 ――「聞いた」とか、「ようだ」とか……。いったい、オーナーは誰から聞いたんだよ?

 拓海の手話を智くんが通訳すると、オーナーは「音楽フェスの主催者本人に、だよ」と答えた。

「主催者って、社長のことですよね? やはり社長とオーナーは何か因縁が……?」
 あたしの問いに小さく頷く。

「……私とあいつは同じ音大のピアノ科でな。成績を競い合った間柄なんだ。互いに夢を語り合ったこともあったが、ピアニストとしてやっていける人間はほんの一握り。ピアニストの道から外れてしまった私たちが選んだのが、ミュージシャンの輩出だった。はじめはあいつも私と同じ、夢を語るミュージシャンを探していたんだが、それでは成功できないと思ったのだろう。大手メディアと蜜月を交わし、メディアの意に沿ったミュージシャンを世に出す方に舵を切り今に至っている。
 ……あいつは確かに成功した。事務所を大きくし、たくさんのミュージシャンを世に出しても来た。だが、その代償として夢を売った。だから許せないんだろう、嫌いなのだろう。自分が諦めた夢を語るミュージシャンのことが。……いや、本当に許せないのは私一人なのだと思うが、あいつも耄碌もうろくしてきたのかもしれん。でなければ、いちバンドのライブを潰すためにそこまでするはずがない」

「……なぜ社長とコンタクトを?」

「脅しの連絡が入ったのでな。その対応をしたまでだ」

「脅し……」

「反社会的な歌を歌うサザンクロスおよび協力者のブラックボックスは害悪そのもの。彼らの支援を続けるなら次こそ店を潰す。それが嫌なら、直ちに支援をやめてこれまで通り小さな店でお遊戯ゆうぎ会をやってろ、と。……無論、要求は突っぱねたがな」

「反社会主義者だってことは認めるが、ここでのライブをお遊戯会だと言われるのは心外だな」

「それだけ歌の力を恐れているのさ。本物ホンモノのシンガーが想いを込めて歌うことで聴衆の意識が変わり、洗脳から目覚めることを知っている。だからお前らのライブを、果ては私の店を潰そうとしているのだよ」

 オーナーの智くんに対する返答を聞き、あたしは先日、社長に会ったときのことを思い返した。

 あたしやリオンが何を言おうとも、社長は一切耳を貸そうとしなかった。自分のしていることはまっとうなのだと言わんばかりに。しかし時折、何かに迷っているかのように表情が曇ったのをあたしは見逃さなかった。

 社長は成功のために夢を売った、とオーナーは言ったが、それはここ数年の話だと思う。あたしが「ファミリー」のような、情に訴える歌でデビューしているのだから、当時の社長はまだ音楽業界に夢や希望を抱いていたし、家族愛を歌うことにも理解があったはず。

「もし、あたしたちの歌に社長が恐れているような力があるなら、あたしは誰よりもまず社長のために歌う。そして必ずや救ってみせる。あたしには、社長が完全に夢を捨てたとはどうしても思えないから」

 あたしの訴えを聞いた拓海がクスッと笑った。

 ――すげえな……。瀕死の人間や心を病んでる奴がいれば、たとえそれが敵であっても真顔で「歌で救う」と言う。これぞ、ホンモノのシンガー。……そうか。だからあっちは麗華を手放すことになって焦りを感じているんだな?

「なるほど。表向きはわかりやすく、反社会主義のインディーズバンドを排除すると言っているが、本当のところは非科学的な力、すなわち歌の力を信じ恐れているから活動を禁じてくる、というわけか」

 社長がそこまであたしの能力を高く評価しているかは分からないが、二人の発言を聞いて妙に納得してしまった。

「オーナーも言いましたよね? 社長を救って欲しいと。あたしには歌しかない。だから歌で救います」

「今のやり方や考え方を改めさせろ、とは言ったよ。まぁ、お嬢が本氣で歌えばあの女の心に何かしらの変化を起こせるかもしれん。そいつを期待するとしよう。何しろ、死にかけたこいつ、、、を三途の川岸から引き返させたんだから。なぁ、拓海?」

 ――俺は三途の川は見てねえってば!

