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#21 ワタシは語る


あのとき撮ったphoto
あのとき書いたcaption
当時のInstagramから当時のことを振り返る


‐‐‐Caption‐‐‐
ワタシは語る

コレはね
チョークであおいせんを2ほん
ココまでひっぱってきたんだよ

ナニをかいているかというとね
ナニをかいているとおもう? …

ソンナノ わかんないよ
ココにチョークが2ほんあったから
イマを たのしんでいたんだよ

ナニをかいているかというとね……
アトはオトナがカイシャクシテネ

北海道にも完全に春が訪れ、子どもたちは外でずんずん遊びます。
チョークとアスファルトがあれば、そこは自由な創作活動の場。


小学生になると
「図工嫌だなあ。」
「絵を描くの苦手。」
とかいう声もよく聞かれますが、元はどの子もみんなこんな感じなんですよね。画用紙にクレヨンでぐるぐる描くような。決して嫌いとか苦手とか考えてたわけではなく、ただただ自分にとって楽しい遊びの時間であったはず。

子どもにとって、
「遊びが勉強」
とはよく言ったものだと思います。本当にその通りです。

図工だけではないですね。
例えば算数だったら。

「アメを兄弟同じ数ずつに配る」…それは3年生でやる「わり算」の素地。
「どっちの木の枝が長いか比べる」…それは1年生でやる「長さ」の素地。
「なわとびの跳んだ数を声に出して数える」…それだけでもう立派な算数。

別に算数の勉強をするつもりではなくて、ただの楽しい遊びの時間なんだけど、こういう時間を豊かにたっぷり経験した子は、小学生低学年で学習する算数の知識・技能なんて、はっきり言って軽くクリアします。


それが、いつからか。

いつからか、ただ作業的に計算するだけの学習になり。
いつからか、自分で考えたりいろいろ試したりするのではなく、教師の指示を聞いて活動するだけの時間になり。
いつからか、「上手か」「きれいか」…作品の出来栄えが子ども自身の目的にすり替わってしまい。

だから、「苦手」になり「嫌い」になる子が増えるのですね。



小学校の学習で絶対に欠けてはいけない視点。それは、

「学校の学習の中で、自分の本当に好きなものを見付けること」
「友達と一緒に考えたり話したりするのが楽しいと思えること」
「教科に応じた、探究の方法や魅力に触れさせること」
「その学習が嫌いにならないこと」

…そんなところにしっかりフォーカスを当て実践できるのが、本当に力のある教師だと思います。その信念は変わらずにずっと仕事ができたことは、私の少しの自信です。

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