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京大日本史論述答案例

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記事一覧

2023年京大日本史4-1答案例

答案例①…宗教に重点
院政期、奥州藤原氏が中尊寺金色堂を建立するなど、浄土教が地方武士に普及したほか、今様や田楽が庶民に流行した。鎌倉時代、鎌倉幕府が禅律僧を保護し、北条実時が学問的関心から金沢文庫を設立したように、武士が広く文化の担い手となり、多くは禅宗文化を受容した。一方、旧仏教の有力寺院が行う鎮護国家・五穀豊穣の祈祷が庶民に求められ、広く定着したほか、親鸞ら聖たちが説いた新しい仏法を庶民や武

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2023年京大日本史4-2答案例

答案例①(日本のみ)…経済制裁・援蔣→資源獲得・日中戦争打開
防共協定は反ソ連の立場で日独伊が結束する狙いがあり、その後、防共協定の同盟への強化をドイツが提案したが、独ソ不可侵条約締結により白紙となった。日中戦争の長期化を背景に、日米通商航海条約の破棄や蔣介石の援助を行うアメリカと対立を深め、苦境に陥った日本は、第2次世界大戦でドイツが有利になると、東南アジアの植民地を獲得し、資源獲得と日中戦争打

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2022年京大日本史4-1答案例

モンゴル襲来以降、南北朝期にかけて日元間に国交はなく、軍事的緊張が続いたため、御家人の窮乏が深刻化して鎌倉幕府の軍事動員体制が動揺し、滅亡につながった。一方、民間交易は盛んで、商船を利用して禅僧が中国文化を伝え、大量の銅銭が流入して貨幣経済が浸透した。明が成立後、民間交易を禁じ、近隣諸国に朝貢を求めたことで、交易の道が閉ざされ、対応を迫られた足利義満は15世紀初頭、明と国交を開いて日明貿易を行った

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2022年京大日本史4-2答案例

答案例①
幕府は「鎖国」体制を維持するため、文化期、外国船が食料や薪水を求めた場合、給与して退去させていたが、イギリス軍艦のフェートン号が長崎港に侵入して以降、文政期にかけて、イギリスの捕鯨船が接近したため、異国船打払令を出し、沿岸に接近する外国船の撃退を命じた。天保年間に入り、アヘン戦争で清がイギリスに大敗した情報を受け、幕府は天保の薪水給与令を出し、漂着した外国船に薪や水・食料を与える方針に転

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2021年京大日本史4-1答案例

答案例①
清の大陸統一により東アジアに平和が訪れる中、末期養子の禁を緩和し、牢人の増加に歯止めをかけるとともに殉死を禁じて、下剋上の風潮を抑えることで武家社会の安定が進み、それを背景に為政者に身の処し方を説く儒学が受容され、文治主義的な傾向が強まった。宗教政策の全国展開により寺請が整い、領主の民衆支配も安定し、大開発時代の終了を背景に分地制限令が出され、小農維持政策が展開された。家綱期に幕藩体制は

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2021年京大日本史4-2答案例

第1次世界大戦中、日本の二十一カ条要求に伴い、日米関係は緊張したが、アメリカの参戦以降、関係は改善し、1920年代は協調関係が続いた。1930年代に日本が満州事変を起こすと、両者の関係は悪化し、日中戦争中に日本が掲げた東亜新秩序の建設をワシントン体制への挑戦と理解したアメリカは、援蔣や日米通商航海条約の破棄を行い、対立は深まった。1940年代、日中戦争解決のために日本が南進を行ったことで関係は破綻

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2020年京大日本史4-1答案例

年貢増徴による財政再建を目指した享保の改革に対して、田沼意次は年貢増徴だけに頼らず、商人の力を利用しながら、そこで生じた富を取り込むことで財政再建を実現しようとした。都市や農村の商工業者の仲間組織を株仲間として広く公認し、営業の独占を認める代わりに、運上・冥加金などの営業税を徴収した。また、銅などの専売制を実施し、俵物を独占的に集荷して、それらを長崎貿易で積極的に輸出して、銀を輸入し、財源とした。