 拓海は反論したが、あたしも智くんも笑ってしまって通訳しなかったのでねてしまった。それを見たショータさんは「まぁまぁ」と彼をなだめ、話を進める。

「歌に力があるかどうかはおいといて、今は情報を鵜呑みにしたチケット購入者が離れていかないようにするのが最優先だと考えます。一つ考えているのは、告知用のウェブ広告の制作・配信と広告チラシの再配布です。こうなった以上、シークレットだったゲストがブラックボックスであることを正式に発表し、ライブ会場に三人、、が集うことを公約するしかありません」

「え、三人?!」
 あたしたちは揃って目を丸くした。

 ――ショータはリオンが合流すると確証してるのか?

「いいえ。本当に彼が駆けつけるかどうかは正直、分かりません。しかしこのくらいの大博打おおばくちを打たなければ愚かな民衆の心は動かせない。……そう、我々が思っている以上に民衆は権威という大きな声に流されるものなのです」

「民衆が愚かだというなら、僕らの小さな歌声で洗脳から解き放ってやる。大きな声こそが嘘っぱちであることを暴いてやる」

「さすがは智篤兄さん。言うことがデカいなぁ。しかし、一歩やり方を間違えれば営業妨害で訴えられかねない。発言は慎重におこなってもらわないと」

「心配するな。ライブができなくなるようなことは言わないし、ライブ中は、拓海に代わって盛り上げ役に徹するつもりでいる。今回はブラックボックスもいるし、背負っているものも大きいと自覚してるからな。口は慎むさ」

「お願いしますよ。……さて。ユージンとセナが合流したところで次の作戦会議と行きましょうか」
 彼はそう言いながら煙草を一本取りだして火を付けた。



35.<拓海> 

 ショータの次なる作戦として、ブラックボックスの二人には、ライブ当日まで動画投稿も含めて目立つような活動はしないと言う指示が、持ち曲の少ない俺たちにはラブソングを何曲か書き下ろせ、と言う指示が出た。智篤はラブソングという言葉に難色を示したが、「人々を目覚めさせたあとに築き上げるべきは愛ある世界なのだから、『サンライズ』のような曲も用意しておくべきだ」と指摘され渋々受け容れたのだった。

 ショータが、俺が声を失う直前に作詞作曲した「サンライズ」を愛ある歌の例としてあげたのには驚いた。少し前にプレスしたミニアルバムには収録したものの、公の場で生歌を披露したことのないレア曲だからだ。

(もう一度、声が出せたら……。)

 しかしそれはこの命が尽きるまで叶わない願いだ。……いや、心を込めて「手話うた」えばあるいはかつての声が届くかもしれない。「星空の誓い」を手話で歌ったとき智篤と麗華が俺の声を聴いた、、、ように。

 今回のライブでは、当然のことながら智篤と麗華が主で歌うことが決まっているが、みんなの氣持ちが一つになった頃に俺の声の入った「サンライズ」を流し、手話を披露すればより一層、盛り上がるのではないか。同日に大手事務所の音楽フェスが催されるなら、それに対抗しうるような曲に差し替えることも必要だろう。

(せっかくのライブなんだ、俺のいいところも見せてやる……!)

 今は智篤に歌ってもらっているが、俺が作った曲の中には俺にしか歌えない歌もある。「サンライズ」はその一つだと思っている。

 リビングのソファで思い巡らせていた俺だが、じっとしていられなくなってすぐにショータにメールを送った。数分後、俺らの自宅近くの駅前で仕事をしているから、そのあとだったら話を聞くと返事が来たので了承した。

 その時、タイミング良く智篤が自室から出てきたので手招きする。

 ――ちょうどいいところに。これからショータとライブの曲について相談に行くんだが、一緒に来てくれないか。

「あー、悪い。これから出かけるんだ。……筆談ならなんとかなるだろう? 僕にも氣晴らしは必要だ」

 ――えー……? じゃあ、麗華に頼むか。

「……レイちゃんも忙しいんじゃないかな?」
 智篤は言葉少なにその場をあとにした。

 

