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文藝を識る4作。「少年万華鏡」シリーズ 長野まゆみ おすすめ作品紹介-1

文・写真/雨柳ヰヲ

作家・長野まゆみの初期作品、デビュー10周年記念として1998年に発売された特装函入版「少年万華鏡」シリーズ全4巻

長野まゆみさんの小説を中学生の頃から愛読している。裕福でない家庭で育った私にとって本は高価な代物だった。自分で稼げるようになってからは長野まゆみの新刊が発売されるたびに必ず購入している。出版年が古く現在重版がされていないものは古書店やネットフリマで探す。1998年に発売された特装函入版「少年万華鏡」シリーズ(河出書房新社)は高額取引されることもある人気作で、愛読者ならぜひ本棚に並べておきたい作品だ。2022年12月20日、漸く最後の1冊『カンパネルラ』を手に入れた。これを機に長年、長野まゆみを愛読してきたいち作家(のたまご)として作品を紹介しつつ、なぜここまで長野まゆみの世界に惹きつけられるのか、その理由を考察してみたい。

「少年万華鏡」シリーズ全4巻

「少年万華鏡」シリーズ 著:長野まゆみ(河出書房新社)

これまで単行本化されていなかった幻の初期作品を4巻にまとめた、待望の愛蔵版!発売日:1998.12.08
長野 まゆみ (ナガノ マユミ
東京生まれ。女子美術大学卒業。1988年『少年アリス』で文藝賞を受賞しデビュー。『天体議会』『新世界』『野川』他数々のロングセラーがある。『冥途あり』では泉鏡花文学賞と野間文芸賞をW受賞。

河出書房新社HP

函入りの本とは、それだけで読書家には魅力的だ。長野まゆみは美大出身であり、レトロモダンな雰囲気のある絵を描く画家でもある。1988年のデビュー作『少年アリス』の頃から、作家はカバー装画の多くを自身で手がけている。(そして長年愛読し続けてきたファンは、長野まゆみの絵をみればそれが新作であろうとすぐに見分けがつく。)私が長野まゆみ作品に惹かれる一つの要素に、この装画の美しさがある。これについては改めて別の記事で紹介していきたいと思う。

「少年万華鏡」シリーズは全4巻刊行された。
『三日月少年漂流記』『カンパネルラ』『夏至祭』『夏季休暇』タイトルからして長野まゆみだ。そこはかとなくノスタルジックで謎めいた雰囲気が感じられる。これは愛読者にとっての共通感覚だろう。この作家の紡ぎ出す文芸韻律を感じとり、夢の言語で作られた秘密の森に入れるかどうかはこの感覚を身につけられるかどうかで決まる。残念ながら男性には難しいかもしれない。なぜなら「女」、或いは「少女」にしか解読し得ない特殊な暗号が小説の中に数多く組み込まれているのだ。文章をそのままの通りに受け取っていては何が書かれているのか理解に苦しむ。この森の中では、本を開くと、耳元で誰かが別の言語で秘密を囁くのだ。この長野まゆみ作品における二重構造についてもまた別の機会にご紹介したい。

『三日月少年漂流記』

博物館の自動人形(ロボット)が逃亡した!?少年たちは逃げた「三日月少年」を探して煌めく街を駆けぬける

『三日月少年漂流記』著・長野まゆみ(河出書房新社)発売日:1998.10.20

あらすじ

博物館から三日月少年が消えた! ニッカド電池で動く自動人形を追って少年たちは路面電車に乗り込んだ――単行本化されなかった幻の初期作品が書き下ろし装画とオリジナル詩篇を加えて甦る。

河出書房新社HP

長野まゆみの初期作品には友愛で結ばれた二人の少年を主人公とする物語が多数ある。一人は言いたいことを飲み込んでしまい、嫌なことを嫌だとはっきり言えない大人しいタイプ。もう一人は美形で大人びた言動をし、活発で頭脳明晰で傍若無人なタイプ。この『三日月少年漂流記』では、銅貨が前者で水蓮が後者だ。ある朝、教室で銅貨がストーブの火を熾していると水蓮が「重大ニュースがある」と持ちかけてくる。博物館に飾られている自動人形(オートマータ)「三日月少年」が逃げ出したという。ただの自動人形が自ら逃亡するなど信じられない話だが、水蓮の話しではどうやら本当らしい。この街には他にも数体「三日月少年」がいる。二人は他の「三日月少年」の様子を探りに路面電車に乗り込む。
このような始まりだ。最後まで冒険譚の本作は子供向けとも言える。とはいえ、「フラノの半ズボン」、「ニッカド電池」、「達磨ストーヴ」などのレトロ調な言葉が数多く登場したり、明け方の薄暗い停車場で切符売り場だけに燈りが灯っている風景の表現など、年齢を重ねた今も胸がときめく。

