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 私たちは日々他者との意思疎通を、様々な言葉や表現を用いて行います。

 自身がどのような言葉や表現を使うかは、自分の知識や教養、そして自分自身のいる環境に影響を受けます。

 私も中学時代には、友人とのコミュニケーションの中で、「死ね」や「殺すぞ」といった表現を、恥ずかしながら、用いていた記憶があります。今考えれば当たり前のように不適切だとわかるそれらの表現も、当事者同士の関係性や所属するグループの中で一度当たり前のように浸透してしまうと、その不適切さが徐々に麻痺していき、用いる頻度が増えていきます。いつしか、その言葉が自分の口から自然と出てくるようになり、他者が思うその言葉の強さと自分自身の認識とギャップが生まれてくる。

 今でこそ、これらのような言葉を使うことはなくなりましたが、自分でいつからそうなったのかは正直覚えていません。自分の環境が、そのような言葉から距離をおいてくれたことに感謝しつつ、逆に今でもそのような言葉を使っていてもおかしなくない自分に少し恐怖を覚えたりします。

 京都府警本部長の部下に対する「殺すぞ」発言が問題となっています。

 彼が通ってきた世界では、それらの言葉が常習的に用いられていて、結果、ふとしたことから口に出たのではないかと個人的には想像します。

 自分が日常的に発する言葉や表現が不適切かもしれない。自分自身に問わなければならない大切な事柄です。


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