 結局麗華にも振られた俺は一人、ショータと会うため喫茶「ワライバ」を訪れた。約束通り、テレビの代わりに俺たちの曲がスピーカーから流れているのを確認して満足する。

「あ、どーも。ちゃんと宣伝してますよ」
 店主が俺たちを見るなりそう言った。
「チケットも売れてますね。ただ、このペースでは一万人分さばけるかどうか……。何か他に手伝えることがあればいいんだけど、うちは喫茶店だから……」

「いえいえ、充分助かってますよ。……さて、と。それじゃあ座りますか」

 ショータは、サザンクロスの曲をかけるのにふさわしい喫茶店かどうかをチェックするために一度ここを訪れていると聞く。ただ、スポーツ中継を流しっぱなしの喫茶店に音質のいいスピーカーなどあるはずはなく、それだけは無理を言って最高級のものを用意してもらったそうだ。おかげで、俺たちの生歌にも引けを取らない歌声とギターの音色が裏路地の小さな喫茶店でも聴ける。

「ええと、ライブで歌う曲を変更したいんでしたね?」
 席に着くなりショータが問うた。俺は持参したノートを取り出して、あらかじめ書き記したメモを見せる。ショータはそれを受け取ると、文字を指でなぞりながら読んだ。

「なるほど。ラストに『サンライズ』を入れたい、と。手話を使って『歌う』んですね?」

 ――その通り。だけど会場が一つになった状態でなら、マジで地声も届くと思ってる。

 筆談ノートにそう書くと、「へぇ!」と驚かれた。
「兄さんの声、奇跡の復活! ですか。……自分を呼び出したくらいですから、当然本氣で言ってるんですよね?」

 俺は力強く頷いた。
「いいでしょう。そういう夢のある話を聞くとワクワクします。では、ここのトークを削って、オーナーたちのピアノ演奏のあとに『サンライズ』を挿入しましょう。……おいしいところは兄さんが持ってく感じになりますね」

 もう一度頷き、ノートに思いを綴る。
 ――みんなには悪いけど、「星空の誓い」で俺も「歌える」ことが分かっちゃったからな。ライブでも「歌わせて」もらうよ。言っとくけど、大手事務所のアーティストには出来ない技だぜ?

「対抗という意味ではふさわしい一曲だと自分も思います。ではこの方向で再編を……」

 言いかけたところでショータの電話が鳴った。彼は一度俺をちらりと見たが「ちょっと失礼」と言って店の外に出、話し始めた。

 手持ち無沙汰になってしまったので、店内の音楽に耳を傾ける。ちょうど「覚醒」が流れ始めたところだった。

 これは初めて三人で作った曲。新生サザンクロスとして本格始動することを路上で宣言した思い入れのある曲だ。「覚醒」を聴いて麗華が所属していた事務所の社長がメジャーデビューの話を持ちかけてきたのはなんとも皮肉なことだが、俺たちはこの歌を引っ提げて人々を覚醒させるつもりでいる。そしてラストに歌う、、のが「サンライズ」……。想像するだけでゾクゾクする。

 聞き終える頃にショータが戻ってきた。彼は席に着かず、すぐに手荷物をまとめた。

「次の仕事が入りましたので、今日はこの辺で失礼します。最終の曲順をまとめ次第、追って連絡します」

(はぁっ? お、おいっ……!)
 引き留めたくて声を出そうとしたが、喉からはかすれた息しか出なかった。



36.<智篤>

 愚かな民衆が目覚めたあとに築き上げるべきは愛ある世界。人々の救世主になりたいならその先のことも考え、完璧に準備しておかなければならない。これまでお前は世を憂う曲ばかり作ってきたが、これからはラブソングを作れ。それがお前のためだ……。

 ショータにそのようなことを言われた僕は頭を抱えた。ラブソングが作れないからではない。先々のことまで考えるショータと、相変わらず現状を嘆くしか能のない僕との差を見せつけられたからだ。