本作の主人公二人、銅貨と水蓮は長野まゆみのヒット作『天体議会』にも登場する。しかし、『三日月少年漂流記』と『天体議会』のストーリーには繋がりを感じさせるものがほとんどない。『天体議会』には確かに自動人形のような美しい謎めいた少年は登場するものの、「三日月少年」を想起させるような点はなく、より人間らしいミステリアスな存在として描かれている。文体も異なる。『三日月少年漂流記』は子供向けの柔らかく可愛らしい童話然とした雰囲気だが、『天体議会』は連盟が人口管理をする硬質で冷たい未来的な世界観だ。この二作は全く別物として読んだ方が愉しめる。長野まゆみの初期作品にはこのような、小説のセオリーにとらわれない、自由奔放な作品が数多くある。私にとって魅力を感じる一要素だ。
作家は知らず知らずのうちに読者を意識する。そのため文章も世界観も完璧に整頓しすぎてしまうきらいがある。が、読む側にとっては呆気にとられるほど作家が誰に読ませるでもなく、自分の書きたいものを後先考えずにただ書き散らしているようなものの方が面白いと感じることもある。

「三日月少年」は他の作品でも登場する。『三日月少年の秘密』(角川書房新書)も刊行されている。
作家はフランスの巨匠写真家ベルナール・フォコン(Bernard Faucon)の写真について何かの折に触れていたが、少年の人形というものはいかにもいかがわしく、エロティックな雰囲気がある。また、『レプリカキット』(1992年GAKKEN)は「三日月少年」とは異なり、自分の精巧なレプリカロボットが登場する。こちらの物語が私は非常に好きで、ついテーマを自分の作品にも反映させたくなる。
また、長野まゆみが写真を撮り下ろした「青い鳥少年文庫」(全四巻/作品社)は美少年の人形がモデルだ。非常に雰囲気のある作品なのでこちらもいずれ紹介したい。

見返しには作家の自筆原稿が印刷されている。字のうまさに感歎。

本書には「銀色と黒蜜糖」が収録されている。別の作品『野ばら』に登場する月彦、銀色、黒蜜糖という洒落た名前の主人公たちが織りなす、終わらぬ夢のフェアリーテイル。後に紹介する『夏至祭』も同じ主人公たちの物語だ。見返しにあしらわれた作家の自筆原稿の複写は『夏至祭』のものだが、なぜ本書に使用されているのかは不明。

『カンパネルラ』

祖父の家で暮らす兄の隠れ処は静謐な蔓草に覆われた翠色の神域。語るもののないこの地で少年はカンパネルラの響きに憑かれる

『カンパネルラ』著・長野まゆみ(河出書房新社)発売日:1998.10.20

兄さんはボートを漕ぎ出して、何処へ出かけてゆくのだろう? 兄の秘密の隠れ処をさがして川を遡る柊一。兄が描いた素描に記された「カンパネルラ」の意味は? そして緑の中に見たものは?

河出書房新社HP

長野まゆみは宮沢賢治『銀河鉄道の夜』に強い影響を受けている。二人の少年が主人公として出てくることが多いのもそのためだろう。今作の主人公も少年だが、離れて暮らす兄弟という複雑な関係性だ。さらにカンパネルラという名の少年らしき"何か"も登場する。いや、実際には登場しない。カンパネルラという名はあくまでその文字が奏でる音と象徴するイメージを想起させる記号だ。
この物語を読み終えた後の反応は人によって大きく異なるだろう。何も始まっていないし何も明かされない。今時の「伏線回収」を至高とする読み手にとっては不明瞭すぎて手に余ることだろう。しかしながら文芸とは本来、本作のようなものなのだ。文章は読み手の感性に微細なシグナルを送り、読み手ならではの音や匂い、感覚を呼び起こす。もしくは本は虫食いと暗号だらけの楽譜で、読み手は奏者だ。手がかりを得て後は自分の好きなように心の中で音楽を奏でる。それは芸術全般で言える。作り手が明確な表現をすれば、見る側もそうとしか捉えない。その時点で芸術的価値は作者の職人芸にのみフォーカスされる。見る側が明らかにされていない部分を自ら補完し、想像力を働かせて心の中に新しい芸術作品を完成させることとは作品を通じて自らの魂と語らう、人としての高尚な行為だ。そして、各々の芸術的感性に極限まで挑戦してくるのが長野まゆみという作家なのだ。

