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苦しさを分かってもらえない人が、自分で自分を救う唯一の方法

苦しさを分かってもらえないのが、一番つらい。
そう思った事がある人は、このnoteを読んでいる中で、どれくらい居るのだろうか。


著名人のドキュメンタリーでは、よく、

「△△年間、下積み時代として、苦労の日々を過ごした」 とか、
「起業するために、休む暇もなく働いた。」
という語りがある。


ドキュメンタリーになるくらいなのだから、
その方達は活躍しているか、あるいは注目や期待されている人々なのだが、
苦労を紹介する語りの文に少し疑問を持った。

というのも、その苦労は過去だからだ。
現在、もし何か苦労をしている最中だったり、
がむしゃらだったり、八方塞がりになっている状態だったらどうだろうか?
もしも、あの時あの瞬間に戻されでもしたらどうなるだろうか?

苦労が現在だったらどうなるだろうか?

私なら、言いようのない絶望を感じて、発狂してしまうかもしれない。

そう、苦しみの最中ならば、
「そんな一文で片付けられる様な辛さじゃない!!!!!!!!!!!!!!!」なんて思うのではないだろうか。
(少なくとも、私はそう思ってしまう)


もしも、苦労した部分をそっくりそのままの尺で、
再現VTRにしたらどうなるだろう?
……恐らく、ドキュメンタリーは成り立たない。
だけど、現実の番組は成り立っている。
苦労の時間は長くても、端折れるのが編集だからだ。


もしも、私が今より良い働き方を見つけられるとしたら、
万が一、それでドキュメンタリーなんかの取材を受けるとしたら、
それまでの苦労はきっと一文で片付けられてしまう


――――――ただ、私は。


辛い時期を無かったことにするのは、
過去の自分に申し訳ない
と思うのだ。




苦しいだとか辛いだとかいう気持ちは、
独りになると必ず付きまとう。
誰かが支えてくれるにしても、人生の主人公は、

私、
たったひとり、

自分だけなのだ。

苦労を事細かに覚えておけるのも、自分だけである。

人生に何があったかいちばんよく知ってるのは、
自分である


周りには、頑張ったことを頑張ったと、堂々と言えなかったりする。
家族や友人や同僚にすら、辛い事を辛いと、理解してもらえなかったりする。


だから、

自分だけは、
その頑張りを一番覚えていてあげて欲しい。
自分だけは、
苦労の時間を認めてあげて欲しい。


こんな事を言うのは、自身が自分を大事にできていないからだ。

未だに自己犠牲で優しさを振りまいてしまう事もある。



分かりやすいのは、
「他人に優しくされなくても、せめて私が接する人には優しくしよう」  というモットーだ。

これは、まだ学生の時の自分が思っていた事である。
※ちなみに大間違いなので、真似するのはオススメしない。
完全に思わない事も出来ないので、もうこれは性分なのだろうと、諦め半分で今はいる。


現実は、優しい人ばかりではない。
むしろ、優しさに漬け込んで、横柄な態度をとる人が大半だった。

それは、私が若いから。新人だから。弱い立場だから。
社会にいる限り、私のポジションはそう簡単に変えられないのである。

昨今は男女の差、年齢の差、に異議を唱える人が増え、そういう方向に社会が動いてきている気がする。でも、完全に公平になった訳では無い。
きっとこの先も、人が何億人もいればそうだろう。



なので、
昔より素直に感情を表に出すようにしている。
これはきっと、
現在と未来の自分を救う、唯一の方法だと思う。

「私はここにいます」と伝えるために。


例えば、

*接客で、お客さんが図々しい態度を取ってきたら、
少し声を張る。
*何か舐められているなと感じたら、堂々とした態度で対応する。
(見かけ倒しなので、自信などなくても大丈夫。)

といったことである。


「私は、一人の人間である」と、主張する事が
唯一、現在と未来の自分を守ってくれる。



「私は、私自身の頑張りと苦労を認められる、
唯一の存在である。」

あなたの苦労の全ては、あなたにしか分からない。
過去の自分を辛さから救えるのは、
それを認めてあげられるあなた自身だけ
なのだから。



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