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#281 敬語から考える「目上の人」とは?

 日本語における「敬語」は言語的に長い歴史を持ち、「目上の人に対する尊敬」を表すための機能を果たしています。「目上」とは特に「自分より年齢が上の人」と定義されます。学校教育(特に部活動)においては「敬語」は非常に重要視される項目の1つかもしれません。

 一方、「目上」という概念そのものに違和感を感じることもまた事実。私たちは年齢・性別・性的指向・人種・民族あらゆる「記号」を越えて対等な存在であり、人間の価値に差異など存在しないという思いがあります。

 アメリカ留学した時に、コロンビア出身の17歳の女の子に「なぜ日本は年齢が上だからって尊敬しないといけないの?」と問われたこともあります。(日本の敬語文化がアニメや漫画を通じて日本にあまり馴染みのない南米の国にまで浸透していることにも驚きましたが)

 しばしば?中高生は教員に対して「タメ口」を使います。自分より「目上」であるが故に、自分の「自由」を奪われることへの「反抗心」から来るものではないかと個人的には考えています。

 敬語は相手への敬意を表す「記号」のようなもの。敬語文化は日本に根づき、多かれ少なかれ私たちはその文化の影響を受けています。敬語を使うことにより、相手の存在への尊重をわかりやすく出力してくれる。相手がその出力を望んでいるならば、私個人としては使うことに抵抗感はありません。

 しかし逆説的に言えば、「敬語」を使っているからと言って、自分が相手より「下」だという感覚を持っているわけではない。本質的な意味において例え年齢が上だろうと、私はその人を「対等」であると感じている。その人が言うことは絶対ではないし、その人の言うことを無条件に従う必要もない。

 敬語とはあくまで相手の気持ちを尊重する1つのツールにしか過ぎないと思ったりします。

文化庁のHPにも「敬語」に関する感覚が掲載されていたので、同時に掲載して起きます。


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