さて、タネを明かせば本作がそういった目的のもとに綴られたのかというと、おそらく違うだろう。兄と弟の複雑な関係性が引き起こす軋轢、弟の兄への恋慕と執着、煩わしさ、緑地と水辺の清らかな空気と、それでいてどこか不穏な鬱蒼とした草木の茂み。得体の知れない存在に魅入られ向こう側へ誘われる、脆く儚い命。これら作家の書きたいものを連ねていったという印象を受ける。おかげで私たちは不完全でぼんやりとした現実世界と少しずれたところにある、日常では決して意識することのない隠れた精神世界と交流できる。それは仄暗い悦び。美しい少年の命が大きな力によっていとも簡単に奪われる残酷な光景を前にして芽生える密かな興奮。彼らは私たちの暗い欲望のsacrificeだ。女の毒を孕んだ不完全なる芸術は完成された芸術を凌駕する。

本書にはもう一編「銀木犀」が併録されている。「カンパネルラ」と「銀木犀」はほぼ同じ作品だと言っていい。作家本人もこのように書いている。

この『銀木犀』という文庫本の原稿は、ずいぶん前に書いたままほうっておいたものである。先に刊行した『カンパネルラ』と同時期の筆であることは、銀木犀の樹と戯れるという共通性によって明白だろう。

『銀木犀』(河出文庫文藝collection)あとがきより

『カンパネルラ』(河出文庫文藝collection)のあとがきには作家がなぜ「カンパネルラ」という名を使用したのかについて記されている。愛読者にとっては十分すぎるほどに馴染みであるのだが、ほとんど読んだことのない人はこの点を押さえておけば、長野まゆみの初期作品への理解がずいぶん容易になるだろう。

『夏至祭り』

祖父から譲り受けた羅針盤付き時計の本当の持ち主とは。野茨に覆われた空き家で月彦は謎めいた二人の少年に出会った。幻の時空線が現に交差する夏夜の寓話。

『夏至祭』著・長野まゆみ(河出書房新社)発売日:1998.11.09

半夏生の夜が終わったらぼくたち出発するんだよ――半夏生の夜まで、あと2週間、集会はその夜に開かれるのに、会場の入り口を見つけるための羅針盤を落としてしまった――。

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『半夏生』は、長野まゆみの作品『野ばら』、「銀色と黒蜜糖」(『三日月少年漂流記』併録)のもう一つの世界だ。登場人物は月彦、銀色、黒蜜糖。少年・月彦がいつもの空き家の前を通りがかった際、窓灯を見つけ、二人の美しい少年と出逢うところから物語は始まる。
この作品は情景描写の表現の秀逸さが際立っている。夜の風景、空き家の庭と室内の様子、林道、謎の人々の宴会、・・・沸き起こされるイメージには匂いや光が鮮やかに広がる。そのようには書いていないのに、なぜか頭の中で幻想的な美しい夜の電飾が煌めく。一枚の絵画について、その絵を見たことのない相手に言葉だけでイメージさせる際、人の想像力を巧みに利用して言葉が現すそのもののさらに先を記憶の断片をつなぎ合わせて引き出す手法があるなら、まさに本作は成功例だ。
物語は童話然としているが表現や言葉が巧みなので大人になってから読んだ方がより味わい深いだろう。

不思議の国のアリスの影響を思わせるストーリーだが、もっと静かで文芸的だ。また、『野ばら』や『カンパネルラ』のように物語が霞のように曖昧で掴めないということもなく、わかりやすい。少年が謎の祭りに参加する展開は長野まゆみの人気作『耳猫風信社』(光文社)でも見られる。
銀色、黒蜜糖という洒落た名前の美少年たちの正体もしっかり明かされる。しかし他の作品を読む前に彼らの正体を識ってしまうのは勿体無い気がする。まずは『野ばら』を読んでから本書を読むことをおすすめしたい。