 ラブソングならぬラブレターらしきものを書いたのは今から八ヶ月ほど前。当時、まだ彼女を恨んでいた僕が書いた恋文はまさに愛憎に満ちており、とてもじゃないが純愛を語ったとは言えないものだった(故に、それを「ラブレター」という歌に仕上げたレイちゃんのことは尊敬している)。その後、拓海が生還し、今の家で共同生活をするようになってからは、彼女に恋心を抱きつつもあえてそれを口にすることはなかった。正式な恋人が拓海だというのもあるが、僕としては三人での穏やかな暮らしがあればそれで充分、と言うのが本音だ。

(ラブソング、か……。今ならもっとマシな歌詞を紡げるだろうか……。)

 いつだったか、二人の前で語ったことがある。僕は征服を成し遂げたあとの世界で生きたい、そのために歌うのだと。僕が想像しているのは今のようにギスギスしていない、争いや差別のない世界だが、ショータに言わせればそれが「愛ある世界」なのだろう。

 恋愛、異性愛、家族愛、人類愛……。このすべてをひっくるめて愛と呼ぶなら、僕らが目指す「愛ある世界」は「人類愛」に当たるだろうか。

(笑ってしまうな……。この世を恨み尽くした僕が人類愛をテーマに曲を作るなんて……。)

 とてもじゃないが、一人で書ける氣がしなかった。
(協力を仰ごう……。)
 僕は椅子から立ち上がり、身支度を調えてから部屋を出た。


◇◇◇

「二人だけで出かけるのはいつぶりかしら?」

「ひょっとすると、拓海が復活する前まで遡るかもしれないね」

「ってことは、半年以上前かぁ。……拓海の通訳をしなくていいってのも、たまにはいいね」

 そう言ってレイちゃんは僕の腕を取った。

 三人で暮らすのが当たり前になっているから、こんなことは久しくしていなかった。拓海に引き留められたときにはどうなることかと思ったが、彼はリーダーとしてライブの打ち合わせを、僕はショータから言い渡された課題をこなすためにレイちゃんとデートする。たまにはこういう日があったっていいだろう。

 真夏のデート。……と言っても海や山へ出かけるほど若くはないし、屋外は溶けてもおかしくないくらい暑いので、屋内デートスポットのひとつである都内の水族館に足を向ける。



 夏休み中と言うこともあり、館内は子連れ客が多かった。冷房は効いているのだろうが、生ぬるく感じるのは通路がすし詰め状態だからだろうか。一方で、水中の魚たちは涼しげに泳いでいる。引っ付きながら汗ばむ僕らをあざ笑うかのように悠々と。

 いや、よくよく観察してみると魚たちはぶつかりそうになりながら泳いでいることに氣付く。まるで、スクランブル交差点を行き交う人々が辛うじてすれ違う人を避けているかのように見え、どこの世界も同じなのかもしれない、と思い改める。
 
「ここの魚たちも苦労しながら生きているのかな。海と違って、天敵に食われたり餌にありつけず餓死したりする心配はないが、管理された水槽の中では自由などない。常に監視され、場合によっては夜までライトアップされて眠ることも許されない。……海の方がマシ、まであるかもしれない」

「智くんは自由を愛する男だもんね、そういう感想を持つのは当然のことだと思う。まぁ、長年組織に属していたあたしにはグサリと刺さる言葉だったりするんだけど」

「ああ……。ごめん、そんなつもりはまったくなかった。って言うか、デートしようって誘ったくせに愚痴っぽくてダメだな、僕は」
 反省する僕の横でレイちゃんは首を振った。

「……そういうことなら、水族館エリアを出て展望室に行こうよ。開けた景色が見られる。きっと智くんはそっちの方が好みなんじゃないかな?」

「だけど、それじゃあレイちゃんが楽しめない」

「あたしは大丈夫。ね、行こう?」
 そっと背中を押す彼女が無理をしているようには見えなかった。いくら容姿が若くなっても、やはり僕らは成熟した大人なのだと思い知らされる。

「ありがとう、レイちゃん」
 彼女の手を取り、そっと握り返した。



 展望室を利用する人は水族館ほど多くなかった。一面ガラス張りで開放感があるだけで息苦しさから解き放たれる。

 眼下には東京のビル群が広がっていた。どこまでも建物で埋め尽くされる景色を見て先ほどの話がよみがえる。また愚痴っぽくなりそうだったが、その前にレイちゃんが言葉を発する。

