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感情・わたしは芸術【24.04.16版】



春を愛することができている。

ちゃんとに、とは程遠いけれど、生きていることを実感しながら生きている。

なんだか大袈裟のようで、でも私にとっては、いちばんちいさな、希望のはじまりのひとつだと思っている。

春を愛して、春に愛されて、春と共存しながら、さくらの匂いはもうとっくに薄くて、晴れた平日の匂いや休日の匂いはつよくて、そうすると、「ああそのうちに夏がくる」と、少しずつ身体が準備を始める。

それは意図的ではなく、気温が上がってきていることで春服でさえも長袖をうっとうしく思ったり、健康的な汗がわいたり、夏に向かう前の通り道として、家の梅の木に葉が増えてきたり、そういうことで季節の流れを感じることができている。

去年やその前とか、振り返ったときのだいたいは、生きる気なんて持てるわけがなくて、少し先の未来に生きている自分を想像することができないしできないことも辛かったし、でも辛さにもがくこともなく死に向かう自分を肯定する日々だった。

だから、季節が変わっても、たとえば、「新しいTシャツがあったほうがいいかも」とふと思っても、「でもそれを何度も着こなすほどは生きていないだろうからコスパが悪いな、必要ないな」と、うっすらとした欲でさえも瞬殺する日々だったと記憶している。そうでない日が、何かの間違いで元気な日があったのは確かでも、死んでいた日の記憶のほうが当たり前に強い。


でも今日は、少し先の未来でも生きているだろうなとなんとなくでも思えながら買い物をすることができた。すごいことなんだよ。

「こいつ、夏を夏らしく生きる気じゃん」と自分に微笑みながらサンダルを注文した。以前よりはひとと関わる機会を喜べるから、ちょっとした外出のための"いつもならすっぴんだけどちょっと気をつかうか〜"のとき用の化粧品を、前向きに比較しながら選びながら注文することができた。それから、数ヶ月前から買おうか悩んでいたお茶碗も買えた。

不慮の事故に遭わなければ、自死さえ選ばなければ、だいたいは明日を迎える人間として、「自死さえ選ばなければ」を意識せずに、明日をあまり怖がらずに、生きている日々を、なんとか今日も更新している。すごいことなんだよ。


相変わらず、しっかりと不調はつきもので、通院予約に合わせて通院することが難しいし、受診のときは二週間分の不調をまとめた"A4ぎっしり手書きカンペ"を用意するし、眠れなかったり寝過ぎたり起きられなかったり身の回りのことが何もできない日もあたりまえにあるけれど、(って、書いておかないと自分が自分をものすごく元気な状態だと勘違いするから"でも・だけどの構文"をいつもの私らしく乱用する)

不調はデフォルトだけれど、でもね、生きていることを生きているねと自覚することを嬉しいと思える今を、なるべく私らしくいられるように、大切にしたいと思える量の分は大切にしたい。

たくさんの希望がなくても、「自死さえ選ばなければ」を「今のところなんとかいけそう」と、顔色を変えずに、「大丈夫!」なんて大きな肯定もせずに、なんとなく胸にしまっていられていることを、"いいじゃん"と思える。うれしいね、怖いけれど。


今日は朝五時半から起きていて、勢いのまま良い朝ごはんも食べた。

毎日こうだといいな、とは思わないし、思わないようにしたほうがむしろ健康だから、なるべく布団に張り付いている時間が睡眠時間だけであればいいなとだけ思う。最近はウォーキングもしている。えらすぎる。


次に書き起こしたくなる感情が、これと正反対でなければいいな。本当に。

生きているよ。




駄文ではない、これはわたしの芸術

何を選んでも正解

図太く生き延びている超最高な人間


彩結ゆあ 2024.04.16

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