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【続】日本人が「さようなら」に込めてきた想いを読み解く

前回は、再会を前提とした「さよなら」について記述しましたが、今回は「死後の世界を意識しながら使うさよなら」について考えてみたいと思います。


「さようなら」の語源おさらい

古来における「さようなら」は、「さらば(そうであるならば)よし、自害せん」(太平記)のように、死に際に用いられる接続詞であり、独立した別れ言葉ではありませんでした。

しかし、そのような使われ方をするうちに意味合いが変化し、接続詞である「さらば」が別れ言葉の「さようなら」になったことは前回の記事に書いたとおりです。

日本人の死生観

「日本人の死生観」の著者、加藤周一(評論家、小説家)は、一般に日本人の死に対する態度は、感情的には「宇宙」の秩序の、知的には自然の秩序の、諦めを持っての受け入れと言うことになる。その背景は、死と日常生活上との断絶、すなわち、死の残酷で劇的な非日常性を強調しなかった文化である、と述べています。

また、「別れのとき」の著者、岸本英夫(宗教学者)は、がんの手術を繰り返す中で死についての考えが次第に変わっていく様子を綴り、最終的には死をこのように語っています。少し長いですが、以下に引用します。

しかし死後のことは知らず、この人間生活だけが生活なのだという立場を徹底して考えると、人間の意識の中にあるものは結局今まで自分のやってきた人生経験だけである。我々が知っているのはそれだけでそれ以外のことは考えられない。経験したことのない死後の世界を無理に考えようとするから分からないで煩悶してしまう。我々が悩みうる領域は人間経験についての悩みである。
(中略)
それまで、死を無と一緒に考えていたときには、自分が死んで意識がなくなればこの世界もなくなってしまうような錯覚から、どうしても脱することが出来なかった。しかし死とは、この世に別れを告げると考える場合には、もちろん、この世は存在する。すでに別れを告げた自分が、宇宙の霊にかえって、永遠の休息に入るだけである。私にとっては少なくともこの考え方が死に対する大きな転機になっている。

岸本英夫「別れのとき」

考察

以上の例を見た上で、私の考えを述べていきます。

「死」による別れは誰にとっても悲しいものです。出来ればもう一度再会したいと願うのは今も昔も変わりません。また、いつか訪れる死に恐怖をおぼえる人も多いでしょう。

「死」=「命の終わり、停止」=「無に帰すこと」

そう捉えてしまうと恐怖しかありません。しかしそれは、私たちが生前に経験する物事の中で「死」を想像するからであって、真の「死」は経験するまで誰も知ることが出来ません。人は、未知のものに恐怖を覚える生き物。だからこそ、目に見える何か、知っている何かに「死」を紐付ける必要があるのです。

「死」について深く考察し、尚且つ自身の命が「死」に近づいてきたとき、人は自分なりの答えを見つけ、死を受け容れるようです。

「死」=「別れの一つ」

という結論に至ったのは、小説家の正宗白鳥や、上記の岸本英夫でした。

彼らは「死」を特別なものではなく、日々の別れと同じだと考えました。そして死後、霊は自然に(宇宙に)還るので無くなることはない。だから、経験するまで分からない「死」に囚われて過ごすのではなく、まずは今日を真剣に生き切ろうと結論づけたのでしょう。

このような考えに至った当時の人たちはおそらく、自分の内側と常に対話し、考えを巡らせる充分な時間があったのだと思います。また、戦争が身近なものであったことも日々、「死」を意識させる要因だったと思います。

一方で、現代人はどうでしょう。

現代人は死を目の当たりにする機会が少なくなったし、自分が命の危険にさらされることもほとんどありません。このような暮らしの中では、明日は今日の延長であり、同じような日々が老年期まで続いていくと錯覚し、一日一日をないがしろにしてしまう。「さようなら」と言わなくなった理由(前回の記事に詳述)もこのように日々を捉えている点にあるように思います。

本来の意味「さらば」(そうであるならば)には、目に見えない意味や想いが多分に内包されている。しかし今「さようなら」というとき、その目に見えない「含み」、「そうであるならば」の部分が一切ない……。「さようなら」に限らず、昨今では私たちの扱う日本語そのものが、中身のない文字の羅列になっているような氣さえします。

「死」を意識して生きることは、自分自身や今日という日に意識を向けることでもあると思います。人生を振り返ったとき「良い人生だった」と胸を張るためには、先々の不安に思い悩む時間を極力減らし、目の前の「今ここ」に集中して生きることがやはり重要。そしてそういう生き方が出来たときに初めて、「この人生にさようなら」とけじめをつけて死後の世界に旅立てるのだと思います。

***

とはいえ、日本で生活する私たちが「死」を常に意識し「今ここ」を生きるのはなかなか難しいのが現状です。それでも時々、立ち止まって空を見上げ、自分の人生を見つめ直す時間を持ちたいものです。私も「さようなら」が氣持ちよく言えるような生き方をしているかどうか、今一度胸に手を当て思いを馳せてみようと思います。

(参考図書:「日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか 竹内整一著)


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