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2020年京大日本史4-2答案例

答案例①
日清戦争の前後、産業革命の進展に伴い、社会運動が展開する中、1900年代に議会進出を目指す社会主義政党の結成が相次いだが、日本社会党における直接行動派の台頭を背景に1910年代に大逆事件が発生し、運動は低迷した。大正期、ロシア革命・米騒動の影響で運動は復活し、1920年代には日本社会主義同盟が結成された。その後、共産主義の影響力が強まる中で、運動は分裂傾向となり、普通選挙法制定を契機に結

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2019年京大日本史4-1答案例

北条時政は将軍独裁を目指す源頼家と外戚の比企氏を排して、源実朝を将軍に擁立し、御家人の合議体制を整えるとともに、政所別当としてこれを主導し、執権政治へ道を開いた。時政の子である北条義時は侍所別当の和田義盛を滅ぼし、幕府における民政・軍事の要職を独占した。実朝暗殺の後、将軍となった九条頼経が幼少で力を持たない中で、御家人を中心とする幕府政治の実権を握り、将軍補佐としての執権の地位を強固なものとした。

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2019年京大日本史4-2答案例

豊臣政権は度量衡を統一した上で村ごとに検地を実施し、結果を村単位で検地帳にまとめ、大名に対して所領ごとの石高をまとめた御前帳と国絵図を提出させた。結果、全国の土地を米の量で統一的に表記する石高制が整い、江戸幕府も継承した。石高制の下、近世社会では百姓は村ごとに村高に応じた年貢・諸役負担を義務付けられ、領知の石高に応じた軍役を賦課された大名は同じ石高の土地への移封を拒めなくなり、在地性を否定された。

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2018年京大日本史4-1答案例

答案例①
 9世紀は漢詩文が隆盛し、勅漢詩文集が編纂されるなど唐風文化が展開するとともに、僧侶の加持祈祷により、現世利益の実現を願う密教が貴族社会で流行した。10・11世紀はかな文学の誕生・発展に代表される文化の国風化が進展する中、勅和歌集が編纂され、和歌が漢詩文と並ぶ地位を確立するなど、文化面で和漢並立の状況が生まれた。また、仏教が社会に浸透し、密教に加えて、往生極楽を願う浄土信仰が貴族や庶

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2018年京大日本史4-2答案例

答案例①
薩摩藩は朝幕関係を取り持つことで国政参加を実現するため、朝廷の意向を背景に幕政改革を申し入れて公武合体を促すとともに、英戦争で攘夷が困難と判断すると、急進的な尊攘派公家や長州藩を京都から追放し、雄藩大名層による合議を主導した。しかし、一橋慶喜の妨害で会議が失敗した後、薩摩藩は天皇を中心とする公議政体の樹立を目指すようになり、第2次長州出兵を決定した幕府に対して薩長同盟を締結し、長州藩を

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2017年京大日本史4-1答案例

答案例①
鎌倉幕府の成立に伴い、幕府により御家人が地頭に任じられ、荘園の治安維持や年貢徴収・納入を行った。承久の乱後、幕府の勢力を背景に、荘園領主と対立する地頭も現れ、幕府が両者の対立を調停する中で、地頭請や下地中分を通じ、荘園は地頭が支配する武家領と荘園領主が支配する寺社本所領に分割されていき、地頭の在地支配権は強化された。元寇後、荘園領主や幕府の支配に対抗する悪党が登場したことで、荘園支配は動

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2017年京大日本史4-2答案例

田沼時代、江戸幕府は流通掌握を目的に仲間を積極的に公認した。19世紀に入り、在郷商人が台頭して地方市場が発展し、仲間の市場独占に反対する国訴が畿内で発生するなど仲間の市場への影響力は低下し、江戸の物価は高騰した。天保の改革時に、幕府は仲間が江戸の物価高騰の要因と判断して解散を命じたが効果はなく、後に仲間を再興した。幕末期に欧米との貿易が本格化する中、仲間の保護を目的に幕府は五品江戸廻送令を発令した

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