「綺羅星波止場」

併録の短編「綺羅星波止場」を私はとても気に入っている。文庫版『綺羅星波止場』も刊行された。愛読者の多くは、『綺羅星波止場』と『天体議会』を長野まゆみの代表的なイメージとして挙げるだろう。小遣いを貯めて珍しい鉱石を蒐める少年たち。古い科学実験用具。気まぐれに開く怪しげな品を扱った雑貨店。幻影を見せる異国の煙草。美しい自動人形の少年。・・・
主人公は二人の少年だ。垂氷と灯影というこれまた洒落た名前の持ち主。性格は『三日月少年漂流記』で言及した二人の少年主人公と同様。名前の雰囲気も似ているので同一キャラクターとして混同しそうになる。(私は同一キャラクターと考えて良いと思っている。世界観も二人の性格も読者からしてみればあまり差がない気がする。)
「綺羅星波止場」は次のようなお話しだ。
鉱石を積んだ運搬船が到着した。石のおこぼれを拾いに夜の埠頭やってきた垂氷と灯影は、人気のない場所で露店を見つける。店主は怪しげな風体の男だが、ストーブで焼くパンの匂いに空腹を覚えた二人は、それぞれパンとコーヒーを買う。男はストーブの中で煌々と燃える石を二人にくれる。微かに燃える瑠璃色の石は手に乗せても熱くない。店をしまい、男は意味深な言葉を残して去っていく。
このお話を読むたびに、私はパンを焼いてハムを挟んで食べる。クロワッサンが「三日月麵麭(みかづきパン)と表記されているのを初めて目にしたとき、とても感動したことを覚えている。
本書には他に6編の短編が収録されている。そのどれもが少しだけ現実世界からずれている。

『夏季休暇』

夏、亡くなった兄と同じ名前の少年が岬の家に越してきた。千波矢はその少年を突き放し、幼い頃のおぼろげな記憶を胸に兄を待ち続ける。潮騒と夏の日差しの中で、幻影をめぐり少年たちの繊細な心が交叉する。

『夏季休暇』著・長野まゆみ(河出書房新社)発売日:1998.12.08

あの日、海に消えた帽子を、約束どおりもってきたよ――千波矢が初めて兄の幻影と出逢ったのは、一羽の鳶の比翼が岬の空家の庭から帽子を舞い上げた夏の一日だった。

河出書房新社HP

明かしてしまえば、「怪談」の類である。
主人公の少年、千波矢は幼い頃に歳の離れた優しい兄を亡くした。しかし、兄は毎年夏になると幻影となって現れてくれる。時には言葉を交わしていた。千波矢が成長して兄の背丈を越すようになった頃から、兄の幻影は現れなくなる。寂しさと愁いに沈んでいると、かつて兄が存命だった時に住んでいた岬の屋敷に三人の子供を連れた家族が引っ越してくる。末の少年、葵は背が低くおとなしい性格をしている。千波矢は兄の幻影が自分ではなく、葵の前に現れ、言葉を交わしただけでなく、自分の大事な帽子を渡したことを知り激昂する。

先ほど「怪談」と書いたが、恐怖の描写はない。しかし、明らかに怪談だ。最後まで読めばその理由がわかるだろう。作家は曖昧なままに物語を終わらせ、その後に起こるであろう悲劇は読者の想像に委ねられている。
長野まゆみは夏をテーマにした作品を数多く執筆している。真夏の暑さには周囲の音を消し去り、人の思考力を鈍らせ幻影を実在のものと錯覚させる作用があるようだ。また、冷たい水の心地よさが印象的で心象イメージを刺激する。
本作で特に秀逸な点は、千波矢の記憶の曖昧さである。千波矢の幼い頃の遠い記憶に、大人たちが集まる部屋の片隅に兄がいて千波矢に向かって優しく微笑んでいるという場面がある。おそらく千波矢は四歳ごろで、兄はすでに海に沈んで亡くなっているがそれを知らない。岬の家に住んでいたことも、兄のことも記憶はぼんやりとしていて明確でない。子供の頃とはそういうものだろう。覚えていたはずのことが事実とは異なっていたり、印象的な風景が一体いつどこで見たものかわからなかったり。夢の中の映像と現実を混同したりする。(私はそれがよくある)
長野まゆみの作品には霊界との接触を匂わせる、あるいははっきりと幽霊との交流を描いたものが多数ある。本シリーズ『カンパネルラ』(と、「銀木犀」)、本作。最近の作品では「左近の桜」シリーズもかなり怪しげだ。『カムパネルラ版 銀河鉄道の夜』や『銀河の通信所』では霊界に住まう宮沢賢治や文豪たちが何食わぬ顔で生前の思い出を語る。『あめふらし』は霊魂を捕まえる生業の男が主人公だ。他にも傑作が多数あるので、こちらについてもまた別の記事でご紹介したい。

長野まゆみ作品紹介 1 あとがき

以上、長野まゆみ「少年万華鏡」シリーズ4作をご紹介した。
あくまで私の主観での解説、感想をお伝えしたが、もしおかしな部分や解釈の異なる点があればぜひTwitterで教えてほしい。

これからは度々、長野まゆみ先生の作品を紹介していきたいと思う。
それではまた。
2022年12月28日 雨柳ヰヲ

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