2022


去年はこのnoteにて「来年も、生きることを続けていたいです。」と綴って締め括った。この一年はどんなものだっただろうか。

生きることを続けるという目標に対しては、"やり遂げたくないのにできてしまった"が正しいと思う。過去にないほどの希死念慮に襲われ、壊そうとしたものばかりだった。死ぬことが、成功できていたらよかったのにと今でも思う。それでもなぜか今日もまだ生きていて、こうして振り返りの文章を書いている。

常に焦っている一年だった。病気が悪化するまでは辞める気持ちがなかったパートの仕事も、辞めざるを得なかった。そこから始まった、より生活と気持ちに余裕のない日々。問題はお金だけではないから、全て病気のせいだと思うことにしているけれど、とにかく落ち着くことがなく月日が過ぎていった。
まだ大丈夫ではない状態で新しい仕事を始めようとしては失敗し、求人検索がやめられず、面接の予定ばかりが埋まり、受かっても当たり前に続かない、ずっとその繰り返しだった。
そんな状況はおかしいのだからしっかりと療養したほうが良いとちゃんとにわかっていても、焦ることをやめたところでどう生きていけるかわからなかった。
だから何度も死にたがった。お金がないから、ではなく、ただただ死んでしまいたかった。世の中には色んな界隈があるもので、一緒に死ぬひとを募集しているひとがいて声をかけられたり、殺してくれるひとを見つけたり、自殺ほう助のニュースを見ても驚かないし、電車に飛び込むこともべつに迷惑だとは思えなくて、そっちの世の中との関わりが少なくなかった。今でも、次の希死念慮では、本当に成功させられるのではないかと思えている。今日はそういう気分ではないけれど。

そうやって自分と闘いながらも、残念ながら生きてしまう私には趣味がある。短歌を詠むことが楽しかった。短歌を通した繋がりを求めるようになり、相互フォローの仲間ができるようになった。このひとのこういう遊びかたが好きだなと思ったり、逆に私の歌を褒めてくれるひとがいたり、うたの日での首席は一度だけ取れたけれどそれっきりだったり、向上心を高められる場がツイッターやうたの日などのサイトにあって楽しかった。短歌が趣味ですとはっきり言えるようになって、これからもできるだけ続けていけたらいいなと思う。

今月になってやっと、夫が仕事に行くようになった。職種が合っているのか、毎日頑張ってくれている。この一年間で、やっとだったから、本当に助かった。その代わりに、別居中ではあるけれど、このままの調子でうまくいってくれることを願っている。そして、その背中を見ながら私も来月からの仕事を頑張ってみたいと思う。医者からはドクターストップがかかっているけれど、だからこそ、いま始めてしまうということはまた空回りの原因になると痛いほどわかっているけれど、お金もないし、今やらないと一生できないような気がしてしまう。無理をすることにはなるけれど、やってみる。失敗することにも慣れたし。やってみてしまうことが私の悪いくせだ。

読書が進められる一年にしたい。短歌で飛躍できる一年にしたい。好きなアーティストのライブへ行ける一年にしたい。自分のお小遣いを自分で稼ぎ続けられる一年にしたい。

2023年のわたしへ
「生きていなくてもいいよ、がんばってね」

このnoteを読んでくださったみなさまが良い新年を迎えられますように。

私はnoteにことばを綴れる私が好きです。

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