「この街で暮らす人たちの多くは、毎日同じ電車に乗り、規則に従い、決められたスケジュールに即して動いているかもしれない。だけど、そんな人たちをほっとさせられるのが音楽だと思うの。今回のライブでは、そんな人たちを歌の力で一つにしてあげられたらなって思う」

「僕らの歌が、彼らの意識を変えるキーになればいいんだけど」

「もちろん、あたしたちはきっかけを与えるに過ぎないわ。本当に人生を変えたいならその人自身が動かなきゃ。あたしが事務所を辞めたみたいにね」

 彼女の言葉は力強かった。

「レイちゃんが思いきった決断をすることが出来たのはなぜだろう? やっぱり拓海の病氣が大きいのかな?」

「……拓海の人生のしまい方が格好良すぎたからかな。悔いがないように生き切りたいからとはいえ、何十年も恨んできたあたしに連絡してくるなんて、常識に囚われていたら出来ないことよ。いつか氣が向いたらしようって思ってるうちに、拓海のように病に倒れるかもしれない。そうなったらもう、やろうと思っていたことができなくなるかもしれない。あたしも、それは嫌だと思った。だからバンド活動に専念すると決めたの」

「うん」

「これまで慣れ親しんだ環境を離れ、初めての世界に身を投じるのは怖いわ。だけど仲間がいればなんとかなるし、失敗してもそれを許容できるおおらかな心を持つ人たちがたくさんいれば何も怖いことはない」

「そうだな……。勝ち負けや優劣を決めたり、違いを受け容れなかったりするからこの世はいつまでもギスギスしている。統制を目指すからおかしなことになる。僕らがもっと信頼し合えば、許し合えばきっと世界は……」

「愛と平和で満たされる」
 彼女の声が僕の鼓膜を優しく震わせた。
「『世界征服』だなんて言ってるけど、本当は誰よりも智くんが一番平和を望んでるんだよね。あたし、知ってるよ。だって智くんは優しい人だから」

「レイちゃん……」

「一緒に作ろう、愛の歌を。大丈夫、智くんがあたしに書いてくれたラブレター、とっても素敵だったからこそ歌詞にできたんだよ。また智くんの素直な氣持ちを言葉にして。そうしたらあたしが歌詞にするから」
 
「心強いな。なら、君が歌う姿を思い描きながら書こう。愛する君と共に生きる未来を想像しながら書こう。……そう、僕が再生した世界で生きたいと願うのはそこに君がいるからだ。これからもずっとそばにいて欲しい」
 その目を見つめ、唇にそっとキスをした。

「もちろん。拓海も一緒にね。年始に智くんが言ってたでしょう? 拓海の病氣が完治し、あたしたち三人が若返り、サザンクロスが日本一のバンドになる未来を想像してみるって。それを現実のものにするには、あたしたち三人が力を合わせる必要があるわ」

「ああ、分かってるさ。だけど、愛の歌を作るためには拓海抜きでレイちゃんと過ごす時間も必要だ」

「じゃあ……今日だけね?」
 拓海への後ろめたさがあるのか、彼女は少し躊躇ためらいながら額を寄せた。もう一度唇を重ねようとしたとき、レイちゃんは何かを思いついたように顔を上げた。

「そうだ、ショータさんに連絡して、愛の歌をライブの最後に挿入してもらおうよ。みんなが目覚めたあとで歌えば、会場のみならず視聴者全員の心が一つになって愛ある世界が完成すると思うの」

 キスは出来なかったが、その提案はいいと思った。

「確かに、ライブで歌う曲は暫定的だし、時間的余裕もある。ショータも新たに数曲用意しろと言っていたし、僕らの共作をラストに持ってくることも充分可能だろう。……そういうことなら連絡しておくか」

 僕はさっそくショータに電話をかけた。その時、拓海が同じようなことを話し合っていたとは知らずに……。


続きはこちら(#13)から読めます

※見出し画像は、生成AIで作成したものを加工して使用しています。
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いろうた@「今、ここを生きる」を描く小説家
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